清泉女子大学
清泉女子大学(せいせんじょしだいがく、英語: Seisen University)は、東京都品川区東五反田三丁目16番21号に本部を置く日本の私立大学。1938年創立、1950年大学設置。 概観大学全体聖心侍女修道会を設立母体とし、1950年、4年制女子大学として創立。キリスト教ヒューマニズムを建学精神とし、少人数教育を実践。学生一人ひとりの積極的な授業参加により、人を思いやり、コミュニケーションを通じ豊かな人間性を自然と身につけていける配慮をしている。また、少人数教育から人格的触れ合いを通じ、自分で考え決断することができる女性を育てる教育を目指し、さらに自国と他国の文化を学ぶ事から、地球市民として他者を愛する優しさを持った人間性を育てる教育を実践。 建学の精神(校訓・理念・学是)建学の精神はキリスト教ヒューマニズムにある。建学の精神達成のため、「まことの知・まことの愛」(VERITAS et CARITAS)の追究を理念とし、人間は尊厳のあるものとして創られているとの確信に基づき、研究教育を通して真理を求め、自己の主体性の確立に努めると共に広く他者の人間性を尊重し、もって人間と世界の本来の価値の実現に努めることが理念。 沿革略歴設立母体である聖心侍女修道会は、創立者ラファエラ・マリア・ポラスと姉により、1877年にマドリードで誕生。 1934年(昭和9年)、エルネスティナ・ラマリョほか3名の聖心侍女修道会の修道女が、マルセイユより来日。修道会の使徒活動は、高等女学校の卒業生を対象とする学校の開設と、黙想会や静修会の集いから始まる。1935年(昭和10年)4月、東京府東京市麻布区三河台町(現・東京都港区六本木)の旧志賀直哉邸に前身となる高等女学校卒業者対象の清泉寮学院が創立。1941年(昭和16年)、清泉寮学院を文科と家政科に分け、各科定員60名、修業年限2年の女子高等教育機関とする。1944年(昭和19年)、太平洋戦争勃発のため休校を余儀なくされ、翌1945年(昭和20年)には空襲により校舎が全焼。 戦後1950年(昭和25年)、学制改革に伴う学校教育法制定に従い、神奈川県横須賀市に国文学科、英文学科よりなる文学部単科4年制女子大学として設立。 戦後GHQ管理下で駐留軍将校宿舎として使用されていた旧島津公爵邸を、接収解除後1961年(昭和36年)、日本銀行から土地・建物を購入。1962年(昭和37年)、大学を東京都品川区へ移転。 年表
基礎データ所在地象徴校章は、全体の輪郭に楯の形とし、「正しさ」を表す。また、その中には百合の花を、清泉(Seisen)の頭文字「S」字型にしてあしらわれ、意味は「清さ」を表す。さらに、キリストの聖心によって「神の愛」を表し、その聖心を囲む鎖によって神の子としての「人間の相互愛と共同体意識」を示す。 大学歌は、清泉女子大学の前身である清泉寮学院の開設に尽力した吉田茂の前妻・吉田雪子が、作詞については歌人であり文学者である佐佐木信綱に、作曲は女子学習院で音楽を担当していた松島彜に依頼し、1936年(昭和11年)に制作された。 教育および研究組織学部2025年入学生から
2024年入学生まで
研究科附属機関
学生生活部活動・クラブ活動・サークル活動委員会(3団体)・体育会(10団体)・文化会(21団体)・愛好会(2団体)が存在する。 学祭学園祭は「清泉祭」と呼ばれ、毎年秋頃(11月頃)に開催される。春期は新入生歓迎のイベントとして「ガーデンパーティ」が開かれる。 学内奨学金→詳細は「奨学金」を参照
大学関係者と組織大学関係者組織同窓会は「麗泉会」と称し、卒業生、別科(英文別科・英語短期課程)卒業生、中途退学者および旧専攻科に在籍した者を会員として構成。また「泉会」と称する保護者組織が、学生生活のあらゆる側面からの支援を行う。 大学関係者一覧施設キャンパス島津山の上に所在する品川キャンパスのみを保有している。1989年(平成元年)、神奈川県川崎市宮前区に体育施設として宮前平キャンパスが新設されたが、2005年度をもって閉鎖された。 本館として使われている建物は、大正時代に島津公爵邸としてイギリス人建築家ジョサイア・コンドルにより設計されたイタリアルネサンス風の西洋館。2012年(平成24年)3月21日、東京都指定有形文化財として指定された。指定名称は「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)」。2019年(令和元年)12月27日、3号館として使用されている事務所と共に、国の重要文化財に指定された。指定名称は「旧島津家本邸 本館及び事務所」[2]。 キャンパス内にフウの木が植栽されており、これは旧仙台藩の藩邸時代から島津公爵邸の時代を経て今日に至る。 対外関係姉妹校他大学
脚注
外部リンク |
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