安食 (つくば市)
安食(あじき)は、茨城県つくば市の大字。郵便番号300-4205。 地理北は下妻市高道祖、北東は寺具、東は作谷、南東は西高野、南は吉沼、南西は下妻市亀崎、西は下妻市樋橋、北西は下妻市柳原に隣接している。 小字小字は以下の通り[2]。
歴史江戸期は安食村であり、常陸国筑波郡のうち。はじめ多賀谷氏領、慶長7年幕府領、元和8年大名堀氏領、延宝7年幕府領。村高は、寛永18年には本田畑588石余・開発田畑138石余、寛文6年検地では1,045石余(田42町余・畑91町余でうち屋敷は81筆2町余)、「元禄郷帳」1,051石余、「天保郷帳」「旧高薄」ともに1,045石余。享保11年見取場、寛保3年新田、延享3年原地新田の検知があった。真言宗一乗院・安住寺・西光院・正光院、鎮守三次神社があった。小貝川には安食河岸と渡船場があった。年貢米は鬼怒川の宗道河岸まで駄送りした。堀氏が領主の時には百姓家数157、足黒池・下池・下門池の溜池と猪よけをかねた2,100間余の用水堀をつくった。18世紀後半には村の荒廃が著しく、安永9年の百姓家数102軒、天明2年は荒田畑35町となる。寛政9年代官竹垣三右衛門は越後国から農家10」を招致し、村の復興に尽力した。元治元年の戸数109・人口503、馬45。明治8年茨城県、同11年筑波郡に所属。明治10年一乗院境内に安食小学校を創設。明治22年作岡村の大字となる[3]。 年表
世帯数と人口2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
施設
交通道路公共交通脚注
関連項目
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