西堀通
西堀通(にしぼりどおり)は、新潟市中央区の市道、またはその沿道の町名。現行行政地名は西堀通1番町から西堀通11番町。住居表示未実施区域[4]。郵便番号は951-8061[2]。 概要1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い寺町通から改称[5]。通りの名は、かつてこの通りにあった西堀(寺町堀)に沿うことに由来する[5]。 地理信濃川河口付近左岸、古町通の西側を並行するように南北へ走る片側2車線の道路である。通りは上手の白山神社側を起点に1番町から11番町まである。沿道の町名は西側が西堀通、東側が西堀前通となる。これはかつて堀の両端の道がこう呼ばれていた名残である。通りに直交する道路は小路(こうじ)と呼ばれる。交差する小路については、外部リンクの通りと小路の一覧、もしくは古町 (新潟市)#交差する小路の項を参照。 6番町から7番町にかけては、古くから古町通とともに栄えた歓楽街である。商業施設が数多く立地し、西堀ROSAと呼ばれる地下街が広がる。沿道に立つ主な施設については、古町 (新潟市)#主な施設を参照。 歴史名の由来にもなった寺町堀(寺町川とも)は、承応3年(1654年)に新潟町がこの地に移転した際、東の片原堀(現在の東堀通)とともに整備された[6]。この堀は信濃川に沿うようにやや曲がりながら進むため、自然の川を活かして整備されたという説もある[7]。堀からは信濃川へ注ぐ水路が5本(白山堀、新津屋小路堀、新堀、広小路堀、御菜堀)掘られていた[8]。通りの西側は寺町として整備され、堀に面した通りは寺町通と呼ばれていた[9]。 江戸時代には寺町通の中間点(現在の西堀交差点付近)に新潟町奉行所が、明治以降は1989年の移転まで新潟市役所が置かれた[10]。堀の東側(現在の西堀前通)は江戸時代中期まで店を構える者はほとんどいなかったが、江戸時代後期になると遊女が行き交う歓楽街となった[9]。明治5年(1872年)10月に寺町堀は西堀と改められ、埋め立てられた後に西堀通と名付けられた。西堀通は長らく東堀通に対抗する4車線の一方通行道路であったが、2008年7月24日に片側2車線の対面通行となった[11]。 年表
世帯数と人口2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。
地域西堀通は1番町から11番町まであるが、一番堀通町に隣接して1番町がはじまる古町通などとは異なり、西堀前通2番町付近から1番町がはじまる。1879年(明治12年)以前には1番町から12番町まで設置されたが、1887年(明治20年)に1番町が削除されて以下が繰り上げられ、1番町から11番町に改められた[5]。 1番町から4番町
5番町から6番町柾谷小路を中心に、地下街「西堀ROSA」や商業施設、都市銀行の支店がある。かつてはラフォーレ原宿・新潟や(小林百貨店→)新潟三越もあった。
7番町から8番町
9番町から11番町
交通脚注
参考文献
外部リンク |