追手門学院大学
追手門学院大学(おうてもんがくいんだいがく、英語: Otemon Gakuin University)は、大阪府茨木市西安威2丁目1番15号に本部を置く日本の私立大学。1888年創立、1966年大学設置。大学の略称は追大(おいだい)。 読みはおうてもんであるが、部外者からは誤っておってもんと促音「っ」を入れて呼称されることも多い。 概要大学全体→「学校法人追手門学院」も参照
「追手門学院」は、1888年に大阪偕行社(陸軍将校らの親睦組織)が附属小学校(現在の追手門学院小学校)を設置したことに端を発する。第二次世界大戦後はGHQにより偕行社の解散が命じられて運営母体を失うが、有志の奔走により学校の存続が図られた。曲折を経て1947年に「大手前学園」が設立され[注釈 1]、次いで「追手門学院」と改称された[注釈 2]。「追手門」は学校所在地(現在の大阪市中央区大手前)の旧地名が「追手通」(明治以後は「大手通」)であったことによる。 1966年、2学部4学科からなる大学を開設。現在では、8学部8学科3研究科を有する人文社会科学系の総合大学にまで発展した。 建学精神(校訓・理念・学是)「独立自彊・社会有為」の精神の涵養を教育理念として掲げている。 沿革略歴追手門学院大学は、追手門学院創立80周年記念事業の一つとして大学開設が計画された。1964年10月、第3代追手門学院学院長に天野利武(初代学長1966.4.1 - 1978.3.31)が就任し、1966年4月、2学部4学科2専攻の追手門学院大学が創立された。 年表
基礎データ所在地
茨木総持寺キャンパス 同市太田東芝町1番1号
象徴
組織学部・学科
大学院
研究・教育機関、施設
学生生活奨学金制度独立行政法人日本学生支援機構奨学金や諸団体の奨学金を取り扱うほか、独自の貸与制奨学金や5種類の給付制奨学金制度を設けている。 事件・不祥事いじめ自殺事件→詳細は「追手門学院大学いじめ自殺事件」を参照
2007年6月8日に大学に通う在日インド人学生が神戸市の自宅のマンションからいじめを苦に飛び降り自殺をした。 学生大麻所持事件→詳細は「追手門学院大学ソルジャーズ」を参照
2018年11月6日に追手門学院大学ソルジャーズの社会学部4年生の主将と経営学部4年生の学生2人が大麻取締法違反(所持)で近畿厚生局麻薬取締部に現行犯逮捕された。2人は友人同士で、6日昼頃に自宅で一緒にいたところを逮捕された。11月8日には大学内の部室が家宅捜索された。大学による部員41人への聞き取りに対し、13人が「(主将が)大麻をやっていると聞いた」、「法に触れることをしていると知っていた」と答え、大学は大麻汚染の実態調査を進めることを発表した。アメリカンフットボール部は6日から活動を停止[2]。元主将は、大麻1.2グラムを所持した罪に問われ、検察側は懲役10ヵ月を求刑。裁判で元主将は、起訴内容を全面的に認めて「部活の主将という立場で、誰にも頼れないストレスがあった」などと述べた。2019年1月30日、大阪地裁は「大麻との親和性は認められるが、反省しているし、報道などで社会的制裁を受けている」として、被告に懲役10ヵ月、執行猶予3年を言い渡した。被告は去年12月に退学処分となった。 外部講師不適切発言問題2016年に実施したキャリア研修で、外部の講師が受講者に向けて「あなたはいらない」などと厳しく退職を勧め、「あなたのような腐ったミカンを追手門の中に置いておくわけにはいかない。まだ少しは可能性があって頑張ろうとしているミカンも腐ってしまう」と不適切発言をした。受講者によると、研修後、少なくとも数人が退職や休職をし、研修後も講師や学院幹部に数回呼ばれ、「退職勧告書」を渡された人もいたという。法人は、ホームページ上で発言が不適切だったことを認め、外部講師を委託した会社に改善を申し入れたとしている[3]。 大学関係者→詳細は「追手門学院大学の人物一覧」を参照
対外関係パートナーシップ海外提携大学国内提携校単位互換協定 小学校教員免許取得に必要な科目の履修に関する協定締結校 併設校脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |
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