第1空挺団 (だいいちくうていだん、英 : JGSDF 1st Airborne Brigade)は、陸上自衛隊 の空挺 部隊である。団 編制 となっており、3個普通科 大隊 を基幹としている。専門的機能を備えた機動運用部隊として、陸上総隊 隷下にあり、千葉県 船橋市 の習志野駐屯地 に所在する。
部隊の標語は「精鋭無比」および「挺身赴難」。陸上自衛隊唯一の特殊部隊 である特殊作戦群 創設の際には母体ともなった。また「千葉隊区長」として、高射学校 、需品学校 と共に千葉県全域の災害派遣 を担当するほか、北部を中心に16市8町の災害派遣・広報などを担当する。
なお、陸上自衛隊における「空挺団」は本団のみであり、「第2空挺団」や「第3空挺団」などは存在しない。
概要
習志野駐屯地(正門)
第1空挺団は空中機動作戦 、即ち航空自衛隊 の輸送機 (C-1 ・C-130H ・C-2 )からの落下傘 降下による空挺作戦(エアボーン 作戦)と、陸上自衛隊のヘリコプター (UH-1J ・UH-60JA ・CH-47J/JA ・UH-2 ・V-22 )を使ったヘリボーン 作戦を展開する能力をもった空挺部隊である。また、各国軍の空挺部隊と同様、精鋭軽歩兵 としての位置付けがなされている。そのため、国内に浸透した特殊部隊 に対して即応することを要求されている。
創設後、しばらくは東部方面隊 隷下ではあるが防衛庁長官 直轄の機動運用部隊と位置付けられてきた[ 1] 。その後、2007年(平成19年)、高い即応性を持つ機動運用部隊として中央即応集団 の隷下へと編成 替えとなり[ 2] 、2018年(平成30年)3月には中央即応集団廃止に伴い陸上総隊 隷下部隊に移行した[ 3] 。
部隊編制は、団本部 および3個普通科大隊のほか、特科 大隊、後方支援隊などからなり、空挺教育の部隊も含まれている。訓練に際しては、習志野演習場をはじめとする各地の演習場のほか、輸送機への搭乗には海上自衛隊下総航空基地 の利用も行われる[ 4] 。海上への降下訓練は、鋸南町 沖合の海域などが使われる[ 5] 。
帝国陸軍挺進団(挺進部隊)からの伝統
第1空挺団の事実上の前身は、太平洋戦争 (大東亜戦争 )緒戦の南方作戦 (蘭印作戦 )のパレンバン空挺作戦 などで活躍し、「空の神兵 」と謳われた帝国陸軍 挺進部隊 (第1挺進団・第2挺進団・滑空歩兵連隊・挺進飛行団等:第1挺進集団 )である[ 6] 。
第1空挺団は、初代空挺教育隊 長および第1空挺団初代団長 を務める衣笠駿雄 元陸軍少佐 (のち第8代陸上幕僚長 ・第6代統合幕僚会議議長 。最終階級は統幕議長たる陸将 )[ 7] に率いられ、帝国陸軍挺進部隊の元隊員らから構成される第1次研究員20名によって創設された。また創成期に空挺教育隊研究科長を務めていた田中賢一 元陸軍少佐(のち空挺普通科群 長、第1空挺団副団長。最終階級は陸将補 )[ 8] 。は、戦時中は一貫して帝国陸軍挺進部隊に属する挺進兵であり、旧挺の伝統継承に尽力し空挺団の土台を構築した。
隊歌 は「空の神兵 」がそのまま継承されており、「降下訓練始め」では歌唱付きで場内放送される。また、習志野駐屯地の空挺館(旧陸軍施設)では帝国陸軍挺進部隊の顕彰展示がされているほか、OB会である全日本空挺同志会 により「空の神兵之像」が同駐屯地内に建立されている。
沿革
自由降下(習志野演習場 上空)
C-1からの自動索降下(「第1空挺団降下訓練始め」にて)
CH-47からのファストロープ降下(「第1空挺団降下訓練始め」にて)
C-130H 支援の第1空挺団降下
草創期
1952年 (昭和 27年)
月不明:戦後日本において、保安隊から陸上自衛隊への改編に際し、陸上自衛隊の目標、基盤となる最精鋭部隊の創設が検討される。当時は米軍供与のC-46輸送機も不足しており、空挺部隊として国防作戦での具体的な運用案はなかった。また、米国陸軍の軍事顧問団長であったジェラルドJ.ヒギンズ少将の勧告も受け、精鋭部隊という位置付けで空挺部隊創設が選択された。
6月 :衣笠駿雄元陸軍少佐、第一幕僚監部にて、米軍と自衛隊の機甲戦力差、普通科部隊の特科火力による支援を前提にした運用を新設空挺部隊にも適用することに疑問を呈する。各人の戦闘能力を重要視した「特殊作戦」を行う部隊としての地位を具申。
1954年 (昭和 29年)
臨時空挺練習隊
空挺教育隊
空挺教育隊・第101空挺大隊
1956年 (昭和31年)
1月25日:空挺教育隊隷下に第101空挺大隊が編成。
8月:55式傘(分離式)使用開始。
10月8日 :島松演習場において第7混成団統裁で陸上自衛隊初の対空挺演習に対抗部隊として参加(~10月10日 まで)。
1958年 (昭和33年)
1月:レンジャー集合訓練を開始。
6月24日:第101空挺大隊(習志野駐屯地)を廃止。
第1空挺団
1958年 (昭和33年)6月25日:第1空挺団が編成完結。初代団長は衣笠駿雄(陸士48期)。
1958年創設当時の編成
団本部(団本部中隊)、普通科群、特科大隊、施設隊、無反動砲隊、管理中隊、衛生隊、空挺教育隊
1960年 (昭和35年)
1961年 (昭和36年)
4月:60式主傘 (分離式)使用開始。
9月:田中賢一空挺教育隊研究科長、「空挺作戦の運用および空挺部隊の編制等に関する中間報告」を陸幕へ報告。第二次大戦時、イギリス空挺コマンド「ウィンゲート旅団」が行った作戦を参考に、「地域阻止作戦(空挺堡の占領確保による任務達成ではなく、広域で敵の行動を阻止するゲリラコマンド作戦)」を提案する。
11月:自由降下の研究開始。
1962年 (昭和37年)
1月18日:情報小隊特車班が空挺普通科群本部中隊空挺戦車小隊 に改称[ 10] 。
4月:第1期レンジャー課程教育が開始。
1968年 (昭和43年)8月1日:無反動砲隊を対戦車隊 (64式対戦車誘導弾を装備)に改編。
1969年 (昭和44年)4月:第1期自由降下課程訓練を開始。
1972年 (昭和47年)6月 :航空自衛隊のC-1輸送機で試験降下開始。
1973年 (昭和48年)3月8日:空挺戦車小隊が60式装甲車 5両からなる空挺普通科群本部直轄空挺装甲輸送隊 に改編[ 10] 。
1984年 (昭和59年)6月:航空自衛隊のC-130Hでの試験降下開始。
1987年 (昭和62年)3月26日:空挺普通科群 に第4普通科中隊が新編。
1994年 (平成 0 6年)7月 :50万回無事故降下達成。
1995年 (平成0 7年)
5月 :山梨県 上九一色村 のオウム真理教施設に対する強制捜査の際に、教団側の小銃等を使用した抵抗を想定して、第1空挺団の普通科群の1個中隊が富士駐屯地 に訓練名目で移動して待機していたとされる[ 11] 。
7月:新自由降下傘(MC-4)使用開始。
1999年 (平成11年)11月7日:横須賀周辺および相模湾において海上自衛隊艦艇5隻とともに在外邦人等輸送訓練を行う。
2000年 (平成12年)7月:12傘 (空挺傘M696M1。フランス 製(藤倉航装 でライセンス生産 ))
2002年 (平成14年)3月27日:管理中隊 及び落下傘整備中隊を統合し、後方支援隊 を新編。
2002年頃の主要編成
団本部(団本部中隊)、普通科群、特科大隊、施設隊、対戦車隊、後方支援隊、空挺教育隊
2003年度部隊改編
空挺普通科群および対戦車隊を廃止し、3個普通科 大隊 を新編[ 12] 。
団本部中隊隷下の通信小隊 を独立させ通信中隊 に改編。
施設隊 を拡充し、施設中隊 に改編。
2004年頃の主要編成
団本部(団本部中隊)、第1・第2・第3普通科大隊、特科大隊、通信中隊、施設中隊、後方支援隊、空挺教育隊
2006年 (平成18年)4月:第10次イラク復興支援群 に警備部隊として派遣される。同年2月にはイラク派遣を逃れるために二等陸曹がホームセンターで万引きをして逮捕されている[ 13] 。
2007年 (平成19年)3月28日 :中央即応集団 発足により、東部方面隊隷下から中央即応集団隷下に編成替え。
2011年 、3月、東北地方で発生した東日本大震災 において、福島第一原発 における原子炉の冷却作戦や周辺地域での行方不明者捜索や復興支援活動に部隊を派遣。
2012年 (平成24年)5月:オーストラリア で開催された、米英仏加および東南アジア各国が参加する豪陸軍主催射撃競技会(AASAM: Australian Army Skill at Arms Meeting)に陸上自衛隊として初めて参加。結果は15ヶ国中14位。1位とは2倍近いスコアの差をつけられたが、空挺団が持参していたのは狙撃銃ではなく89式小銃 であった。ホストのオーストラリア軍も「各国は500メートル以上用の狙撃銃を使用したが日本チームは300メートル用の銃で、照星のみで照準器は無かった」とコメントしている。そのため150人程度が参加する「個人の部」では、殆どが80位以下で、中には最下位に近い者もいた[ 14] 。
2013年 (平成25年)
5月:昨年に続きオーストラリアの豪陸軍主催射撃競技会(AASAM)に参加。昨年の反省をふまえて今度は全国から14人を選抜して大会に臨み、15ヶ国中9位の成績となった。ちなみに、2015年大会では陸自各部隊から選抜された一人(普通科の三等陸曹)が、「小銃300メートル伏撃ち」で優勝に輝いた。
11月20日:鹿児島県 南大隅町 の浜尻海岸沖にて、同海域として初めてとなる水上降下訓練を実施する[ 15] 。
2015年 (平成27年)3月26日:空挺特科大隊第3射撃中隊を習志野駐屯地に新編。
2016年 (平成28年)南スーダン 平和維持活動へ部隊を派遣
2017年 (平成29年)1月8日:毎年恒例の降下訓練始めに米陸軍特殊部隊・グリーンベレー が初めて参加[ 16] 。
2018年 (平成30年)3月27日:中央即応集団 の廃止および陸上総隊 発足により、陸上総隊隷下に編入[ 3] 。
2019年 (令和 元年)
2020年 (令和0 2年)3月4日:第319期基本降下課程において、女性の3曹が養成課程を修了し、16日付で第1空挺団に配属され、初の女性団員が誕生した[ 20] [ 21] [ 22] 。
編成
コブラゴールド演習に参加した第1空挺団の隊員(2012年)
毎年1月に習志野演習場 で行われる「第1空挺団降下訓練始め」での訓練展示における、軽装甲機動車 による突撃 の模様
2008年 (平成20年)4月 現在の空挺団の編成は団本部および団本部中隊 (自由降下課程を修了した隊員を中心とする降下誘導小隊 、偵察 小隊で編成され、先遣降下を任務とする)を中心とし、3個普通科 大隊 、特科 大隊、通信 中隊、施設 中隊、後方支援隊(隊本部、整備隊 、輸送小隊、衛生小隊、落下傘整備中隊)となっている。定員は1,900人。
1999年 (平成11年)、海外における邦人 保護を目的とした50人規模の「誘導隊」が第1空挺団内にローテーション編成された。ほかに空挺教育隊があり、空挺隊員 の育成はそこで行っている。
1958年 (昭和33年)6月、発足当時の編成は団本部および本部中隊、普通科群(3個中隊)、特科大隊(2個迫撃砲中隊)、無反動砲隊、施設隊、落下傘整備中隊、衛生隊、管理中隊から成り人員は約1,350人であった[ 23] 。
部隊編成
編成表
HQ 団本部
団本部中隊
第1普通科大隊
第1中隊
本部中隊
第2中隊
第3中隊
第2普通科大隊
第4中隊
本部中隊
第5中隊
第6中隊
第3普通科大隊
第7中隊
本部中隊
第8中隊
第9中隊
特科大隊
第1中隊
本部中隊
第2中隊
第3中隊
通信中隊
施設中隊
後方支援隊
陸上自衛隊空挺教育隊
主要幹部
官職名
階級
氏名
補職発令日
前職
第1空挺団長 兼 習志野駐屯地司令
陸将補
若松純也
2022年0 3月30日
第8師団 副師団長 兼 北熊本駐屯地 司令
副団長
1等陸佐
髙倉敬
2024年0 3月18日
陸上自衛隊九州補給処 総務部長
高級幕僚
1等陸佐
久我健児
2024年0 8月0 2日
空挺教育隊 長 ※2025年1月1日 1等陸佐昇任
歴代の第1空挺団長 (特記ない限り陸将補)
代
氏名
在職期間
出身校・期
前職
後職
0 1
衣笠駿雄 (1等陸佐)
1958年0 6月25日 - 1958年0 7月31日
陸士 48期・陸大 55期
空挺教育隊長
陸上幕僚監部 第3部研究班長
0 2
渡邊利亥
1958年0 8月0 1日 - 1963年0 3月15日 ※1961年0 1月0 1日 陸将補昇任
陸士45期・ 陸大53期
陸上幕僚監部第3部業務計画班長 (1等陸佐)
東部方面総監部 幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令
0 3
片木良平
1963年0 3月16日 - 1966年0 3月15日 ※1964年0 7月0 6日 陸将補昇任
陸士46期
陸上自衛隊富士学校 普通科教育部長 (1等陸佐)
第1教育団 長 兼 武山駐とん地司令
0 4
花見侃
1966年0 3月16日 - 1968年0 3月15日
陸士47期・ 陸大57期
第3師団 副師団長 兼 千僧駐とん地司令
陸上幕僚監部付 →1968年10月31日 退職(陸将昇任)
0 5
倉重翼
1968年0 3月16日 - 1970年0 6月30日
陸士52期
陸上幕僚監部第1部副部長
北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐とん地司令
0 6
越智誠一
1970年0 7月0 1日 - 1971年0 8月19日
陸士54期
第1空挺団副団長
東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令
0 7
八木正忠
1971年0 8月20日 - 1973年0 3月15日 ※1972年0 7月0 1日 陸将補昇任
陸士54期
富士教導団 副団長 (1等陸佐)
自衛隊体育学校 長
0 8
那須明
1973年0 3月16日 - 1976年0 7月0 1日 ※1975年0 7月0 1日 陸将昇任
陸士54期
陸上幕僚監部監察官
退職
0 9
小林正信
1976年0 7月0 1日 - 1980年0 3月16日 ※1979年0 7月10日 陸将昇任
陸士59期・関西大学 昭和24年卒
第1空挺団副団長
第1師団 長
10
若月勲
1980年0 3月17日 - 1982年0 6月30日 ※1980年0 7月0 1日 陸将補昇任
名幼 47期・中央大学 昭和28年卒
第10師団 司令部幕僚長 (1等陸佐)
北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令
11
水野智之
1982年0 7月0 1日 - 1984年0 6月30日
防大 1期
第5師団 司令部幕僚長
自衛隊富士学校普通科部長
12
小林英雄
1984年0 7月0 1日 - 1986年0 7月31日 ※1985年0 3月16日 陸将補昇任
防大1期
中部方面総監部人事部長 (1等陸佐)
第10師団副師団長 兼 守山駐屯地 司令
13
楠元惇之
1986年0 8月0 1日 - 1989年0 3月16日
防大1期
自衛隊愛知地方連絡部 長
退職
14
木家勝
1989年0 3月16日 - 1991年0 3月15日
防大6期
北部方面総監部防衛部長
陸上自衛隊幹部候補生学校 長 兼 前川原駐屯地 司令
15
土井義彦
1991年0 3月16日 - 1993年0 6月30日
防大7期
第9師団 副師団長 兼 青森駐屯地 司令
陸上自衛隊東北地区補給処 長
16
山本勝
1993年0 7月0 1日 - 1996年0 3月24日
防大9期
自衛隊沖縄地方連絡部 長
陸上自衛隊富士学校副校長
17
高橋佳嗣
1996年0 3月25日 - 1998年0 6月30日
防大11期
陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長
自衛隊体育学校長
18
衣笠陽雄
1998年0 7月0 1日 - 2001年0 1月10日
防大13期
第6師団 司令部幕僚長
陸上自衛隊関西補給処 長 兼 宇治駐屯地 司令
19
直海康寛
2001年0 1月11日 - 2002年0 3月21日
防大16期
陸上自衛隊富士学校特科部長
陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令
20
火箱芳文
2002年0 3月22日 - 2003年0 3月26日
防大18期
中部方面総監部幕僚副長
北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地 司令
21
寺崎芳治
2003年0 3月27日 - 2005年0 1月11日
防大20期
陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長
東北方面総監部幕僚副長
22
木野村謙一
2005年0 1月12日 - 2006年0 8月0 3日
防大23期
陸上幕僚監部人事部人事計画課長
陸上幕僚監部運用支援・情報部長
23
岡部俊哉
2006年0 8月0 4日 - 2008年0 7月31日
防大25期
陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長
西部方面総監部幕僚副長
24
永井昌弘
2008年0 8月0 1日 - 2010年0 7月25日
防大25期
東北方面総監部幕僚副長
陸上自衛隊富士学校特科部長
25
山之上哲郎
2010年0 7月26日 - 2012年0 7月25日
防大27期
第3師団副師団長 兼 千僧駐屯地 司令
陸上幕僚監部教育訓練部長
26
前田忠男
2012年0 7月26日 - 2013年12月17日
防大31期
陸上幕僚監部装備部装備計画課長
陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令
27
岩村公史
2013年12月18日 - 2015年0 8月0 3日
防大29期
中央即応集団副司令官
陸上自衛隊富士学校副校長
28
兒玉恭幸
2015年0 8月0 4日 - 2018年0 3月26日
防大33期
陸上幕僚監部人事部募集・援護課長
陸上幕僚監部監察官
29
戒田重雄
2018年0 3月27日 - 2020年0 8月24日
防大35期
西部方面総監部幕僚副長
陸上幕僚監部運用支援・訓練部長
30
堺一夫
2020年0 8月25日 - 2022年0 3月29日
防大36期
西部方面総監部幕僚副長
東部方面総監部幕僚長 兼 朝霞駐屯地司令
31
若松純也
2022年0 3月30日 -
防大36期
第8師団 副師団長 兼 北熊本駐屯地 司令
空挺訓練生
降下訓練塔。
空挺訓練生になるためにはいくつかの条件がある。
年齢は陸曹 が36歳未満、陸士 が28歳未満
適性検査は知能・性格・作業素質・職業適性の各検査に適性があることが条件である。
体力検定は一般が5級以上で、 第1法が各種目最低45点以上、第2法が合計160点以上となり、空挺式では懸垂・かがみ跳躍等5種目の各最低60点以上となっている。
体格は身長 161cm以上、体重 49kg以上、胸囲78.5cm以上
血圧 は34歳以下で140mmHg~100mmHg、90mmHg以下となっている。
肺活量は3200cm3 以上
その他においては握力30kg以上、呼吸停止50秒以上、その他の検査等
スポーツ
ラグビー部 は関東社会人リーグ1部 に所属している。
様々な大会に出場し、嘗ては上位入賞の好成績を挙げていた。
実際に、富士山 で行われる富士登山駅伝 では、滝ヶ原自衛隊(富士教導団 普通科教導連隊 など)と毎年優勝争いをしていた。また自衛隊内での交流試合や大会などにおいても常に優勝していた。
近年では衰退が著しく、銃剣道は初戦敗退している。背景として、志願者母数の減少と、景気回復による民間企業チームの力量向上があげられている。
モットー
風林火山 。それぞれ各種の競技会 に掛けている
「風」:疾きこと風の如く。持続走 競技会のこと。
「林」:徐かなること林の如し。射撃 競技会のこと。
「火」:侵掠すること火の如く。ラグビー 競技会のこと。
「山」:動かざること山の如し。武道 競技会のこと。(銃剣道 、徒手格闘 、剣道 および柔道 からなる。)
降下の心構え
確実
機敏
細心
大胆
協同
前動続行
いかなる犠牲があろうとも、任務遂行のため命令どおりに指示を続行すること。不屈の精神を現す。
空挺精神【精鋭無比】
空挺隊員は、強靭な意志と追随を許さない創意と挺身不難の気概とを堅持し、剛胆にして沈着、機に応じ自主積極的に行動し、たとえ最後の一員となっても任務の達成に邁進しなければならない。他の隊員やマニアなどから“第1狂っている団” などと言われる理由はここにある。
所在地
駐屯地 の住所は千葉県 船橋市 薬円台 であり、船橋市習志野台 は習志野市 ではなく、駐屯地名とその住所は一致しない。駐屯地の名は、かつて付近一帯が習志野 と呼ばれていたことに由来する(明治天皇 が1873年 (明治 6年)4月 の陸軍演習 行幸 後、指揮官の篠原國幹 陸軍少将 を皇居 に呼び、演習した土地を「習志野原」(「篠原に習え」の意味。正しくは「倣え」)と命名した。
駐屯地は国道296号 (成田街道)沿いの船橋市と習志野市に隣接する住宅地の真ん中にあり、演習場の半分以上は八千代市 高津となっている。また演習場の南側一部の境界はそのまま習志野市と八千代市との境界になっている。最寄駅は新京成線 習志野駅 。
警備隊区
登場作品
映画
『宣戦布告 』
『第八空挺部隊 壮烈鬼隊長 』
『右向け左!自衛隊へ行こう 』
『ミッドナイト・イーグル 』
『風が通り抜ける道 』沖縄県 後援、カンヌ国際映画祭 2023年 披露上映作品、沖縄国際映画祭 2023年 正式出品作品、一般劇場公開2024年(イオンエンターテイメント )
ドラマ
『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班 』
公安機動捜査隊 の稲見朗が第1空挺団出身の元自衛官。
小説
『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 』
大規模な空挺降下作戦 を実行し、帝国に奇襲 をかける。
『ゼロの迎撃』
既に壊滅した特殊作戦群 の替わりとして北朝鮮 特殊部隊 の拠点と思われたビルに1個分隊 が突入するが、罠にはまり爆発 に飲み込まれてしまう。また、錦糸町に立てこもる北朝鮮特殊部隊の別働隊を掃討。警察力では太刀打ちできなかった別働隊を制圧した。
『黙示の島 』
登場人物の一人が第1空挺団(および冬季戦技教育隊 )出身の元自衛官。作品の舞台となる太平洋上の小島にてひっそりと生活していたが、これは自衛隊が来るソ連侵攻に備え、特殊訓練経験者を全国の小島に離島残置工作員 として配置したため。
『土漠の花 』
ソマリア の国境付近で墜落したヘリコプターの捜索救助を行っていた、陸上自衛隊の空挺団の精鋭12人が民族紛争 に巻き込まれてしまう。
『東京×異世界戦争 自衛隊、異界生物を迎撃せよ』
異界生物に襲撃されていた東京消防庁 の特殊救急車 を救助し、聖バジル国際病院の警護を担当する。
『特殊作戦群追跡す!』
佐渡島 等のレーダーサイトの臨時警備についていた。また、佐渡島 の部隊は不明勢力と交戦し一方的な被害を出した後、島内の警戒に当たった。
『日本国召喚 』
第1巻で警視庁 SAT とともにロウリア王城内へとヘリボーン で突入し、王であるハーク・ロウリア34世をSATに逮捕させる。また第6巻では、ムー国の特殊部隊に教育を行っている事が語られている。
『ブラッドバス』
深見真 の小説。主人公の一人、入江公威が第1空挺団の隊員。また冒頭にて、第1空挺団が特殊作戦群や西部方面普通科連隊 とともに自衛官を極秘に海外へ派遣して実戦経験を積ませる様子が描かれる。
『ラブコメ今昔 』
有川浩 の短編小説集。表題作「ラブコメ今昔」の主人公である今村和久二等陸佐 が第1空挺団所属の大隊長。
『エアボーンウイッチ~異世界帰りの魔導師は、第1空挺団に所属しました~ 』
呑兵衛和尚 の小説。主人公の如月弥生が、異世界から帰還した際に第1空挺団に所属。日本初の魔導師として自衛隊活動に参加している。
アニメ・漫画
『RAID ON TOKYO』
小林源文 の漫画。日本の新政府の要請で東京占領を行おうとするソ連軍に対し、超法規的に出動。国会議事堂 にUH-1H でヘリボーンを行う。しかし先に展開していたソ連軍と戦闘状態に陥り皇居 へと撤退。以後は第1戦車大隊 や東京湾内に展開した海上自衛隊 護衛艦隊から支援を受けつつ、占領された国会議事堂や各省庁の奪取を目指して動く。
『暗殺教室 』
防衛省 の烏間 惟臣が第一空挺団の出身者。
『空母いぶき 』
中国軍 に占領された与那国島 を奪還するため、特殊作戦群 と共にC-2 から空挺降下作戦 を行う。
『習志野第一空挺団』
『バトルオーバー北海道』
小林源文 の漫画。ソ連軍に占領された蘭留山に多数のUH-1H を用いてヘリボーンし、これを占領する。
『魔法少女特殊戦あすか 』
特殊作戦群 本部の魔法少女特殊戦開発部隊「M班」の隊員として第1空挺団出身者が登場。
『やわらか戦車 』
『レッドマン・プリンセス -悪霊皇女- 』
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
陸上自衛隊 Japan Ground Self-Defense Force 幕僚機関 主要部隊
主要機関 職種 歴史・伝統
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