東市来町神之川
東市来町神之川(ひがしいちきちょうかみのかわ)は、鹿児島県日置市の大字[1]。旧薩摩国日置郡市来郷神之川村、日置郡東市来村大字神之川、日置郡東市来町大字神之川。郵便番号は899-2204[2]。人口は100人、世帯数は49世帯(2020年10月1日現在)[3]。 地理日置市の西部、神之川下流域の右岸に位置する。字域の北方には日置市東市来町伊作田、南方には日置市東市来町南神之川、東方には日置市東市来町宮田にそれぞれ接しており、西方は東シナ海に面している。 神之川沿岸は水田が多く農業を主体とした地域となっている[4]。 1950年(昭和25年)までは字域内に教育施設が存在しなかったが、同年に東市来町立伊作田小学校川原分校が設置された。1956年(昭和31年)には下伊集院村大字神之川の一部を東市来町が編入した際には、編入した区域(現在の日置市東市来町南神之川)の児童を受け入れた。1975年(昭和50年)に本校に統合され、廃校となった[5]。 河川
歴史神之川の成立と江戸期神之川(市来郷における)という地名は江戸期より見え、薩摩国日置郡市来郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」97石余、「旧高旧領取調帳」には218石余であったと記されている[6]。 物産として陶土が産出されており、苗代川村(現在の日置市東市来町美山)で生産される薩摩焼の原材料として用いられたとされる[6]。 また、河川である神之川を挟み南側に隣接していた、伊集院郷神之川村(現在の日置市東市来町南神之川及び日置市日吉町神之川)と、市来郷神之川村は村名は同一であるが、江戸期より別の村として扱われており、町村制施行時には市来郷の神之川村は東市来村、伊集院郷の神之川村は下伊集院村と別々の自治体に属している。 町村制施行以後1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、市来郷のうち東半分の区域から東市来村が成立し、それまでの神之川村は東市来村の大字「神之川」となった。1937年(昭和12年)には東市来村が町制施行し東市来町となり、東市来町の大字となった[6]。 2005年(平成17年)5月1日に東市来町が日置郡伊集院町、吹上町、日吉町と合併し日置市が成立した[7]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定された[8]。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「 人口以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
施設寺社
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[16]。
交通道路脚注
参考文献
関連項目
座標: 北緯31度37分28.8秒 東経130度20分0.1秒 / 北緯31.624667度 東経130.333361度 |
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