門脇(かどのわき)は、宮城県石巻市にある大字である。旧牡鹿郡石巻町大字門脇の一部、牡鹿郡門脇村の一部に相当する。郵便番号は986-0853[3]。
地理
石巻市の西部、東松島市との境に位置しており、北は蛇田、南は重吉町、東は大街道、西は定川や東松島市赤井と接する。
国道沿いに様々な商業施設が集中し、新興住宅地として、発展している。
小字
デジタル庁公表のアドレス・ベース・レジストリによれば、2024年12月現在における、門脇の小字は以下の通りである[5]。
- 字青葉西
- 字一番谷地
- 字浦屋敷
- 字下鷲塚
- 字元浦屋敷
- 字元捨喰(あざもとしゃじき)
- 字元明神
- 字五番谷地
- 字三ツ股
- 字三軒屋
- 字三番谷地
- 字山岸
- 字四番谷地
- 字捨喰(あざしゃじき)
- 字上野町
- 字新館
- 字西三軒屋
- 字青葉東
- 字築山
- 字中浦
- 字中屋敷
- 字中島
- 字定川
- 字東上野町
- 字一番谷地
- 字堀切
- 字本草園
- 字本草園前
- 字明神
- 字浪除土手
- 字鷲塚
地価
国土交通省によると2020年(令和2年)3月31日時点での門脇字二番谷地13番473外での公示地価は32,000円/m2になっている[6]。
歴史
門脇村は、牡鹿郡の南西(現在の石巻市の南西)に位置し、北で石巻村と蛇田村、東で北上川を隔てて湊村、西で定川を隔てて矢本村と接し、南で石巻湾に面する、現在の石巻市門脇よりか広大で、牡鹿郡万御改書上によると東西は一里五町三十間、南北は十一町二十間と東西に長い街村であったとされる。正保郷帳には、門腋村と記され、田は650文、畑は1貫797文、他に門脇新田として33貫528文があり、早損と注記されていた他、牡鹿郡万御改書上によると、田は95貫314文(うち、新田は35貫532文)、畑は20貫772文、茶畑は112文、本百姓は134人、男は1,092人、女は855人、本町の家数は29軒、中町の家数は30軒、砂場町の家数は41軒、〓町[注 1]の家数は30軒であり、それ以外にも、川村平八郎ら12人の除屋敷があったとされる。安永風土記によれば、田は100貫152文、畑は29貫564文(うち、茶畑は112文)、蔵入77貫余、給地51貫余、本百姓は1659年(万治2年)の竿答百姓36人から、214人(村居住30人、町居住184人)となり、家数は673軒、うち借家は459軒で、男1,517人、女1,310人、馬58頭、天当船(仙台藩で用いられた、江戸へと米を輸送する船[9])は29隻、うち700石積以上が23隻、五太木船(仙台藩で用いられた、江戸へと米を輸送する船[9])は31隻、小舟は13隻あったとされる。
1966年から現在までに、門脇から、南光町、西浜町、雲雀野町、日和が丘、大手町、南浜町、宜山町、三河町、中島町、重吉町、潮見町、門脇町、泉町、双葉町、大街道北、大街道西、大街道南、大街道東、築山、三ツ股、中浦、新館、中屋敷、浦屋敷南、新館南、明神南が分離成立した。
沿革
- 1933年5月1日 - 牡鹿郡石巻町が市制施行するに伴い、牡鹿郡石巻町大字門脇が石巻市門脇となる。
- 1966年5月1日
- 門脇字村境、門脇字八ツ沢、門脇字南鰐山、門脇字東上野、門脇字西村境の各一部が、石巻の一部とともに、泉町1丁目から泉町4丁目となる。
- 門脇字海門寺前、門脇字本町、門脇字九軒町、門脇字後町、門脇字浜横町、門脇字山岸、門脇字中道上下、門脇字全部海田の各一部が門脇町となる。
- 門脇字西村境、門脇字山、門脇字中山の各一部が、大手町となる。
- 門脇字日和山西、門脇字山、門脇字西村境の各一部が、南光町1丁目、南光町2丁目となる。
- 門脇字日和山東、門脇字中の各一部が、日和が丘となる。
- 門脇字西村境、門脇字東上野町、門脇字本草園の各一部が、石巻の一部とともに、双葉町となる
- 門脇字後谷地、門脇字善海田、門脇字土手東西、門脇字原田、門脇字浜の各一部が、南浜町となる。
- 門脇字西村境の一部が、宜山町となる。
- 1968年
- 1月24日 - 門脇字東中浜一番、門脇字浪除土手、門脇字本草園前の各一部が、潮見町となる。
- 1月27日 - 門脇字浜裏、門脇字東中浜一番、門脇字後谷地、門脇字善海田の各一部が、雲雀野町1丁目、雲雀野町2丁目となる。
- 7月17日 - 門脇字本草園前、門脇字中島、門脇字浪除土手の各一部が、三河町となる。
- 8月10日
- 門脇字鷲塚、門脇字下鷲塚、門脇字十三走が、重吉町となる。
- 門脇字中島、門脇字浪除土手が、中島町となる
- 1970年10月24日 - 門脇字東中浜一番、門脇字中浜が、西浜町となる。
- 2007年9月1日
- 門脇字五番谷地、門脇字南谷地、門脇字四番谷地の各一部が、大街道北1丁目から大街道北4丁目となる。大街道北1丁目は門脇字五番谷地の一部が、大街道北2丁目は門脇字五番谷地、門脇字南谷地の各一部が、大街道北3丁目は門脇字四番谷地の一部が、大街道北4丁目は門脇字四番谷地の一部が該当する[18]
- 2021年1月29日
- 石巻市上釜南部地区被災市街地復興土地区画整理事業による、上釜南部地区住居表示変更において、門脇字浦屋敷、門脇字捨喰、門脇字鷲塚の各一部が、浦屋敷南となる[19]。
- 石巻市上釜南部地区被災市街地復興土地区画整理事業による、上釜南部地区住居表示変更において、門脇字鷲塚の各一部が、中屋敷2丁目の一部とともに、新館南となる[19]。
- 石巻市上釜南部地区被災市街地復興土地区画整理事業による、上釜南部地区住居表示変更において、門脇字捨喰、門脇字鷲塚、門脇字明神の各一部が、明神南となる[19]。
施設
交通
道路・橋梁
鉄道
バス
学区
域内の児童は石巻市立釜小学校・石巻市立青葉中学校に進学する[25][26]。
人口
2021年(令和3年)2月末時点での住民基本台帳による小字別の人口は以下の通りである[2]。
小字 |
世帯数 |
男 |
女 |
計
|
青葉西 |
271世帯 |
275 |
331 |
606
|
青葉東 |
530世帯 |
573 |
613 |
1186
|
一番谷地 |
44世帯 |
53 |
58 |
111
|
浦屋敷 |
281世帯 |
317 |
309 |
626
|
下鷲塚 |
0世帯 |
0 |
0 |
0
|
捨喰 |
17世帯 |
19 |
19 |
38
|
中島 |
0世帯 |
0 |
0 |
0
|
二番谷地 |
501世帯 |
591 |
592 |
1183
|
明神 |
12世帯 |
14 |
12 |
26
|
元浦屋敷 |
156世帯 |
151 |
165 |
316
|
元明神 |
21世帯 |
22 |
25 |
47
|
元捨喰 |
59世帯 |
48 |
29 |
77
|
三番谷地 |
0世帯 |
0 |
0 |
0
|
四番谷地 |
2世帯 |
2 |
0 |
2
|
鷲塚 |
2世帯 |
1 |
1 |
2
|
また、2020年(令和2年)3月末時点での住民基本台帳による年代別・男女別の人口は以下の通りである[2]。
世代 |
男 |
女 |
計
|
0歳 - 4歳 |
96 |
85 |
181
|
5歳 - 9歳 |
83 |
83 |
166
|
10歳 - 14歳 |
75 |
84 |
159
|
15歳 - 19歳 |
94 |
109 |
203
|
20歳 - 24歳 |
124 |
117 |
241
|
25歳 - 29歳 |
116 |
122 |
238
|
30歳 - 34歳 |
145 |
112 |
257
|
35歳 - 39歳 |
137 |
135 |
272
|
40歳 - 44歳 |
159 |
135 |
294
|
45歳 - 49歳 |
171 |
142 |
313
|
50歳 - 54歳 |
142 |
132 |
274
|
55歳 - 59歳 |
135 |
150 |
285
|
60歳 - 64歳 |
116 |
134 |
250
|
65歳 - 69歳 |
133 |
148 |
281
|
70歳 - 74歳 |
144 |
170 |
314
|
75歳 - 79歳 |
114 |
130 |
244
|
80歳 - 84歳 |
70 |
90 |
160
|
85歳 - 89歳 |
22 |
72 |
94
|
東日本大震災
門脇での東日本大震災の震度は6弱であり、域内の犠牲者は143人で場所にもよるが2m以上浸水した所もある[27][28]。また、域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[29]。
世代と性別 |
犠牲者 |
死亡率 |
当時の人口
|
男性 |
65 |
2.68% |
2,429
|
女性 |
78 |
3.03% |
2,578
|
15歳未満 |
9 |
1.27% |
708
|
15 - 64歳 |
59 |
1.86% |
3,172
|
65歳以上 |
75 |
6.76% |
1,109
|
合計 |
143 |
2.86% |
5,007
|
関連項目
脚注
注釈
出典
参考文献
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---|
| 石巻本庁 |
| |
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河北総合支所 | |
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雄勝総合支所 | |
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河南総合支所 | |
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桃生総合支所 | |
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北上総合支所 | |
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牡鹿総合支所 | |
---|
注 | |
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カテゴリ |