花鳥余情『花鳥余情』(かちょうよせい、かちょうよじょう)は、一条兼良による『源氏物語』の注釈書である。 概要一条兼良は、『源氏和秘抄』[1]、『源氏物語之内不審条々』[2]、『口伝抄』、『源氏物語年立』[3]など、『源氏物語』について多くの著作を持っているが、その中でも本書は一条兼良にとっての源氏物語についての最も体系的な著作である[4]。なお、一条兼良は後に本書の秘伝書として『源語秘訣』を著している[5]。 本書は1472年(文明4年)の兼良が71歳のときの成立とされる。兼良は1467年(応仁元年)の応仁の乱の勃発してまもなく一条室町にあった邸宅とその書庫「桃花坊文庫」が焼失したため、奈良興福寺大乗院で門跡を勤めていた息子の尋尊を頼って奈良に赴き、応仁の乱が治まるまでの本書執筆の前後約10年間奈良に居住していた。本書や本書と並んで兼良の代表的な著作とされる日本書紀の注釈書である『日本書紀纂疏』はいずれもこの公職に就いていない閑居時代の著作である。なお、本書は1472年の成立後も何度か加筆訂正が行われていたため現存の写本には1472年(文明4年)の成立後間もない時点で兼良の手元にあった本を写した写本を元にした「初稿本系統」、1476年(文明8年)時点で兼良の手元にあった本を写した写本を元にした「再稿本系統」、1478年(文明10年)時点で後土御門天皇に献上された写本を元にした「献上本系統」等が存在する。なお、その他に宗祇によって作られた『花鳥余情抄出』と題された本書の抄出本についても、本文が本書の抄出文のみで構成されており宗祇自身の説は一切加えられていない[6]ため、「抄本系統」ないし「抄出本系統」と呼び、『花鳥余情』の本文の一系統とすることもある。 『源氏物語』の注釈史の中で、平安時代末から江戸時代末までの古注釈の時代を三分するときは、『源氏物語』の注釈の始まりとされる『源氏釈』から『河海抄』までのものを「古注」、『湖月抄』以後江戸時代末までのものを「新注」と呼ぶのに対して、この『花鳥余情』から『湖月抄』までのものを「旧注」と呼んでいる。 本書は、後世『河海抄』と並び『源氏物語』の注釈書の双璧とされたが、本書の執筆は『河海抄』の書写と並行して行われており、また本書の序文においては「『河海抄』の足りない部分、誤っている部分を正しくするため著した」と述べているなど『河海抄』を常に意識して書かれたとされている[7]。 また、本書が今川範政の『源氏物語提要』本文をそのまま引き写した部分があることについて批判[8]が存在するが、本書は兼良が先学の説を広く継承・集成した上で、先行する『源氏物語提要』の本文を摂取しながら「今案(=今日の考え方)」を示したもので、中世の学者において広く見られる手法であるとする指摘もある[9][10]。 内容文章の解釈に力を注いでおり、単に語句のみを採り上げるのではなく長く文を引用して説明していることと、著者自身が左大臣関白を勤ていたため有職故実に関して詳しく正確であることが挙げられる。祖父二条良基から二条家の秘説を受け継いでいるという側面も持つ[11]。また『源氏物語』に依った歌作が盛んであった時代を反映して歌作の参考となるような記述も多く見られる。またそれまでの『源氏物語』の注釈書が限られたごく少数の読者だけを想定していたのに対して本書は最初から広く流布されることを想定して著されたと考えられる[12]。 『源氏物語』の成立した事情については当時有力であったと思われる『源氏物語のおこり』にあるような大斎院執筆依頼説・石山寺執筆説や須磨の巻起筆説によらず、現在は散逸した『宇治大納言物語』の記述に基づくとして「前半を班彪が書き、残りを子の班固が書き上げた」という中国の『漢書』の故事を引いて、「藤原為時が書いたものを娘の紫式部が引き継いで完成した」と述べている。但し池田亀鑑はこのような伝承も、『源氏物語のおこり』などと同様に事実に基づくものではないとしている[13]。また宇治十帖について紫式部の作ではなくその娘である大弐三位の作であるとする説を記録している。 数多くの文献を引用しておりその中には現在は散逸してしまったものも多い。そのような散逸してしまった文献の存在や内容を探る上でも注目されている[14]。 『源氏物語』を「我が国の至宝は源氏の物語のすぎたるはなし」と賞賛した上で、「『河海抄』の足りない部分、誤っている部分を正しくするため著した」と本書の成立した由来を説明した「序文」(自序)及び源氏物語の成立した経緯を説明した「作意」を冒頭に置き、その後各巻ごとに冒頭で巻名の由来と年立について述べており、その後問題となる本文を抄出し注釈を加えている。この「年立」は、かつて兼良自身がとりまとめた『源氏物語年立』を元にしているが、さらなる考察を加えて改めている部分も存在する[15]。 巻数の数え方本書の『源氏物語』の巻数の数え方については、
といった『白造紙』以来の古い時代の注釈書に一般的に見られる数え方と
と、新しい注釈書に多く見られる数え方の中間的な性格を持っている。 各巻の構成写本主要な写本として以下のようなものが存在する[16]。
翻刻本
参考文献
脚注
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