1953年イタリアグランプリ
1953年イタリアグランプリ (1953 Italian Grand Prix) は、1953年のF1世界選手権最終戦として、1953年9月13日にモンツァ・サーキットで開催された。 1952年と1953年は通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、フォーミュラ2のレギュレーションが適用され、当レースが最後の適用となった。 レース概要2台ずつのフェラーリ(アルベルト・アスカリとジュゼッペ・ファリーナ)とマセラティ(ファン・マヌエル・ファンジオとオノフレ・マリモン)が一団となってトップ争いを繰り広げる激戦となる。マリモンはラジエーターの修理のためピットインを強いられ周回遅れとなりトップ争いから脱落したが、トップ集団の位置でコースに復帰して再び4台による抜きつ抜かれつの攻防が続いていく。このトップ争いの主導権を終始握っていたのはアスカリだったが、最終ラップで周回遅れの処理を誤って2回転の大スピンを喫し、マリモンと接触してリタイアとなった。ファリーナはグリーンにはみ出して接触を回避、ファンジオがこれらを一瞬の判断で切り抜けて優勝した[1]。 ファンジオは1951年スペイングランプリ以来2年ぶりの勝利、マセラティはF1初勝利を飾り、1952年の開幕から続いていたフェラーリの連勝は14でストップした(インディ500は除く)。 そのフェラーリは、翌1954年のF1レギュレーションに対応した553(スクアーロ)を先行投入した。予選でレギュラードライバー全員が交代でドライブしたが操縦性に難があったため、決勝はウンベルト・マグリオーリとピエロ・カリーニの補欠ドライバー2名のみがドライブした[1]。 エントリーリスト
結果予選
決勝
注記
ランキング→ドライバーズ・チャンピオンシップの詳細については「1953年のF1世界選手権 § 1953年のドライバーズランキング」を参照
脚注
参照文献
外部リンク
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