吹上町田尻

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吹上町田尻
日置市立花田小学校
日置市立花田小学校
北緯31度31分45.2秒 東経130度21分41.3秒 / 北緯31.529222度 東経130.361472度 / 31.529222; 130.361472
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 日置市
地域 吹上地域
人口
(2020年10月1日現在)
 • 合計 288人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
899-3308
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
地図

吹上町田尻(ふきあげちょうたじり)は、鹿児島県日置市大字。旧阿多郡伊作郷田尻村、阿多郡伊作村大字田尻日置郡伊作町大字田尻、日置郡吹上町田尻。人口は288人、世帯数は146世帯(2020年10月1日現在)[1]郵便番号は899-3308。

地理

日置市の南部、小野川の中流域に位置する。字域の北方から西方にかけては吹上町永吉、南方には吹上町中原、西方には吹上町小野吹上町花熟里、西方から南方にかけては吹上町与倉にそれぞれ接している。

字域の南部にある中島常楽院薩摩琵琶の発祥の地とされており、鹿児島県の指定文化財となっている[2][3]

字域の南端部に国道270号が通り、字域の中央部を小野川に沿って鹿児島県道296号田之頭吹上線が南北に通っている。

集落は小野川付近と永吉川上流域の山間部に存在している[4]

河川

  • 小野川

歴史

田尻の成立と中世

田尻という地名は鎌倉期より見え、薩摩国伊作荘(庄)のうちであった。建長7年の関東下知状に島津忠久の自名の村の1つとして「田尻・和田・大野三ケ村」と見えるのが初見である[5]

近世の田尻

江戸期には薩摩国阿多郡伊作郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」及び「郡村高辻帳」では1,820石余、「三州御治世要覧」には1,330石余、「旧高旧領取調帳」には1,292石余と記載されている[6][7]

宝暦6年に今和泉島津家の島津因幡の持切在となり、以後今和泉郷(現在の指宿市の一部)の領主である今和泉島津家の持切在となった[6]

町村制施行以後

1889年明治22年)に町村制が施行されたのに伴い伊作郷の区域より伊作村が成立し、江戸期の田尻村は伊作村の大字「田尻」となった[7]1922年大正11年)には伊作村が町制施行し、伊作町となり同町の大字となり、1955年昭和30年)に伊作町と永吉村が合併し、吹上町が新設され同町の大字となった[7]

2005年平成17年)には吹上町が伊集院町東市来町日吉町と合併し日置市が新設され、大字田尻は日置市の大字「吹上町田尻」となった[8]

施設

教育
寺院

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[10]

大字 区域 小学校 中学校
吹上町田尻 下田尻、中田尻 日置市立花田小学校 日置市立吹上中学校
坊野 日置市立永吉小学校
その他 日置市立伊作小学校

交通

鹿児島県道296号田之頭吹上線(松元方面)

道路

国道
県道

鉄道

字域内には鉄道は通っておらず、1984年までは吹上町中原に所在していた鹿児島交通枕崎線吹上浜駅または吹上町永吉にあった永吉駅が最寄駅であったが同線の廃止により廃駅となり現在は利用できない。

脚注

  1. ^ 国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
  2. ^ 常楽院 - 日置市観光協会 2013年1月19日閲覧。
  3. ^ 文化財・伝統芸能 - 日置市 2013年1月19日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典 p.1071
  5. ^ 角川日本地名大辞典 p.411
  6. ^ a b 鹿児島県の地名 p.294
  7. ^ a b c 角川日本地名大辞典 p.412
  8. ^ 日置市の住所表示 - 日置市 2012年12月2日閲覧。
  9. ^ 沿革史 - 日置市立花田小学校 2013年1月19日閲覧。
  10. ^ 日置市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則 - 日置市例規集 2013年1月19日閲覧。

参考文献

  • 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 4-582-49047-6 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 

関連項目

座標: 北緯31度31分45.2秒 東経130度21分41.3秒 / 北緯31.529222度 東経130.361472度 / 31.529222; 130.361472