1954年イタリアグランプリ
1954年イタリアグランプリ (1954 Italian Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第8戦として、1954年9月5日にモンツァ・サーキットで開催された。 レースは80周で行われ、メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオがポール・トゥ・ウィンで優勝、フェラーリのマイク・ホーソーンが2位、同じくフェラーリのウンベルト・マグリオーリとホセ・フロイラン・ゴンザレスが車両を共有して3位となった。 レース概要ランチアの新車完成は依然として遅れ、出場機会のなかったアルベルト・アスカリは当レースのみフェラーリのワークス・チームから出場。メルセデスは高速サーキットのモンツァに向けて、ストリームライン仕様のW196をファン・マヌエル・ファンジオとカール・クリングの2人に与え、ハンス・ヘルマンにはオープンホイール仕様のW196が与えられた[1]。 レースは予想通りストリームライン仕様のメルセデス2台がリードしたが、クリングは4周目にスピンを喫して後退する。ここからアスカリ、ファンジオ、ホセ・フロイラン・ゴンザレス、スターリング・モスによるトップ争いが繰り広げられた。ゴンザレスはエンジンブローでリタイアするが、代わってマイク・ホーソーンとルイジ・ヴィッロレージがトップ争いに加わる。ヴィッロレージは一瞬トップに立ったものの、エンジンブローでリタイアとなった。ホーソーンが遅れ、アスカリがエンジンをオーバーレブさせてリタイアすると、モスがファンジオを引き離していく。しかし、残り9周で油圧低下のためピットインを強いられ、ファンジオがトップに立った。モスは22秒遅れの2位でコースへ復帰したが、フィニッシュラインの手前約2kmというところでエンジンが息の根を止めてしまった。当時はフィニッシュしなければ完走扱いと認められなかったため、モスは必死にマシンを押してフィニッシュラインに到達し10位完走となったが、観客の拍手は鳴り止まなかった。優勝したファンジオも「このレースの真の勝者はモスだ」と公言して奮闘を讃えている。そしてメルセデスの首脳陣も、翌年のドライバーとしてモスを迎えることを真剣に考え始めた[2][3]。 エントリーリスト
結果予選
決勝
注記
第8戦終了時点でのランキング
脚注
参照文献
外部リンク
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