原田慎太郎 (サッカー選手)
原田 慎太郎(はらだ しんたろう、1980年11月8日[1] - )は、埼玉県狭山市出身の[2]元サッカー選手。ポジションはMF[2]、DF。 来歴1999年、桐蔭学園を卒業し横浜F・マリノスに入団。オズワルド・アルディレスの下、レギュラーとして活躍し、2000年には1stステージ優勝を果たした。その後、大宮アルディージャ、徳島ヴォルティス、カターレ富山の前身であるアローズ北陸などでプレー[3][2]。 2007年、トライアウトを経てユナイテッドサッカーリーグ(USL)2部[注 2]・クリスタルパレス・ボルチモアに入団し、同年のリーグ準ベスト11に選出された。2008年にはベスト11に選出。クラブのイヤーブックの表紙を飾った2009年も、リーグベスト11に選出され、リーグ最優秀ディフェンダー賞候補に挙げられた。 2009年シーズン終了後、イングランド、フットボールリーグ・チャンピオンシップのクリスタル・パレスFCの練習に日本人として初めて招集され、クラブの「もう一人の年間最優秀選手」[4] に選出された。 3ヶ月半の練習参加[5][6] の後、メジャーリーグサッカーに2010年より新規加入するフィラデルフィア・ユニオンの公式サイト上で、注目のトライアウト選手として特集された[7]。 2010年、ピッツバーグ・リバーハウンズSCに入団。同年8月に4年連続となるリーグベスト11[8][9]、最優秀DF[10][9]及びリーグ最優秀選手賞(MVP)候補に選出された[11]。2011年、NASL(北米リーグ)創設などのリーグ再編により、USL PRO(USL1部)に所属ディビジョンを移行[注 2]。ピッツバーグでは2012年までの3シーズンプレー。 2013年、スペイン・セグンダ・ディビシオン所属CEサバデルでの練習参加を経て[12]、オランダ・FCトゥウェンテと提携するUSLデイトン・ダッチ・ライオンズへ移籍[13][9]。若手が多いクラブ内では模範とされるベテラン選手として頼りにされ、クラブ史上初となるプレーオフ進出に貢献した[14]。 USLのオフ期間を利用し、2013年8月に横浜FC香港へ期限付移籍[15]。2014年1月、移籍期間を満了し[1]、デイトン・ダッチライオンズへ復帰[16]。 2015年2月、同年よりUSLに新加入したコロラドスプリングス・スイッチバックスFCへ完全移籍[17]。新規参入クラブを牽引するベテラン選手として監督から称賛された[18]。6月、日本人として初めてUSL1部100試合出場を達成した[19]。 2017年に現役を引退。同年7月よりFC東京強化部に加入。 2019年2月より大宮アルディージャ強化部。 2023年5月、SC相模原のフットボールオペレーション部テクニカルダイレクター就任を発表[20]。 所属クラブ
個人成績
指導歴
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia