長潟 (新潟市中央区)

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長潟
新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟) メインスタンド正面
新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟) メインスタンド正面
長潟の位置(新潟市内)
長潟
長潟
長潟の位置
長潟の位置(新潟県内)
長潟
長潟
長潟 (新潟県)
北緯37度53分16.5秒 東経139度4分8.37秒 / 北緯37.887917度 東経139.0689917度 / 37.887917; 139.0689917
日本の旗 日本
都道府県 新潟県
市町村 新潟市
中央区
人口
2018年(平成30年)1月31日現在)[1]
 • 合計 2,665人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
950-0932[2]
市外局番 025 (新潟MA)[3]
ナンバープレート 新潟

長潟(ながた)は、新潟県新潟市中央区町字。現行行政地名は長潟一丁目から長潟三丁目と大字長潟。住居表示は一丁目から三丁目が実施済み区域、大字が未実施区域[4]郵便番号は950-0932[2]

概要

1889年(明治22年)から現在までの大字。及び1985年(昭和60年)から現在までの町名[5]鳥屋野潟南部の低い砂丘上に位置する[5]。もとは1889年(明治22年)まであった長潟新田の区域の一部。

昭和40年代後半から人口が増加し、住宅地として発展した[5]

隣接する町字

北から東回り順に、以下の町字と隣接する。

鳥屋野潟を挟んで紫竹山と隣接。

歴史

1640年(寛永17年)に、加賀国細坪村の仁兵衛、清蔵ら8名が移住したことにより開発[5][6]

分立した町字

1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。

清五郎 (せいごろう)
1962年(昭和37年)に、長潟の一部が改称してできた町名[5]。地名は、この地で最初に死亡した開拓者である「清五郎」にちなむ[7][8]
南長潟 (みなみながた)
1985年(昭和60年)に、長潟の一部が改称してできた町名[5][9]

年表

  • 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により山潟村の大字となる。当初は長潟新田と称した。
  • 1901年(明治34年)11月1日 : 合併により石山村の大字となる。
  • 1943年(昭和18年)5月3日  : 合併により新潟市の大字となる。
  • 1985年(昭和60年) : 一部が長潟1~3丁目となる[5]
  • 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、中央区の大字となる。

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字丁目 世帯数 人口
長潟 275世帯 764人
長潟一丁目 212世帯 485人
長潟二丁目 398世帯 887人
長潟三丁目 239世帯 529人
1,124世帯 2,665人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]

大字・丁目 番地 小学校 中学校
長潟 全域 新潟市立山潟小学校 新潟市立山潟中学校
長潟一丁目 全域
長潟二丁目 全域
長潟三丁目 全域

主な企業・施設

文化

藻たぐり甚句
堀に生えた藻を刈り取る動作を取り入れて作られた甚句。別名「長潟甚句」[11]

交通

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月5日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月5日閲覧。
  4. ^ 町名一覧表”. 新潟市 (2017年7月20日). 2018年3月5日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 角川地名15、p.968
  6. ^ 新潟市合併4、p.223
  7. ^ 角川地名15、p.763
  8. ^ 歴双8、p.114
  9. ^ 角川地名15、p.1265
  10. ^ 通学区域一覧(町名別五十音索引)”. 新潟市 (2017年4月1日). 2018年3月5日閲覧。
  11. ^ 新潟1998、p.70

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3 
  • 『新潟市合併町村の歴史 第4巻 中蒲原郡から合併した町村の歴史 下』新潟市、1986年2月28日。 
  • 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。 
  • 『美しい新潟 - 総集編』新潟市総務局総務部広報課、1998年3月。 

関連項目