高桑大二朗
高桑 大二朗(たかくわ だいじろう、1973年8月10日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本代表。 来歴クラブ横浜マリノス時代は怪我が多かったため「ガラスのGK」とよばれていた。入団当初は日本代表でもあった松永成立が絶対的守護神として君臨しており、その後は2年後輩の川口能活が松永からレギュラーを奪って台頭したため、出番も殆どなかった。 1996年8月より鹿島アントラーズへ期限付き移籍[2]。1997年に完全移籍[2]。1998年、佐藤洋平の負傷中に正GKに定着し、2000年にはチームの三冠獲得に貢献してJリーグベストイレブンに選出された。 その後、試合中の怪我もあり曽ヶ端準に正GKの座を奪われ、2002年には前年に本並健治・菊池新吉の両GKが引退した東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍[2]。当初は正GKであったが、第14節サンフレッチェ広島戦以降は高木義成にその座を奪われて2003年からはベガルタ仙台へ移籍。移籍後は小針清允と激しく正GKの座を争い、2003年はシーズン途中で正GKの座を明け渡したが、J2に降格した2004年は正GKの座を奪取し、2006年途中まではその座を保った。ところが、7月12日の第27節ヴェルディ戦でかつて正GKを争った高木にゴールキックから直接ゴールを決められ敗れて以降、再び小針にレギュラーを奪われた。シーズン終了後に退団。 2007年、10年半ぶりに横浜F・マリノスへ復帰したが、マリノスでの公式戦出場は2007年の2試合のみにとどまった。2009年は徳島ヴォルティスに所属し、同シーズン終了後、現役引退を発表した。 代表2000年10月20日、AFCアジアカップ2000グループステージ最終戦のカタール戦にフル出場し[3]、唯一となる代表キャップを記録した。 引退後2010年より横浜F・マリノス下部組織のGKコーチ(追浜のジュニアユース及びプライマリー担当)を務める。その傍ら同年10月30日には東日本放送にて中継のベガルタ仙台vs.京都サンガF.C.戦で解説を務め、以後は同局で仙台戦の中継が行われる際に解説者として来仙している。 2024年3月、エリース東京FCのアドバイザー兼GKコーチに就任[5]。同年4月には自身が代表を務めるサッカーアカデミー「アグラレス サッカーアカデミー」を新百合ヶ丘と新横浜で開校した[6]。 所属クラブユース経歴 プロ経歴
個人成績
その他の公式戦
個人タイトル
代表歴試合数
出場
指導歴
出典
関連項目外部リンク
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