赤嶺 真吾(あかみね しんご、1983年12月8日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロサッカー選手。駒澤大学出身。ポジションはフォワード(FW)。家族は妻と一女と四男。駒沢大学時代に知り合った女性と結婚。
来歴
プロ入り以前
小学校3年生の時に従兄の影響でサッカーを始める[3][4]。1999年、中学の先輩からの勧誘と[4]全国高校選手権への憧れから、鹿児島実業高校に越境進学。それまで主にMFとしてプレーしていたが、高校に入ってからFWを志望した[4]。2001年(高校3年次)には、同期の立石飛鳥、登尾顕徳、松下年宏らと共にインターハイ及び選手権に出場し、共にベスト4入りした(選手権では準決勝で国見に敗れたが[5]、大会優秀選手に選出されている[6])。
2002年に駒澤大学へ進学。1年次は、3期先輩の深井正樹と巻誠一郎がFWに定着していたため[6][4][7] 出場機会が限られたが、2年次からは滞空時間の長いヘディングシュートを武器に[2] エースとして活躍[7][8]。2度の全日本大学選手権ベストFW賞など[2]数々の栄冠を手にした。2005年のユニバーシアード夏季大会でも優勝に貢献[9]。学生No.1ストライカーとして名を馳せた[2][7]。なお、1期後輩のFW原一樹及び巻佑樹との共存のためにMFでプレーしたこともあった[8]。
2005年6月、Jリーグ特別強化指定選手としてFC東京に加入[10][11]。同月11日開催のナビスコ杯・千葉戦で公式戦初出場を果たした[7]。
FC東京
2006年、FC東京に正式に入団[12][13]。シーズン当初はベンチ入りできずにいたが、徐々に途中出場の機会を増やしていった。プロ初ゴールはJ1第8節・千葉戦で記録。相手GKがこぼしたところを泥臭く押し込んだ。
2007年は、原博実監督から「使い続ければ二桁は(得点を)取れる」と期待を寄せられてはいたものの[14]、原は4-2-3-1の布陣を採用し、センターフォワードとしてルーカスを固定的に起用。これにより、途中出場の機会が与えられるのは2列目の攻撃的MFに限定され、赤嶺は練習試合で得点を重ねていたものの、ベンチ入りもままならなかった。しかし、第20節磐田戦で大敗したことをきっかけに、第21節柏戦からは赤嶺とルーカスが2トップを組む形での4-4-2に変更[15]。シーズン終盤には右膝外側半月板損傷により欠場したが[16]、スターティングメンバーに定着し[17]、前線からの果敢なプレスでチームを活性化[3]。FWの一角として存在感を示した。シーズン終了後入籍[1][18]。
2008年4月には、同月16日磐田戦及び19日川崎戦での連続得点など好調ぶりを見せ[19]、岡田武史率いる日本代表(A代表)候補合宿に初招集された[20]。この年の東京のFWは、赤嶺または平山相太をカボレと組ませるという起用法[21] を基本としていたため、平山の起用が続いた時期には出場時間をやや減らしたが、カボレを左ウイングに配する3トップの布陣が採用されてからは、赤嶺がセンターフォワードに入り、サイドからのボールに飛び込む形で[22] 得点を量産[注 1]。公式戦18得点と結果を残した。シーズン終了後には神戸からの獲得オファーが報じられたが[24]、大晦日にFC東京への残留を表明[25]。
2009年は平山が復調、赤嶺は出場機会を減らしていたところ、6月に磐田から完全移籍での獲得オファーが届き[26][27]、約2週間後にFC東京残留を選択[28][29]。同年9月のFC東京対磐田では、赤嶺が終盤に殊勲の決勝点を挙げ、劇的な勝利の立役者となった。同月のカボレ退団以後は同年のナビスコカップ決勝戦などで先発出場し優勝に貢献するなど出場機会を増やしたが、昨シーズンの半分以下の5得点という苦しいシーズンとなった。
2010年は、城福浩監督から「ゴール前で一瞬でマークを外せるワンタッチゴーラーとしてのよさがある」など評価されながらも[30]、出場機会は昨シーズンよりさらに減少、中断期間にベガルタ仙台から獲得オファーを受け、「もっと試合に出たい」と[31][32] 8月に仙台へ期限付き移籍した[33][34]。
ベガルタ仙台
仙台では、手倉森誠監督から「90分アグレッシブに前でボールが収まり、ゴールに向かう姿勢がある」[35]「裏への引き出しや起点としても良い」[36] と高く評価され、スタメンに定着。MF梁勇基が「ボールを受けるアクションがはっきりしているので、パスが出しやすい」とコメントし[32]、J1第28節京都戦では、ボールを持ちすぎて[35] 孤立しがちだった[37]フェルナンジーニョとのコンビネーションを手倉森から評価される[36] など、他アタッカーとの好連携を早々に築いた。J1第26節・本籍を持つFC東京との対戦では終盤に決勝点をアシストし勝利に貢献の他、試合を決定付けるゴールを決めるなど、新エースとして活躍し[38] 仙台のJ1残留の原動力の一つとなった。12月4日、鹿児島実業高校の先輩である平瀬智行の引退セレモニーの中で、後継者に指名された[38][39]。シーズン終了後には、FC東京からの契約更新、仙台からの慰留、磐田からの再オファーと、争奪となった[40][41]。古巣への復帰も考えていたが[40] FWの柱として期待する仙台の熱意に押され[41]2011年より完全移籍[42][43]。
2011年は平瀬から託された背番号14の着用を固辞し、引き続き24番で臨んだ。怪我や累積警告による出場停止を除いてリーグ戦では31試合に先発出場し前線の主軸として活躍、クラブ新記録となる5試合連続得点を挙げるなどFC東京在籍時を上回る14得点を挙げ、仙台の躍進に貢献した。2012年もリーグ戦30試合出場で14得点(内、10得点はヘディングによる[44])と活躍し、自身の目標であった「2年連続2桁得点」を達成。クラブの年間MVP及びJリーグ優秀選手賞に選出された[45]。
2013年はシステム変更や怪我の影響もありリーグ戦は3得点に留まった[46]。2014年は開幕直後こそ出場機会に恵まれなかったが、4月以降はスタメンに復帰し5月には月間MVPを受賞[47]。後半戦、チームは残留争いの渦中に立たされたが、チーム最多の9得点を決め、仙台のJ1残留に大きく貢献した[46]。
ガンバ大阪
2014年12月25日、ガンバ大阪への完全移籍が発表された[48][49]。ガンバではレギュラー争いに割って入ることができず、2015年シーズンはプロ入り初めてとなる公式戦無得点に終わった。
ファジアーノ岡山
2016年、ファジアーノ岡山への期限付き移籍が発表された。11月27日、プレーオフ準決勝・松本山雅FC戦では1-1で迎えた後半に、決勝ゴールを決める活躍をみせて決勝進出に貢献した。2017年シーズンより完全移籍に移行[50]。
2020年11月30日、契約満了による退団が発表された[51]。
FC琉球
2021年1月18日に地元のFC琉球に移籍することが発表された[52]。
12月10日、現役引退が発表された。
エピソード
- 実弟の赤嶺佑樹[53] もFC琉球などに所属したサッカー選手[54]。
- 対ジュビロ磐田戦での得点が多いことから「ジュビロキラー」と呼ばれる[55][56]。FC東京は2008年に赤嶺の決勝点でアウェイ初勝利を記録し、翌2009年のアウェイ戦も赤嶺の決勝点で勝利。同年9月のホーム戦でもロスタイムに決勝点を挙げるなど相性が良かった。
- 原博実によると「重馬場に強い選手」[57]。
- 鹿児島実業高校の同級生でFC東京やベガルタ仙台でもチームメートだった松下年宏によると「癒し系」[58]。
- FC東京のJ1通算400ゴール目(2008年9月13日、vs大宮)[59]、Jリーグ通算14500ゴール目(2010年8月22日、大宮vs仙台)、仙台のJ1通算100ゴール目(2010年9月25日、vs横浜FM)[60]、同200ゴール目(2012年10月20日、vs浦和)[61] と節目のゴールを挙げている。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2006年 - 2010年 FC東京
- 2011年 - 2014年 ベガルタ仙台
- 2015年 - 2016年 ガンバ大阪
- 2017年 - 2020年 ファジアーノ岡山
- 2021年 FC琉球
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2003 |
駒澤大 |
|
- |
- |
- |
1 |
0 |
1 |
0
|
2004 |
|
- |
- |
1 |
0 |
1 |
0
|
2005 |
FC東京 |
34 |
J1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0
|
2006 |
24 |
16 |
3 |
3 |
0 |
0 |
0 |
19 |
3
|
2007 |
15 |
4 |
4 |
2 |
1 |
0 |
20 |
6
|
2008 |
30 |
12 |
6 |
3 |
4 |
3 |
40 |
18
|
2009 |
28 |
5 |
9 |
1 |
3 |
1 |
40 |
7
|
2010 |
9 |
12 |
0 |
4 |
1 |
- |
16 |
1
|
仙台 |
24 |
15 |
4 |
- |
0 |
0 |
15 |
4
|
2011 |
31 |
14 |
3 |
0 |
3 |
0 |
37 |
14
|
2012 |
30 |
14 |
5 |
1 |
2 |
0 |
37 |
15
|
2013 |
28 |
3 |
2 |
0 |
4 |
2 |
34 |
5
|
2014 |
31 |
9 |
5 |
1 |
0 |
0 |
36 |
10
|
2015 |
G大阪 |
13 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
15 |
0
|
2016 |
岡山 |
J2 |
41 |
4 |
- |
0 |
0 |
41 |
4
|
2017 |
22 |
10 |
- |
0 |
0 |
22 |
10
|
2018 |
36 |
2 |
- |
0 |
0 |
36 |
2
|
2019 |
22 |
1 |
- |
1 |
0 |
23 |
1
|
2020 |
31 |
0 |
- |
- |
31 |
0
|
2021 |
琉球 |
27 |
3 |
- |
1 |
0 |
28 |
3
|
通算 |
日本 |
J1
|
249 |
68 |
44 |
9 |
17 |
6 |
310 |
83
|
日本 |
J2
|
179 |
20 |
- |
2 |
0 |
181 |
20
|
日本 |
他
|
- |
- |
2 |
0 |
2 |
0
|
総通算
|
428 |
88 |
44 |
9 |
21 |
6 |
493 |
103
|
その他の公式戦
その他の国際公式戦
タイトル
クラブ
- 駒澤大学
- FC東京
- ガンバ大阪
代表
- ユニバーシアード日本代表
個人
- 関東大学サッカーリーグ戦 ベストイレブン:3回(2003年、2004年、2005年)
- 全日本大学サッカー選手権大会 ベストFW賞:2回(2003年、2004年)
- Jリーグ 優秀選手賞:1回(2012年)
- Jリーグ 月間MVP:2回(J1:2014年5月, J2:2017年7月)
代表歴
ユニバーシアード代表
- 第23回ユニバーシアード(サッカー競技)夏季大会 (イズミル) 2005年8月10日-8月21日:背番号9
- 予選リーグ第1戦 タイ戦 途中出場 (後半2分) 2-1で日本勝利。
- 予選リーグ第2戦 アイルランド戦 先発フル出場 1-0で日本勝利。
- 予選リーグ第3戦 ロシア戦 出場なし 1-0で日本勝利。3戦全勝で予選突破。
- 準々決勝 ウルグアイ戦 先発出場 (後半38分交代) 1ゴール。1-0で日本勝利。
- 準決勝 モロッコ戦 先発出場 (後半0分交代) 2-0で日本勝利。
- 決勝 イタリア戦 先発出場 (後半0分交代) 3-3で引き分け、PK戦を日本が制する。
日本代表
- 2008年4月 候補入り[20]。トレーニングキャンプに参加。
脚注
- 注釈
- ^ 城福曰く「結果にこだわらなければならなかったので、石川直宏やカボレの特徴(であるスピード)を活かすシステムを採用した」。赤嶺にとっては奏功した戦術転換だったが、城福の理想に適うものではなかった[23]。
- 出典
関連項目
外部リンク
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1 - 10,000 |
- 1 マイヤー 1993.5.15
- 100 松波正信 1993.6.9
- 500 水沼貴史 1993.12.1
- 1,000 メディナベージョ 1994.8.17
- 1,500 城彰二 1995.4.5
- 2,000 エジソン 1995.8.12
- 2,500 江尻篤彦 1995.11.15
- 3,000 三浦泰年 1996.8.28
- 3,500 高木琢也 1997.5.3
- 4,000 横山貴之 1997.8.23
- 4,500 レディアコフ 1998.4.25
- 5,000 バジーリオ 1998.9.23
- 5,500 佐藤一樹 1999.4.24
- 6,000 鈴木秀人 1999.11.7
- 6,500 長谷川祥之 2000.7.1
- 7,000 久保竜彦 2001.5.12
- 7,500 久保山由清 2001.11.3
- 8,000 崔龍洙 2002.9.14
- 8,500 ヴァスティッチ 2003.5.18
- 9,000 斎藤大輔 2004.3.13
- 9,500 安貞桓 2004.9.23
- 10,000 前田雅文 2005.5.8
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10,500 - 20,000 |
- 10,500 今野泰幸 2005.11.12
- 11,000 アンドレ 2006.7.23
- 11,500 田中佑昌 2006.11.18
- 12,000 ウェズレイ 2007.6.23
- 12,500 マルキーニョス 2008.3.16
- 13,000 巻誠一郎 2008.9.14
- 13,500 鄭大世 2009.5.10
- 14,000 中山博貴 2009.11.28
- 14,500 赤嶺真吾 2010.8.22
- 15,000 辻尾真二 2011.5.22
- 15,500 ラフィーニャ 2011.9.18
- 16,000 藤田直之 2012.5.25
- 16,500 永井謙佑 2012.11.17
- 17,000 鈴木大輔 2013.7.17
- 17,500 家長昭博 2014.3.15
- 18,000 興梠慎三 2014.9.23
- 18,500 塩谷司 2015.5.23
- 19,000 高山薫 2015.11.7
- 19,500 遠藤康 2016.7.17
- 20,000 金子翔太 2017.4.21
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20,500 - 30,000 |
- 20,500 エウシーニョ 2017.9.30
- 21,000 齊藤未月 2018.7.22
- 21,500 興梠慎三 2019.3.9
- 22,000 遠藤渓太 2019.8.24
- 22,500 野上結貴 2020.8.19
- 23,000 ジェイ 2020.11.21
- 23,500 レアンドロ・ダミアン 2021.5.26
- 24,000 ミラン・トゥチッチ 2021.11.27
- 24,500 森島司 2022.7.17
- 25,000 森島司 2023.4.22
- 25,500 植中朝日 2023.10.21
- 26,000 アンデルソン・ロペス 2024.5.29
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得点王(J1 - J2 - J3) - 記念ゴール(J1 - J2 - J3) |
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※記述のない年は該当者なし | 1990年代 | |
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2000年代 |
- 00: 松永成立
- 01: ストイコビッチ
- 02: サントス
- 03: 井原正巳, 福田正博, 北澤豪
- 05: ビスマルク
- 06: 相馬直樹, 小島伸幸, 澤登正朗
- 07: 本田泰人, アマラオ, 城彰二
- 08: 秋田豊, 名良橋晃, 黒崎久志, 山口素弘
- 09: 小村徳男, 加藤望, 名波浩, 福西崇史, 森岡隆三, 森島寛晃
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2010年代 |
- 11: 三浦淳宏, 松田直樹
- 12: 藤田俊哉, 田中誠
- 13: 中山雅史, 土肥洋一, 服部公太
- 14: 伊藤宏樹, 岡野雅行, ジュニーニョ, 服部年宏, 波戸康広, 山田暢久, 吉田孝行, ルーカス
- 15: 宮本恒靖, 柳沢敦, 中田浩二, 新井場徹, 藤本主税
- 16: 山口智, 鈴木啓太
- 17: 市川大祐, 大島秀夫
- 18: 石原克哉, 加地亮, 坂田大輔, 土屋征夫, 羽生直剛
- 19: 小笠原満男, 川口能活, 中澤佑二, 楢﨑正剛, 播戸竜二, 巻誠一郎, 森﨑和幸, アレックス
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2020年代 |
- 20: 佐藤勇人, 那須大亮, 明神智和
- 21: 大黒将志, 佐藤寿人, 清水健太, 曽ヶ端準, 徳永悠平, 中村憲剛, 前田遼一
- 22: 青木剛, 阿部勇樹, 石原直樹, 大久保嘉人, 角田誠, 小林祐三, 高橋義希, 田中達也, 田中マルクス闘莉王, 田中佑昌, 玉田圭司, 谷澤達也
- 23: 上里一将, 大谷秀和, 駒野友一, 田中隼磨, 鄭大世, 富田晋伍, 中村俊輔, 橋本英郎, 藤本淳吾, 槙野智章, 水本裕貴, 本山雅志, 赤嶺真吾
- 24: 遠藤保仁, 柏木陽介, 柴﨑晃誠, 林卓人, 南雄太, 梁勇基, 渡邉千真
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Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞) |
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