蛇田(へびた)は、宮城県石巻市にある大字および地域名(後述)。旧牡鹿郡蛇田村の一部に相当する。郵便番号は986-0861[1]。
地理
蛇田は石巻市の西部に位置し、蛇田駅前に家屋が密集している。また、多くの町丁および大字に囲まれており、北で鹿又、旧北上川を境にして東で南境、北上運河を境にして南東で境谷地や新橋、南で門脇、西で須江と接し、囲うように蛇田地域を構成するその他の町丁[注 1]と接する。
河川など
歴史
蛇田の名の資料上の初見は1631年(寛永8年)の伊達政宗領地黒印状にある「小鹿之内へびた」である。
寛政4年(1792年)成立の伊達世臣家譜の中に、「元和8年実信嘗受新田于牡鹿郡蛇田邑、開三百九十九石一升之由」と記されており、江戸期、蛇田が地名として成立していたことが明らかになっている[6]。
1646年(正保3年)には、伊具郡小斎邑主佐藤家の次男、佐藤定信が宍戸、森、高瀬、斎藤、星、伏見、氏家、大田、遠藤、木村、小川、高橋などといった侍40人と足軽33人、73家中総勢150人を連れて、蛇田の野谷地へと移住する[6]。
沿革
- 367年(仁徳天皇55年) - 上毛野田道将軍が戦死。
- 1633年(寛永10年) - 蛇田村山下に桂林山禅昌寺が開山。
- 1646年(正保3年) - 伊具郡小斎邑主佐藤氏から分かれた佐藤定信が蛇田の野谷地を拝領し、新田開発をはじめる[6]。
- 1663年(寛文3年) - 蛇田村の愛宕山東雲寺が現在地に移転。
- 1666年(寛文6年) - 蛇田村蛇田町が開町。
- 1753年(宝暦3年) - 蛇田町から出火し、307軒が焼ける。
- 1874年(明治7年) - 蛇田村のうち蛇田町、蛇田頭、蛇田浦内、蛇田浦外が石巻村に編入[注 2][6]。
- 1889年(明治22年) - 町村制が施行され、蛇田村が成立。
- 1928年(昭和3年) - 宮城電気鉄道が小野〜石巻間開通。
- 1933年(昭和8年) - 蛇田村の一部が石巻市に編入。
- 1949年(昭和24年) - 蛇田村の明神山、山下、山下西、鍋倉、鍋倉前、南谷地、七窪、横堤、横堤前、揚慮原(うつぎはら)、揚慮原西、深淵、境谷地、清水尻、清水尻西、西中里、東中里、面剣田、水押が石巻市へ編入。
- 1953年(昭和28年) - 蛇田村、鹿又村と境界変改が行われる。
- 1955年(昭和30年) - 蛇田村が石巻市に編入され、石巻市蛇田となる。
- 1972年(昭和47年) - 石巻市蛇田・向陽町1〜5丁目に分離。
- 1973年(昭和48年) - 蛇田ニュータウンが完成。
- 1998年(平成10年) - 石巻河南インターチェンジ開通。
- 2006年(平成18年) - 石巻赤十字病院が湊から蛇田地区に新築移転。
- 2013年(平成25年)5月11日 - 蛇田西部土地区画整理事業に伴い、蛇田字福村南・蛇田字菰継・蛇田字五軒屋敷・蛇田字五軒屋敷前・蛇田字新金沼の各一部を分離し、茜平が設置される[7]。
- 2014年(平成26年)2月22日 - 蛇田北部土地区画整理事業に伴い、蛇田字東道下・蛇田字西道下の各一部を分離し、わかばが設置される[8]。
- 2014年(平成26年)5月10日 - 蛇田中央土地区画整理事業に伴い、蛇田字芋殻町・蛇田字新金沼・蛇田字新大埣蛇田字太田切・蛇田字大埣・蛇田字福村南の各一部を分離し、恵み野が設置される[9]。
- 2017年(平成29年)5月21日 - あけぼの北地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字西道下の一部を分離し、あけぼの北が設置される[10]。
- 2017年(平成29年)11月3日 - 新蛇田地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字新立野・蛇田字新沼田の各一部を分離し、のぞみ野が設置される[11]。
- 2018年(平成30年)8月25日 - 新蛇田南・新蛇田南第二地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字上前沼、蛇田字新西前沼、蛇田字新沼田、蛇田字西沼田、蛇田字細田と門脇字青葉西の各一部を分離し、あゆみ野が設置される[12]。
- 2020年(令和2年) - 石巻市蛇田支所・公民館が新築移転で供用開始。
名称の由来
名称の由来は諸説ある。中でも有力とされるものを下に挙げる。
- 蛇田道公説
日本書紀仁徳天皇五十五年条にある
是後、蝦夷亦襲之、略人民、因以掘田道墓、則有大蛇発瞋目白墓出、以咋、蝦夷悉被虵毒而多死亡、唯一二人得免耳。
という、田道が大蛇となって蝦夷を破った伝説を信じた村人が、蛇田道公と田道を尊称し、祠を建て祀ったことを由来とする説。
現に蛇田には、田道が戦死したとされる面剣田という小字が存在し、1801年(享和元年)に山下町の禅昌寺で「霊蛇田道古墳」(高さ95センチ・幅34センチ)と記された石碑が発見されている[6]。
- 蛇多説
1773年(安永2年)三月成立の蛇田村風土記御用書出の冒頭に、「一村名ニ付由来」として次の伝承が記されている。
住吉当村ニ住居仕候御百姓ノ家江年々燕巣籠候處、瓜実壱ツ觜ニ含み飛来落候を、家主不審ニ存植置候得ハ、生長仕殊之外大キ瓜ニ罷成熟候ニ付、右瓜切割候得ハ、其中ゟ蛇不知数相出候ニ付、御村之者共寄合、右蛇当村未申之方江相埋メ塚ニ築、其所を蛇塚と名付候、右縁を以蛇多と村名ニ唱候所、追年蛇田と書替候由申伝ニ御座候
このように蛇田村風土記御用書出には、燕がくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、蛇多村と命名し、後年に蛇田と改称したと記されている。なお、伝承にある蛇塚とは、蛇田村風土記御用書出によると
南谷地一蛇塚高サ壱丈廻リ四捨五間
[注 3]、右ニ付委細之儀ハ村名之部江御書上仕候事
とある。
施設
交通
鉄道
道路
小字
蛇田には以下の小字が存在する[3]。
- 芋殻町
- 江向
- 大埣
- 沖
- 御蔵
- 金津町
- 金津町前
- 上中埣
- 上沼
- 上前沼
- 上谷地
- 上谷地下
- 刈場
- 川前
- 北久林
- 北経塚
- 北末毛
- 久七前
- 閘門
- 小斉:伊具郡丸森村小斎の武士である佐藤定信が侍40人と足軽33人、計73人の家臣と家族を従えて入植したことに由来する。
- 菰継
- 五軒屋敷
- 五軒屋敷前
- 境塚
- 下堀
- 〆切
- 下中埣
- 下前沼
- 下谷地
- 新大埣
- 新金沼
- 新上浦
- 新上沼
- 新上待井
- 新刈場
- 新下堀
- 新〆切
- 新下浦
- 新下沼
- 新下前沼
- 新埣寺
- 新立野
- 新堤
- 新西境谷地
- 新西前沼
- 新沼田
- 新沼向前
- 新沼向後
- 新東前沼
- 新深田
- 新丸井戸
- 新谷地前
- 新山崎
- 埣寺
- 曽波山
- 土和田
- 土和田山
- 中埣
- 中道下
- 二間堀2
- 西境谷地
- 西沼田
- 西道下
- 西道上
- 沼向
- 沼向前北
- 浜江場
- 東道上
- 東道下
- 福村北
- 福村南
- 細田
- 細沼
- 前田
- 丸井戸
- 丸沼
- 道上
- 三ツ口
- 三ツ口南
- 南久林
- 南経塚
- 南道下
- 焼谷地
- 柳下
- 山崎
- 雷神:丸森から当地に入植してきた武士である佐藤定信が佐藤家の氏神を祀った社を付近に建立したことを由来とする。
- 金沼
消滅した小字
石巻市への編入や住居表示実施の結果、2024年2月現在では消滅している小字を列挙する。
学校
市立の公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[19][20]。
番地 |
小学校 |
中学校
|
下中埣、上中埣、中埣、新谷地前、新丸井戸、金津町、金津町前、下谷地、上谷地、埣寺、新埣寺、新下前沼、新東前沼、新西前沼、下前沼、新立野、沖、雷神、前田、小斎、新西境谷地(1番地〜24番地、46番地〜58番地)、閘門(12番地〜21番地)、新下沼(53番地〜114番地)、新金沼、菰継(1番地、6番地〜11番地、16番地〜28番地、35番地2〜36番地1、47番地〜79番地14) |
石巻市立蛇田小学校 |
石巻市立蛇田中学校
|
西境谷地、下境谷地、刈場、新刈場、沼向、新沼向前、新沼向後、新上沼、丸沼、福村北、北経塚、南経塚、北久林、南久林、三ツ口、三ツ口南、浜江場、新浜江場、土和田、土和田山、新山崎、川前、曽波山、東道下、西道下、道上、新深田、新提、上待井、境塚、新下浦、新西境谷地(33番地、34番地、93番地から137番地まで)、閘門(23番地1から31番地2まで)、新下沼(53番地から114番地までを除く。)、菰継(3番地1、14番地、29番地1から34番地まで、37番地1から45番地まで)、福村南 |
石巻市立向陽小学校 |
石巻市立蛇田中学校
|
東日本大震災
2011年に起きた東日本大震災では34名の住民が犠牲となった[21]。
また、近隣に位置する門脇の地震計は震度6弱を記録した[21]。
2012年11月30日時点の蛇田における世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[22]。
世代と性別 |
死者 |
死亡率 |
当時の人口
|
男性 |
19 |
0.34% |
5,577
|
女性 |
15 |
0.25% |
6,029
|
15歳未満 |
2 |
0.11% |
1,788
|
15 - 64歳 |
27 |
0.37% |
7,287
|
65歳以上 |
5 |
0.20% |
2,501
|
合計 |
34 |
0.29% |
11,606
|
蛇田地域
蛇田地域(へびたちいき)もしくは蛇田地区(へびたちく)は石巻市蛇田支所の管区内にある地域の名前である。のぞみ野など開発が特に進んでいる地区は特に新蛇田地区といわれる[23]。
概要
近年、大字蛇田を含む蛇田地区(蛇田支所管区内)は開発が進んでおり、国勢調査によると2020年は2015年と比べて人口は12.58%、世帯数は16.53%増加しており、石巻市で最も人口が増加している地域であると言える[24]。
ちなみに、蛇田地域は蛇田の名を冠するが、石巻市蛇田支所は大字蛇田ではなく、恵み野2丁目にある[25]。
範囲
蛇田、向陽町、新境町、丸井戸、あけぼの、茜平、わかば、恵み野、あけぼの北、のぞみ野、あゆみ野を範囲とする。
参考文献
脚注
注釈
- ^ 詳しい町丁については#蛇田地域を参照。
- ^ いずれも現在の中里地域にあたる。
- ^ 一丈はおよそ3.03メートル、四十五間は81.8メートル。
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
蛇田に関連するカテゴリがあります。
|
---|
| 石巻本庁 |
| |
---|
河北総合支所 | |
---|
雄勝総合支所 | |
---|
河南総合支所 | |
---|
桃生総合支所 | |
---|
北上総合支所 | |
---|
牡鹿総合支所 | |
---|
注 | |
---|
カテゴリ |