望月重良
望月 重良(もちづき しげよし、1973年7月9日 - )は、静岡県出身の元日本代表プロサッカー選手、サッカー指導者、実業家。株式会社INTERNATIONAL SPORTS CLUB代表取締役社長、Jリーグ・SC相模原創業者兼フェロー。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 人物筑波大学在学中に1995年夏季ユニバーシアード・サッカー競技の日本代表に選出され、優勝に貢献。大学卒業後の1996年より名古屋グランパスエイトに入団。1997年に日本代表に初めて選出され、特にトルシエ体制では人材不足だった右サイドの候補として多く起用され、AFCアジアカップ2000の決勝戦ではゴールを決め優勝に貢献した(このゴールは代表唯一のゴール)[2]。しかしポジションを争う明神智和や波戸康広に押され出番が減り、さらに市川大祐の台頭もありW杯本大会メンバーからは落選した。 2000年7月、大岩剛、平野孝とともに「チームの秩序を乱した」という理由で名古屋を解雇される。その後は5つのクラブを渡り歩く。2006年8月末で横浜FCとの契約が切れた後は無所属となり、翌2007年1月末、正式に現役引退を発表した[3]。なお、2004年に国の特定疾患(難病)に指定されている特発性大腿骨頭壊死症と医師に診断され、引退するまで3年間リハビリを続けながらプレーしていたことを後に告白している[2][4]。 2006年、相模原市の居酒屋で知人との食事中に店の大将からチーム設立を頼まれたことがきっかけとなり[5][6]、2008年2月、自ら全額を出資してSC相模原を創設し代表取締役に就任。神奈川県社会人サッカーリーグ3部から活動を開始した。関東サッカーリーグ2部に参戦していた2011年には自ら監督を兼任し、リーグ優勝と関東リーグ1部昇格に導いた。SC相模原は2013年にはJFLに入会し、翌2014年にはJリーグへの入会およびJ3リーグ参加を果たした。クラブ創設から6年で史上最速でのJリーグ入会である[5]。 2022年10月26日、望月個人および望月が代表を務める株式会社INTERNATIONAL SPORTS CLUBが保有するSC相模原の株式74.2%をDeNAに譲渡することが発表され、DeNAの連結子会社化に伴い2023年2月1日付でSC相模原代表取締役会長を退任した[7][8][9]。 この他、サッカー解説者やサッカー指導者としての活動も行なっている[10][11]。2013年にはJFA 公認S級コーチライセンスを取得。また、現役引退した2007年から2017年まで10年間、中日スポーツにコラムを連載していた[12]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦 国際試合
代表歴出場大会など
試合数
出場
得点
指導歴
著書
脚注
関連項目
外部リンク
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