陽明文庫本源氏物語陽明文庫本源氏物語(ようめいぶんこほんげんじものがたり)は、五摂家の一つ近衛家のコレクションである陽明文庫の中に含まれる源氏物語の写本である。 概要陽明文庫にはいくつかの源氏物語の写本が含まれているが、通常「陽明文庫本源氏物語」というときには鎌倉時代に書写された34帖を含む54帖の揃い本をいう。この写本は鎌倉時代中期の書写と見られる34帖にはじまり江戸時代の書写と見られる初音、藤袴、匂宮の3帖まで各帖ごとに書写者を異にしており、本文の系統も巻によって青表紙本、別本などさまざまである。冷泉為綱を鑑定者とする筆者目録が付されており、桐壺は後深草院、空蝉は後鳥羽院等となっている。その他に筆者の名前として後京極良経、二条為家、二条為氏、阿仏尼、冷泉為相、二条為世、慈鎮、二条為明、二条為定らか挙げられており、中には夢浮橋のように「筆写不知」とされているものもある。陽明文庫の中に含まれる源氏物語の写本の中で最も重要なものとして「陽明文庫本」の名で呼ばれている。池田亀鑑によって校異源氏物語および源氏物語大成において写本記号「陽」として採用されて以来、代表的な別本の本文を持った写本とされ、『源氏物語別本集成』の底本にも採用されている。重要文化財に指定されている。なお、本写本は近衛家に書写されてから、あるいはそれに近い時期からずっと近衛家に伝来してきたのではなく比較的新しい時期、おそらく江戸時代中期以降になって近衛家に入ったと考えられている。 本文の性質この陽明文庫本の本文は、青表紙本や河内本の本文とかなり異なるものを含んでおり、また平安時代の本文資料である源氏物語絵巻の絵詞や源氏釈の引用本文に近い本文を含んでおり、青表紙本や河内本が成立する以前の本文の状況を推測する重要な資料であると考えられている。この本文について、伊藤鉃也は、「本写本の本文と青表紙本や河内本の本文との違いは、仮名遣いの違いなどにとどまらないもので、単なる誤写では起こりえない種類のものである。その違いは意味・表現・解釈の異なりにつながるもので、青表紙本や河内本の本文をどのように操作しても出てこないような独自の異文を含んでいる。」としている[1]。このような本文の異なりについては「もともとの文章に飽き足りない者の補訂と見るべきであろう」との見方もある[2]。 校本への採用状況『校異源氏物語』及び『源氏物語大成校異編』には別本の本文を持つ巻として桐壺、帚木、空蝉、夕顔、末摘花、葵、賢木、花散里、須磨、蓬生、関屋、薄雲、朝顔、少女、玉鬘、胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸、真木柱、梅枝、藤裏葉、鈴虫、夕霧、御法、幻、橋姫、椎本、総角、早蕨、宿木、東屋、浮舟、蜻蛉、手習の計37帖が校合本文に採用されており、青表紙本系統の本文を持つ巻として紅葉賀、花宴、明石、絵合、松風、若菜上、若菜下、柏木、横笛、紅梅、竹河、夢浮橋の計16帖が校合本文に採用されている。 『源氏物語別本集成』の底本としては青表紙本の本文を持つと考えられた巻を除いた桐壺、帚木、空蝉、夕顔、若紫、末摘花、葵、賢木、花散里、須磨、澪標、蓬生、関屋、薄雲、朝顔、少女、玉鬘、胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸、真木柱、梅枝、藤裏葉、鈴虫、夕霧、御法、幻、橋姫、椎本、総角、早蕨、宿木、東屋、浮舟、蜻蛉、手習が採用されており[3]、『源氏物語別本集成 続』では「河内本といえるもの以外を全て別本とする」という形に方針転換がはかられたために全ての巻が底本として採用される予定になっている[4]。 影印・翻刻本1979年(昭和54年)から1982年(昭和57年)にかけて陽明文庫に含まれるさまざまな貴重書を広く紹介する陽明文庫名義で編纂される「陽明叢書」企画の一環『陽明叢書 国書篇 第16輯 源氏物語』として思文閣出版から影印・翻刻・解説がセットになったものが出版された。全部で16分冊からなり、各冊はそれぞれ「複製篇」と「翻刻・解説篇」に分冊刊行されている。
その他の陽明文庫源氏物語本写本以外にも陽明文庫には以下のようないくつかの源氏物語の写本が所蔵されている。 参考文献
脚注
関連項目 |