伊集院町寺脇
伊集院町寺脇(いじゅういんちょうてらわき)は、鹿児島県日置市の大字[1]。旧薩摩国日置郡伊集院郷寺脇村、日置郡下伊集院村大字寺脇、日置郡伊集院町大字寺脇。郵便番号は899-2443[2]。人口は90人、世帯数は54世帯(2020年10月1日現在)[3]。 地理日置市の中部、神之川中流域に位置しており、字域の東部で野田川が神之川に合流している。字域の北方には日置市伊集院町野田、伊集院町妙円寺、南方には日置市伊集院町大田、東方には日置市伊集院町徳重、西方には日置市東市来町美山、東市来町寺脇がそれぞれ接している。 字域の中央部を鹿児島本線が通っており、南部には鹿児島県道24号鹿児島東市来線が東西に通っている。 地名の由来寺脇という地名は字域内にある「円福寺」に由来するという説がある[4]。 河川
歴史![]() 寺脇の成立と中世寺脇という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国伊集院のうちであり、建久8年の薩摩国図田帳に伊集院のうちの「寺脇八町」という記述が見えるのが寺脇という地名の初見であると考えられている[5][6]。 宝徳2年に伊集院氏の8代当主であった伊集院煕久が肥後へ亡命し、伊集院の全域が島津氏の直轄領となり、寺脇も島津氏の領下となった[5]。 近世の上神殿江戸時代には薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであり、村高は寛文4年の「郡村高辻帳」には513石余、延享頃の「三州御治世要覧」には545石余、天明8年の「由緒再撰調」には523石余、「天保郷帳」には513石余、「旧高旧領取調帳」には528石余であったと記されている[5]。 村域内には薩摩街道が通っており、郡山往還が分岐していた[5]。 町村制施行以降1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、伊集院郷の北部にあたる苗代川村・野田村・神之川村・宮田村・寺脇村・上神殿村・下神殿村・嶽村・桑畑村・麦生田村・有屋田村の区域より日置郡下伊集院村が成立した[7]。寺脇村は下伊集院村の大字「寺脇」となった[5]。 1956年(昭和31年)9月30日には同日に官報に掲載された「 2005年(平成17年)5月1日に伊集院町が日置郡東市来町、吹上町、日吉町と合併し日置市が成立した[9]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定された[10]。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「 字域の変遷
人口資料データ
国勢調査以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
文化財市指定小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[19]。
交通道路脚注
参考文献
座標: 北緯31度38分5.6秒 東経130度22分20.1秒 / 北緯31.634889度 東経130.372250度 |
Portal di Ensiklopedia Dunia