新源氏物語 (田辺聖子)『新源氏物語』(しんげんじものがたり)は、田辺聖子による『源氏物語』の現代語訳または『源氏物語』の翻案とされる作品。『田辺源氏』とも呼ばれる。本項目では田辺聖子と『源氏物語』とのかかわり全般についても述べる。 概要「与謝野源氏」と呼ばれる与謝野晶子によるもの、「谷崎源氏」と呼ばれる谷崎潤一郎によるもの、「円地源氏」と呼ばれる円地文子によるもの、「瀬戸内源氏」と呼ばれる瀬戸内寂聴によるものなどと並んで代表的な「作家による『源氏物語』の現代語訳の一つ」とされる。 「新源氏物語」と称されるものには、「狭義の新源氏物語」と「広義の新源氏物語」とが存在する。「狭義の新源氏物語」とされるのは、『源氏物語』冒頭部分から「幻」巻部分までが現代語訳『新源氏物語』として1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から刊行され、1984年(昭和59年)5月に新潮文庫に収録されたものである。「広義の新源氏物語」としては、上記の「狭義の田辺源氏」に加えて『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋』として1990年(平成2年)5月に新潮社から「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋」として上下2巻で出版され、1993年(平成5年)11月に、上下2巻で新潮文庫に収録された「宇治十帖」部分の現代語訳を含む。1993年(平成5年)8月に新潮社から刊行された全1冊本『新源氏物語』および2004年(平成16年)に集英社から出版された『田辺聖子全集 全24巻』の第7巻および第8巻の2巻に収められた『新源氏物語』では、この「霧ふかき宇治の恋」を含めた『源氏物語』全体の現代語訳を「新源氏物語」としている。 またより広義には、狭義の『新源氏物語』と「霧ふかき宇治の恋」との間に執筆・出版された『源氏物語』の外伝的・パロディ的作品である「私本・源氏物語」シリーズや、1997年から1999年まで36回にわたって行われた田辺の『源氏物語』についての連続講演「田辺聖子の『源氏物語』をご一緒に」を書籍化したもの[1]も含められることがある[2]。 田辺聖子の源氏物語観田辺聖子は、この『新源氏物語』以外にも、『源氏物語』やそれを含む日本の古典文学に関して多くの現代語訳やエッセイなどの諸作があり、「当代随一の古典の読み手である」とされる[3]。その他に日本の古典文学に関して講演録や対談も数多く存在しており、それらを通して田辺の『源氏物語』観を知ることが出来る。田辺は年を経るに従って『源氏物語』の見方が変化したことを述べており、若い頃は『源氏物語』を読み通すことも出来ず[4]、その頃の『源氏物語』観は「ところどころのシーンこそ、目にとまるものの、やたらに冗長で膨大な古物語としか思えなかった。」というものであったとしている。30を過ぎて「口語訳を読み返したことと、原典の文語文法や文体のクセに慣れたことにより、楽しめるようになってきた。それにより、源氏物語とはさまざまな人間や恋愛の形を描いたカタログであり、面白い、楽しい物語であると感じられるようになった。」と述べており、40代になると、光源氏を初め紫上、薫、匂宮とそれぞれに不幸であり、あきたりぬ人生を送っている。「源氏物語とは哀しい小説ではないか」と思うようになった。さらに50代になると、「源氏物語とは哀しみが描かれている」という点についてはそのとおりであるとしても、その地点にとどまるのではなく「哀しい話から昇華した喜び」が描かれていると感じるようになったと述べた上で、「これからの私はどのように源氏物語を読むことになるのだろうか」との言葉で締めくくっている[5]。このような田辺の『源氏物語』観の変遷と新源氏物語の内容とを対照させてみると、『新源氏物語』は30代の田辺の『源氏物語』観が生かされ、さらに40代の田辺の『源氏物語』観の影響の下に成立しているとされている[6]。 出版の経緯『源氏物語』冒頭部分から「幻」巻までの部分は、『新源氏物語』として雑誌『週刊朝日』において1974年(昭和49年)11月発行の第79巻第49号から1978年(昭和53年)1月発行の第83巻第4号にかけて169回にわたって連載された後、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から単行本として刊行され、1984年(昭和59年)5月に新潮文庫に収録された。 上記に含まれない『源氏物語』第三部(匂宮三帖及び宇治十帖)についても当初から含める予定であったが[7]、上記の『新源氏物語』とは別に『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋』として雑誌『DAME』において1985年(昭和60年)10月発行の第2巻第10号から1987年(昭和62年)7月発行の第4巻第7号まで22回にわたって連載されたが、同号をもって同誌が休刊したために「宿木」巻の途中までで中断することとなった。その後、残りの部分は書き下ろしで執筆されて1990年(平成2年)5月に新潮社から「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋」として上下2巻で単行本として出版され、1993年(平成5年)11月に、上下2巻で新潮文庫に収録された。 1993年(平成5年)8月に新潮社から刊行された全1冊本『新源氏物語』および2004年(平成16年)に集英社から出版された『田辺聖子全集 全24巻』の第7巻および第8巻の2巻に収められた『新源氏物語』では、この「霧ふかき宇治の恋」を含めた『源氏物語』全体の現代語訳を「新源氏物語」としている。 特色田辺自身は「注釈を見ないでも読めるおもしろい読み物」を目指したとしており[8]、近代人の感覚では「ここがもう少し読みたい」と思うところが『源氏物語』の原典ではさらりと流されていることがあり、そのような点を非才を顧みず書き埋める作業を行った結果が「新源氏物語」であるとしている[9]。著者自身による作品解説において以下の3つの抱負を挙げている[10]
初め、出版社・編集部側としてはダイジェストのつもりだったらしいが、「源氏物語はダイジェストにしにくい」という理由で「ほぼ全訳」になったとしている[11]。それでも先行する作家による現代語訳である与謝野訳、谷崎訳、円地訳と比べると「原典から除去された記述」や「原典に無いが書き加えられた記述」が数多く存在しており、「訳文から原文を類推することが不可能であるほど」であるとされ、『源氏物語』の複数の現代語訳の相互比較からは外されていることもあり[12]、「正確な現代語訳ではない」とされたり[13]、翻訳よりむしろ「脚色」とでも呼ぶべきものともされたり[14]、「広義の現代語訳を大まかに「ダイジェスト本」・「全訳本」・「リライト本」に分けると「リライト本」に属する」とされたり[15]、「単なる現代語訳」ではなく「翻案」・「翻案小説」であるとされることもある[16]。 『源氏物語』の原文には、登場人物たちが自分たちの気持ち和歌で伝えようとしている部分が数多く存在している。先行する与謝野訳、谷崎訳、円地訳[注釈 1]において和歌は、
といった形で処理されることが多かったが、「田辺源氏」では和歌を通常の会話文に直しているところが多く、和歌部分に最も大きな変更が加えられている現代語訳である[17][18][19]。 そもそも全体の構成として、「桐壺」の巻からではなく原典では第3巻である「空蝉の巻」から始まっているものの、それ以後はおおむね元の巻序に従って叙述されている。「桐壺」の巻からはじまっているのではない理由として、田辺本人は光源氏を颯爽とした恋の狩人として登場させたかったためであるとしている[20]。 時代背景この「田辺源氏」は『源氏物語』現代語訳の転換点とされる。田辺が現代語訳に取り組みはじめた時点では、すでに「与謝野源氏」や「谷崎源氏」といった複数の「作家による現代語訳」が存在しており、それ以外にも岩波書店の『日本古典文学大系』本、小学館の『日本古典文学全集』本、新潮社の『新潮日本古典集成』本といった「充実した注釈が付けられた原典」も入手が容易になっているため、「与謝野源氏」や「谷崎源氏」が書かれた時代のように「その現代語訳を読むことがほとんど唯一の『源氏物語』への接近方法である」という時代とは大きく異なっている。「田辺源氏」の巻末には「主な参考文献」として
が挙げられている。田辺自身は自分の『源氏物語』の現代語訳を、「私の『新源氏物語』を、入門の感じで読んでいただいて、それから『与謝野源氏』、『円地源氏』、『谷崎源氏』、『村山源氏』…など、好きな本をたどっていってね。よくなじんだところで原文をよまれると、とても面白く読まれると思いますよ。」と、これ以前に存在した作家による現代語訳である『与謝野源氏』、『円地源氏』、『谷崎源氏』、『村山源氏』等よりもさらに初心者向けの入門的な作品であると位置づけている[21]。 各巻の名称『新源氏物語』では、それぞれの巻の名称について、以下のようにそれぞれの巻ごとに、『源氏物語』原典の巻の名を織り込んで韻を踏んだ形の独自の巻名が付けられている。
霧ふかき宇治の恋
田辺源氏の影響田辺の『新源氏物語』は、『あさきゆめみし』とともに以後の『源氏物語』の翻案作品に対して大きな影響を与えており、本来の原典である『源氏物語』をさしおいて「原典的地位」にあるとされる[22]。『新源氏物語』においては「わかりやすくするため」に田辺の解釈に基づいて、さまざまな解釈が成立しうる原典の記述が一定の解釈以外は成立しえないような記述に代えられていたり、さまざまな原典にない情報が書き加えられたりしているが、そうした要素の踏襲に田辺の『新源氏物語』からの影響が読み取れる[23]。 『新源氏物語』は、『源氏物語』の漫画化作品の代表とされる上述の『あさきゆめみし』に対しても大きな影響を与えており、そのことは明石の姫君(後の明石の中宮)を「ちい姫」と呼ぶなどの人物呼称においても見ることができる[24]。 2001年に公開された日本映画『千年の恋 ひかる源氏物語』には、田辺の名前はクレジットされていないにもかかわらず、『新源氏物語』の表現がそのまま使われている[25]。 舞台化作品→詳細は「源氏物語 (宝塚歌劇) § 源氏物語」を参照
田辺版『新源氏物語』をもとにした[26][27]宝塚歌劇団のミュージカル『新源氏物語』が、柴田侑宏の脚本・演出で1981年に月組(榛名由梨主演)により初演された。1989年に月組(剣幸主演)が再演、2015年に演出を大野拓史が担当し花組(明日海りお主演)で再々演された[28]。 青年源氏と藤壺の密通から2人の関係を軸に、六条御息所・紫の上(若紫)・朧月夜との恋模様を絡め、政界の頂点に立ちながら女三宮に裏切られるまでの源氏の半生が描かれる。 主題歌の作詞は田辺自身による。 書誌情報単行本版
新潮文庫版
全1冊版
田辺聖子全集版
参考文献
脚注注釈出典
外部リンク
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