臼井 (つくば市)
臼井(うすい)は、茨城県つくば市の大字。郵便番号は300-4211[2]。 筑波山の南麓に位置する集落で、縄文時代の遺跡や古墳が多く見つかっている[3]。 地理つくば市北部の旧筑波町北東部に位置し[4]、筑波研究学園都市周辺開発地区に含まれる。筑波山の南麓にあたり、山から流出する豊かな沢水に恵まれている[5]。農業地域であり、臼井・立野(たての)・六所(ろくしょ)の3つの集落がある[4][6]。
北はつくば市筑波、東は石岡市小幡、南はつくば市神郡、西はつくば市筑波(飛地)・沼田と接する。 小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、秀峰筑波義務教育学校の学区となる[7]。 歴史縄文時代中期の遺跡が小字臼井、六所、立野、裳萩津(もはきつ)で発見されており、裳萩津遺跡からは土師器や須恵器の出土もあった[3]。裳萩津は奈良時代に歌垣(嬥歌)が行われた地「裳羽服津」(もはきつ)とされ、夫女が原(ぶじょがはら)の異名を持つ[3][6]。このほか、赤塚古墳群、七三塚古墳群[3]、3つの円墳を持つ臼井古墳群、6つの円墳を持つ燧ヶ池古墳群、水城を思わせる遺構のある十三塚遺跡がある[6]。南隣の神郡と同じく[6]、臼井にも古代の条里制遺構があったが、1979年(昭和54年)の耕地整理で失われた[3]。 文字による記録では、文禄4年7月16日(グレゴリオ暦:1595年8月21日)付の佐竹義宣知行充行状写に「四百九拾六石五斗壱升 臼井」という記載がある[3]。江戸時代を通して常陸国筑波郡に属した[3]。当初佐竹氏領であったが、慶長7年(1602年)に天領、慶長11年(1607年)に真壁藩領、正保2年(1645年)に旗本の井上氏領、元禄年間(1688年 - 1704年)に護持院領、幕末に筑波山神社領と目まぐるしく変遷した[3]。元禄8年(1695年)に中禅寺領となったとする記録もある[6]。この時代には近隣の村と水争いや山林所有を巡る争いを展開し、支配者である護持院に強訴することもあった[3]。農村であったが、筑波山への登山口として発達し、幕末には水車を利用した製粉や油搾りが行われた[3]。 明治以降は大字となり、今日まで存続している。1966年(昭和41年)には、筑波山の観光開発が原因の山津波(土石流)が発生した[3]。1989年(平成元年)、都市住民が自然や農村を体験することのできる場として「筑波ふれあいの里」が開業した[8]。ふれあいの里は宿泊・研修施設を中心に、遊歩道や冒険広場、展示館、各種体験を提供する施設を有する[8]。 臼井では農業従事者の減少により耕作放棄地が増え、イノシシなどによる食害が増えるとともに、地区の過疎化が進んでいる[9]。一方まちづくり活動も行われ、里山の整備によって姿を現した滝に「六所の滝」と名付ける[10]、筑波大学の教授や学生と協力して古民家を臼井に移築し、グリーンツーリズムの拠点とするなどの取り組みが見られる[11]。 沿革
地名の由来諸説ある[3]。 世帯数と人口2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
交通首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX)つくば駅から自動車で北へ約40分ほどの距離にある[9]。
施設
寺社
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |