東市来町宮田
東市来町宮田(ひがしいちきちょうみやた)は、鹿児島県日置市の大字[1]。旧薩摩国日置郡伊集院郷宮田村、日置郡下伊集院村大字宮田、日置郡東市来町大字宮田。郵便番号は899-2433[2]。人口は21人、世帯数は10世帯(2020年10月1日現在)[3]。 地理日置市の西部、神之川の下流域に位置している。字域の北方には日置市東市来町伊作田、東市来町美山、南方には日置市日吉町日置、伊集院町大田、東市来町南神之川、東方には日置市東市来町美山元寺脇、東市来町寺脇、西方には日置市東市来町神之川がそれぞれ接している。 日吉町日置との境界上を神之川が蛇行し、西流している[4]。 小字東市来町宮田に属する小字は井手元、違原、飛松、堀松、脇ノ田、水口、中宮田、宮下、山之口、深田、前畑、前尾、小堀、外堀、馬通、丸山、猫石、払川、坂下、石塚、弓場後、原がある[5]。 歴史![]() 近世の宮田村宮田という地名は江戸時代より見え、薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであり、村高は天明8年(1788年)には161石余、「天保郷帳」では89石余であったと記されている[6]。 町村制施行以後1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、伊集院郷の北部にあたる苗代川村・野田村・神之川村・宮田村・寺脇村・上神殿村・下神殿村・嶽村・桑畑村・麦生田村・有屋田村の区域より日置郡下伊集院村が成立した[7]。それまでの宮田村は下伊集院村の大字「宮田」となった[6]。 1956年(昭和31年)9月30日には同日に官報に掲載された「 2005年(平成17年)5月1日に東市来町が日置郡伊集院町、吹上町、日吉町と合併し日置市が成立した[9]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定された[10]。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「 人口以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
施設公共
寺社
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[17]。
交通道路
脚注
参考文献
関連項目
座標: 北緯31度37分36.3秒 東経130度20分48.3秒 / 北緯31.626750度 東経130.346750度 |
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