長坂駅
長坂駅(ながさかえき)は、山梨県北杜市長坂町長坂上条にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である[2]。駅番号はCO 50[1]。標高740 mに位置する。 概要開設時からスイッチバック構造を有する駅であり、1966年の複線化後は折返し線を上下本線間に備える巻込み式構造配線となった。この構造は行違う列車同士が互いの進路を妨げ難い理想的な形態で、日本では唯一のものだった。旅客列車スイッチバック解消後も貨物列車停車のために使用されたが、貨物取り扱い廃止に伴いスイッチバックは廃止された。現在、レールは旧折返し線と旧駅構内本線寄りの一部に残り、保守用車の留置に使用されている。保守用地には旧ホームの遺構も残り、駅駐車場から確認が可能である。 急行アルプスの一部が停車していたことを継承し、「アルプス」全面特急化後も「あずさ」上り朝1本、下り夜1本が停車していたが、2017年3月4日ダイヤ改正に伴い通過となり、現在は普通列車のみ停車している[4]。 非電化時代、下り列車の機関車に対する給水は日野春駅で行われていたが、水田に大量の水が必要となる田植え時期には機関車用水の確保がたびたび困難になったため、長坂駅構内に官舎飲用水の余りを揚水する水槽を設置し、下り列車停止位置付近に設けた給水柱により、日野春給水所渇水の場合などに使用しうる予備給水所としての役割を果たしていた[5]。 北杜市の代表駅とされているが、特急列車は隣の小淵沢駅に停車する。 歴史
当駅新設までの経緯1903年(明治36年)12月21日、中央線甲府 - 富士見間が開通し、同区間には甲府・竜王・韮崎・日野春・小淵沢・富士見の各駅が設置されたが、日野春駅と小淵沢駅は駅間が13.6Kmあり八ヶ岳台地の両端に位置することから地理的に交通上の問題を抱えており、地域の産業経済の発展を望む人々は、木材薪炭などの搬出や地域で必要とする物資を搬入できる駅を望んでいた。 1915年(大正4年)12月、日野春 - 小淵沢間への信号場開設が計画されたことを受けて長坂上条区では停車場設置に向けての運動を開始し、1918年(大正7年)12月11日に12時44分着上り列車を一番列車として開業を迎えた。 当駅新設に当たっての地元の狙いは駅を拠点とした地域振興だった。これは日野春駅開設の際に日野春村長を中心として地域の九カ村が誘致を行った目的とまったく同じであり、当時、各村は日野春駅に向かう道路網の整備に多額の経費を投入している時期であったため、日野春村長は元より、各村長も前に立って鉄道当局に請願することができない立場であり、必然的に長坂上条区の請願委員会が中心となって取り組みが進められることとなった[15]。 駅開業までの運動は以下のとおりである。
駅名決定まで駅舎計画では、新駅は「日野春小淵沢間新停車場」と呼ばれていた[20]が、駅の開業時期を報じた1918年(大正7年9月24日)の峡中日報は「鳥窪駅の開業期」という表現になり、「長坂駅」という表現は12月7日山梨日日新聞の「新設停車場」という記事ではじめて登場している。当時の鉄道院の駅命名方針は、呼びやすいこと、古来からの通称で響きがよいことであり、10月16日峡中日報の「新駅名稱詮議」という記事の中で、「土地の名稱に因めば日野春村の旧長坂大日向に属するをもってこれを捨つる能わず、然れども鉄道の工区関係よりすれば従来鳥窪と稱し今日まで通用し来た事実に微してこの名稱も妥当なるものあり、鉄道院にては今日の方針として駅名は最も呼び易くかつ古来の名稱一般に響きの大なるもの選ばんとする意味もあり、鳥窪は名稱ふるわず、寧ろ辺見駅ないし奥辺見の名稱を附するが徹底的包含的の好名稱ならずやとの論議もあり折角詮議中とのことだ」と報じられていることから、開業2カ月前の段階で駅名は未定だったことがうかがわれる。「長坂駅」と決定された経緯については不明である。 (出典:[21]) 当駅周辺の都市計画当駅建設が進行していた際、長坂上条区では開業によって駅前に人戸が集住し、商業が発展することを見通して共有地の有効利用を進めていた。駅前から道路を設け、一戸分の区画を道路の東側は間口4間半奥行15間、西側は間口4間半奥行10間として移住希望者に貸付けた。貸付けに当たり設けられた「土地貸付並移住者取扱規定」には、移住申込は転籍者を優先する・移住者は村社崇敬の意志として一円以上を奉納する等の内容が定められた。 同時に制定された「管理人職務規定」では、長坂上条区の管理人が借地人からは毎月借地料を徴収して、その70%を共有金・30%を停車場発展策の経費として保管することを定めたのを始め、「共有物件分割規定」の制定も行われるなど計画的なまちづくりが行われた[22]。 委員会による基本的構想は、
の3点だった[22]。 駅広場から本通りまでの道路は幅15 mが確保された他、運輸関連業者の区域には道路両側に間口7 m・奥行15 - 22 mの敷地49区画と駅構内への貨物搬入路が設置された[21]。 商店街区域の8 m幅の道路は、県道昇格の際に当時の県道規格基準に合わせて6 m幅に削られ、現在に至っている[24]。残地となった2 m分の用地は、道路側溝整備の際に売却され、整備経費に充てたと言われている[21]。
製糸産業との関わり長坂駅建設費の寄付金額の約3割は、諏訪製糸同盟事務所・丸茂・片倉組・小口組・尾沢組と言った長野県諏訪郡の製糸工業関係者によるのものである[25]。これは、山梨県北部からの繭の買付けと製糸工場の労働力確保に期待してで、中央線は
に必要な交通機関と位置付けられ、春と夏には甲府から製糸工女団体輸送列車が諏訪地方にむけて仕立てられていた。 長坂駅の開業後、駅前旅館は見番の定宿になったのを始め、駅前には地元事業家による丸中繭糸市場と丸共繭糸市場が 1932年(昭和7年)まで開設された。長坂の取り引き値は高値だという評判から、近隣は元より遠くは長野県佐久からも繭が集まり、市場への人々によって駅前の商店街も活況を呈することとなった[17]。 駅構造相対式ホーム2面2線を有する地上駅[2]。ホームは嵩上げされていない。駅舎及び改札はスイッチバック時代の駅施設があった台地上にあり、どちらのホームへ向かうにも下り階段を降りなくてはならない。 小淵沢駅管理の無人駅であるが、駅及び駅周辺の美化活動を行うボランティアとして、JR東日本OBに名誉駅長を委嘱している[14]。簡易Suica改札機がある。 のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
利用状況JR東日本によると、2000年度(平成12年度)- 2015年度(平成27年度)の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。
駅周辺バス路線「長坂駅」停留所にて、北杜市民バスの路線が発着する。 隣の駅脚注記事本文
利用状況
参考文献
関連項目外部リンク
|