日本のダム日本のダム(にほんのダム)では、日本国内に建設され管理・運用されているダムについて、特に治水・利水を目的としたものを中心に扱う。 (個々のダムの一覧は「日本のダム一覧」も参照。) 定義法的定義現在日本において定められているダムの定義は、1964年(昭和39年)に改定された河川法と、同法の規定により1976年(昭和51年)に制定された政令である河川管理施設等構造令を根拠としている。 まず、河川法の第2章(河川の管理)-第3節(河川の使用及び河川に関する規制)-第3款(ダムに関する特則)の第44条第1項では、
をダムと定義している(利水ダム)。このため高さ15メートル未満のダムについては、「ダムに関する特則」の適用対象とならず、「堰」(せき)として扱われる[注釈 2]。 次に、河川管理施設等構造令は、
の構造について河川管理上必要とされる一般的技術的基準を定めているが、第2章(ダム)の第3条で以下の条件を除外したダムについて規定を適用するとしている。すなわち、
以外のダムで、ここでも高さ15メートル以上という河川法第44条第1項と同様の定義がされている。ここで言う河川管理施設のダムとは、河川管理者自らが洪水調節など治水目的で設置するダム(治水を主目的とした多目的ダム・治水ダム)であり、河川法では定義がされていない。また、「土砂の流出を防止し、及び調節するため設けるダム」は「砂防堰堤」と呼ばれるものである。 世界的なダム基準は、世界88カ国が加盟[1] する非政府組織の国際大ダム会議(ICOLD、1928年創立)において堤高5メートル以上または貯水容量300万立方メートル以上のものをダムと定義しており、そのうち堤高15メートル以上のものをハイダム、それ以下をローダムと定義している。日本のダム基準はこのうち「ハイダム」のカテゴリーに属するものを指している。 なお、ダムの定義自体は1935年(昭和10年)5月27日に当時河川行政を管轄していた内務省が省令第36号として発令した河川堰堤規則において、既に定められている。この規則におけるダムの定義は第一条において、土堰堤については基礎地盤からの高さが10メートル以上、それ以外については基礎地盤から15メートル以上を堰堤、すなわちダムと規定しており、この時点で高さ15メートル以上の基準が登場している。ただし現行の基準と異なるのは型式によってダムの基準を変えている点である[2]。同年6月15日に当時電力行政を司っていた逓信省が省令第18号として発令した発電用高堰堤規則においても、規則が適用されるダムの基準が基礎地盤から15メートル以上と定められている[3]。しかし、この時期は多目的ダムなど治水目的のダムがまだ完成・運用していなかったことや、太平洋戦争後に河川行政が激変したこともあり、河川関連法規を改定してダムの基準を明確化する必要が生じた。このため1964年の河川法改正、1976年の河川管理施設等管理令制定によってダムの基準が統一化されている(詳細は河川法を参照)。 除外規定一般に「ダム」と呼称される河川工作物としては河川法や河川管理施設等構造令で定める「ダム」のほか、砂防堰堤、治山ダムおよび鉱滓ダムがある。しかし、いずれも積極的に河水を貯留する目的を持たないため(砂防ダムの一部ではかんがい目的や水力発電目的を果たすものもあるが、例外的)河川法上のダムとは見なされない。 このうち砂防ダムについては砂防法によって「堤高7.0メートル以上のもの」が砂防ダムと規定されており、目的も土石流の抑止に特化されている。管轄部署は国土交通省河川局砂防部であり、河川法に基づくダムを管轄する河川局治水課(施工担当)や河川環境課(管理担当)とは部署が異なる。各都道府県においても同様である。保安林の維持を目的とする治山ダムに関しては森林法に基づく施設であり、農林水産省が管轄しているためこれもまた異なる。鉱滓ダムに関しては、廃棄物処理が目的であるため似て非なるものである。 以下、本項目全般において「ダム」と記したものについては、特に断らない限り河川法第44条第1項または河川管理施設等構造令第3条の定義に基づくダムを指すこととし、それ以外のダムと呼ばれる施設については「堰」「砂防堰堤」「治山ダム」「鉱滓ダム」の各該当項目を参照されたい。 概説日本において建設されるダムの目的は多岐にわたるが、主なものとしては治水目的(洪水調節や農地防災[注釈 3]、不特定利水および河川維持用水)と利水目的(かんがい、上水道供給、工業用水供給、水力発電、消流雪用水、レクリエーション)に大別される。単独の目的を持つダムもあれば、複数の機能を併設するダムもある。前者は「治水ダム」「かんがい用ダム」「発電ダム」等とそれぞれの目的を冠した呼ばれ方をするが、後者は一般に「多目的ダム」と呼ばれる。 ダムは様々な事業者によって計画・調査・建設・管理などが実施されている。日本においては、政府直轄事業者(国土交通省や農林水産省、独立行政法人水資源機構)、地方自治体(都道府県または市町村)、電気事業者(各電力会社)および一部の民間企業からなる。戦前は大日本帝国海軍が所管していたダム[注釈 4] も存在していた。多目的ダムについては、政府直轄のダムを「特定多目的ダム」(別名「直ダム」)、地方自治体管理のダムを建設費の国庫補助を受けることから「補助多目的ダム」「補助治水ダム」(略して「補助ダム」)と呼ぶ。1988年(昭和63年)には限られた小地域に対する治水・利水を目的にした小規模な都道府県管理ダムに対して建設費の国庫補助が受けられる制度も導入された。このようにダムを「小規模生活貯水池」と呼び、湛水面積も小規模なことから水没補償を最小限に抑制可能として最近多く建設されている。 現在、日本におけるダムの総数は完成・施工中を合わせたものとして2つの統計がある。一つは一般財団法人日本ダム協会が集計したもので完成2,699箇所、施工中193箇所の合計2,892箇所。もう一つは一般社団法人日本大ダム会議が国際大ダム会議ダム台帳・文書委員会に提出した3,045箇所である[4]。 関連法令ダムに関係する法律は河川法を始め様々な法令が存在しており、直接的・間接的に影響を及ぼしている。下表はその主だった法令の一覧である(廃止あるいは改名されたものも含む)。現在は、法律の他「公共事業評価委員会」「河川流域委員会」等の第三者機関からの評価も受け、合意がなければダム事業(調査・建設等)ができない仕組みとなっている。 ダムはこうした法令を根拠に「河川総合開発事業」「河川整備基本計画」(国土交通省および都道府県土木部局)、「水資源開発基本計画」(フルプランとも呼ばれる。水資源機構)、「土地改良事業」「かんがい排水事業」(農林水産省および都道府県農林水産部局)に基づいて計画され、建設される[注釈 5]。
歴史日本のダムは、飛鳥時代の616年、ため池(アースダム)として河内国に造られた狭山池ダム(西除川など)に始まる。その後も、現代で言えばダムに当たる灌漑用ため池が各地の川に設けられた。明治時代の1891年、長崎市水道の水源として完成した本河内高部ダムが日本初の上水道専用ダム[注釈 6] である。さらに1900年には日本初のコンクリートダムとして布引五本松ダム(生田川、神戸市)が造られ、近代ダム技術による大ダム時代に入っていった。 大正時代には木曽川、信濃川、天竜川などで水力発電開発が盛んに行われ、事業者としては福澤桃介や松永安左エ門らが有名である。この中で大井ダム(木曽川)、帝釈川ダム(帝釈川)、小牧ダム(庄川)等の大規模コンクリートダムが建設され、1938年には戦前で堤高が最も高い塚原ダム(耳川)の建設に発展する。なお、この時期は現存するダムが6基しかないバットレスダムの建設が集中しており、笹流ダム(笹流川)や丸沼ダム(片品川)が完成している。 戦後、国土総合開発法が1950年に施行されて以降、全国各地で「河川総合開発事業」が進められ、荒廃した国土の復興に貢献した。この中でダム、特に多目的ダムの役割は重要視され、1945年の沖浦ダム(青森県、現在は下流での浅瀬石川ダム建設により水没)完成以降、建設省(国土交通省の前身)や各地方自治体によって全国の河川に続々と建設された。また農林省(農林水産省の前身)は食糧増産を目的に加古川、九頭竜川等で「国営土地改良事業」を展開し、灌漑専用ダムを各地に建設。さらには増加する人口と高度経済成長を背景に水資源確保の必要性が高まり、1962年には水資源開発公団(水資源機構の前身)が発足。利根川、淀川等で水資源開発のためのダム建設を行った。 戦後の人口増加と経済発展で、水だけでなく電力の需要も高まり、水力発電の開発も進められた。日本発送電株式会社が1951年(昭和26年)の電力事業再編令により分割された9電力会社と1952年(昭和27年)発足した電源開発株式会社によって数多くの発電用ダムが建設された。特に、現在での日本最高の堤高を誇る黒部ダム(黒部川)を始め佐久間ダム(天竜川)、奥只見ダム(只見川)は日本土木史にも残る大事業となった。その後火力発電の隆盛で開発は下火となるが、1973年のオイルショックで一般水力発電が再評価されたほか、火力発電や原子力発電との連携が可能な揚水発電による大規模水力発電所が建設されるようになった。 だが、開発に伴う地域住民の犠牲はなおざりになっていた。これに風穴を開けたのが蜂の巣城紛争であり、これ以後、水源地域対策特別措置法を始めとして水源・水没地域の住民に対する法的保護が充実して行った。またダムは次第に本来の目的に加え観光名所としての側面を有するようになった。一方、公共事業に対する国民の厳しい目はダム事業に及び、1990年代以後はダム建設の中止や凍結が相次いだ。 また、環境問題への関心の高まりから、ダム建設による河川水量の減少や水質の悪化も重視されるようになり、利水面で水道需要の当初計画からの需要減少による「水余り」現象が目立ってくるに至って、長良川河口堰(長良川)や八ッ場ダム(吾妻川)、徳山ダム(揖斐川)、川辺川ダム(川辺川)といった利水・治水を目的とした大規模ダム事業への風当たりが厳しくなっていった。ついには田中康夫長野県知事(当時)による「脱ダム宣言」まで飛び出し、ダムが抱える様々な問題が広く知られるようになった。しかし東海豪雨、福井豪雨、新潟・福島豪雨といった大水害と、1994年と2005年の大渇水のように地球温暖化の影響ともいわれる気象災害により、治水面においてダムに対する再評価も始まるなど、意見は分かれている。 2009年の第45回衆議院議員総選挙での民主党の圧勝を受けて発足した民主党・社民党・国民新党連立政権(鳩山由紀夫内閣)による公共事業の縮小政策に伴う「八ッ場ダム」や「川辺川ダム」の建設中止が打ち出され、地元や流域の地方自治体との軋轢が生じている。 ダム諸元に関する表記諸元(しょげん)とは、高さや、重量などのいわゆる概要であり、「高さ」など呼称は下記の通り。またダムの名称は一般的に立地した土地の地名や河川の名が付けられるが、難読なものも多い。 ダム本体の諸元諸元の解説についてはダム#諸元を参照のこと
型式型式の概説はダム#型式一覧を、詳細な解説は各型式のリンクより参照。 日本のダムで採用されているダムの型式は以下の通りである。専門書では略号で表されることが多い。地震の多い日本においてはダム型式における耐震理論が世界で最も進んでいる国の一つである。 なお、数値は2012年現在日本国内における既設・未設のダム(河川法・河川管理施設等構造令で規程されている堤高15メートル以上のもの)を集計している[5]。数値にはダム再開発事業によるかさ上げなどの再開発を施工しているダムを含み、型式未記入・不明の11基は除外している。
利用目的主な利用法としては下記の用途がある。専門書等ではアルファベット一文字で表記されることが多い。上水道、灌漑、工業用水道の用途は「利水」として総称されることがあり、降雨や融雪などにより河川流量の豊富な時期(豊水期)に水量を貯水しておき渇水期において水源として利用する 単独目的のものも多いが、下記のいくつかの目的を兼ね備えるダムもあり、これらは多目的ダムと呼ばれる。大規模なものが多い。
利水ダムの分類ダムの内、洪水調節機能を持たない利水ダムについては河川法第44条から第51条の「ダムに関する特則」において分類を行っている。これは洪水調節機能のない利水ダムが集中豪雨や台風による洪水において放流を行った際に、下流への災害を抑止することを目的に定めたものである。諸元には表立っては出てこないが、便宜上ここに記載する。 すなわち、利水ダムは洪水の時ダム湖に流入した水量をそのまま調節せずに放流するのが一般的である。しかしこの操作がダムのない状態に比べて下流への洪水到達速度を速めることにより下流への被害拡大を増大させる危険性があり、特に大容量貯水池を擁する水力発電用ダムでその可能性が高くなる。また土砂運搬の多い河川においてはダム湖上流部が堆砂(たいさ)で埋まることで河床が上昇、それにより上流部への洪水被害が増幅するという危険性をはらんでいる。このため河川法の規定により利水ダムでは「利水ダムを設置する者は、河川の従前の機能を維持するために必要な施設を設け、またはこれに代わる措置をとること」という条項が明記されており、電力会社を始めとする利水事業者は洪水対策などの措置を採らなければならないとされている。こうした措置を取らなければならないダムの具体的な分類については、二つ存在する。 河川法施行令による分類一つは河川法と同時に施行された河川法施行令(昭和40年2月11日政令14号)第1章第23条において定められており、これにはダムの設置状況に応じた形で「河川の従前の機能を維持するために必要な施設・措置」を取らなければならないとされる。以下の説明は条文の原文を基に解説する。
これに基づき施行令第25条から第31条においては雨量観測や放流操作、放流前の事前連絡など事業者が行うべき条項が定められ、これに基づき事業者は利水ダムにおける洪水時の放流対策を図ることになっている。ただし具体的なダムの名称までは規定されているわけではない。 河川局長通達による分類
もう一つは1966年(昭和41年)5月17日に当時の建設省河川局が実際の河川管理を行う各地方建設局と都道府県知事に宛てて通達した、建設省河川局長通達・建河発第一七八号がそれである。この通達においては河川法で規定された「ダムに関する特則」の運用規定をより細かく定め、河川法第26条の許可を受けて設置される高さ15.0メートル以上のダム、すなわち利水ダムについて具体的なダム名を挙げて分類している。分類については前述の河川法施行令第23条を基本に、放流による下流への影響度、堆砂による上流への影響度、及びゲート運用など放流操作の複雑さに応じて第一類から第四類までダムを分類している。 詳細については下記の表に記す。おおむね第一類は大容量貯水池を擁する発電専用ダムが、第二類は大河川の中流部に建設されているダムが、第三類はゲートの数が多いダムが対象となっている。なお第四類については小規模なダムのほか、多目的ダム・治水ダムといった洪水調節機能を有するダムが指定されている。以降、利水ダムは完成後いずれかの分類に指定されるが、ダムを取り巻く周辺状況の変化によっては分類指定が変更されることがある。例えば静岡県の天竜川に建設された秋葉ダムは通達発令当時には第一類に指定されていたが、現在は第三類に指定が変更となっている。この分類については各事業者がそれぞれの管理ダムにおける指定状況を把握しているが、日本全国にあるダム全てを明記した文献は明らかになっていない。
この項目は冒頭に記され、指定ダムについては最後に記されている。残りの内容についてはおおむね河川法施行令と同一であるが、より細かい規定がされている。なお、こうした二つの規定により利水ダムは河川が持つ従前の機能を維持することが求められ、各ダム毎に操作規定を定めて対処する必要が生じた。積極的な治水の責任はないものの、多目的ダムなどと連携して洪水調節を行うことがある。 一例として2006年(平成18年)7月に長野県を襲った平成18年7月豪雨において、信濃川水系最大の支流である犀川の氾濫を防ぐため、特定多目的ダムである大町ダム(高瀬川)と東京電力が管理する犀川上流・高瀬川上流の発電用五ダム連携治水操作がある。犀川上流の奈川渡ダム(第一類)、水殿ダム(第一類)、稲核ダム(第三類)と高瀬川上流の高瀬ダム(第一類)、七倉ダム(第一類)は発電目的しか持たないが、犀川の水位が危険な状態に陥ったため河川管理者である国土交通省北陸地方整備局と長野県(当時の管理者は田中康夫長野県知事)の要請を受け空き容量を利用して上流からの洪水を貯留し特例の洪水調節を行った。この結果犀川流域では堤防決壊や越流による浸水被害をほぼ皆無に抑えている[7][8]。 事業者(事業主体)ダムの建設発注及びダムを管理する事業主。戦後における事業者としては下記のものが中心となっている。複数の事業者による共同管理をするものもある。管理が国から地方自治体に移行したダムもある。
その他
ダム問題日本においては近年ダム事業に対する賛否が多く論じられている。大別すると生態系・水環境・植生などの「環境」と、国・地方ともに財政難である中の「公共事業の可否」である。さらに水没による観光資源(名所・旧跡、名勝)の喪失や、水没地域の住民が移転などにより生活基盤を破壊されることも問題になる。ダム事業に対する代替案も事業者・反対派から出されるようになっているが、一部のダムでは地元・下流域からの猛烈な反対運動、あるいはそのための討論・議論・補償交渉の長期化、さらには環境影響評価法による厳格な環境調査が義務付けられたことにより、ダム事業長期化が起こっている。 このため当初の予定より大幅な事業進捗遅延が特に大規模ダムで起こっており、このことがさらにダム事業への批判を呼んでいる。このような長期化しているダム事業は、事業費高騰の第一要因であることから「公共事業見直し」の対象になりやすく、事実全国で100ヶ所近くのダム事業が休止・中止となっている。ダム問題は各論が単体で存在するのではなく、複数の問題が複雑に絡み合う形で存在している場合がほとんどで、これが事業の長期化に拍車を掛けていると言われており、拙速にならない程度に早期に議論を集約し結論を出すことが、事業費高騰を抑制する上でも必要といわれており、今後の課題となっている。 個々の問題点については下記の各記事を参照のこと。 日本のダム事故
日本のダム事件・訴訟
ダムの無い河川先述の通り日本には大小約2,700箇所のダムが建設されているが、ダムが建設されていない河川も存在する。こうした河川は「ダムの無い川」として自然環境が豊富であるとイメージが持たれるが、都市・平野部を主な流域とする都市河川では元々ダムに適した地形が存在せず、建設は不可能である。そのほか地質や地形、水没物件の多さ、費用対効果などの問題で建設が行われず、こうした河川においては河口堰や放水路、遊水池、堤防の建設などで治水に対処している。本川・支川共にダムが存在しない河川は少なく、本川には無くても山間部を流れる支川にダムが存在することが多い。またダムは無くても灌漑・水力発電用の取水堰は存在することが多く、河川施設が全く存在しない河川は希である。以下の表はダム(計画を含む)が存在しない水系の一例である。
再開発詳細はダム再開発事業を参照。 ダム事業の中には、既存のダム・貯水池を改良するか、あるいは直下流に新規にダムを建設することで治水機能や利水機能を維持・強化する事を目的とした事業がある。これらをダム再開発事業と呼ぶ。 前者では、特に明治・大正時代に完成したダムにおいて、完成より多年が経過したために堤体が老朽化したり、あるいはダム湖の堆砂によって有効な貯水機能の維持が困難になる例が見られる。このため、再開発事業の一環としてダム本体の修繕や放流設備の改修、貯水池の掘削・堆砂除去を行うことによって完成当時のダム機能を復活させる。このような再開発事業は治水・利水目的を付加する場合にも行われ、ダム本体のかさ上げや洪水処理機能の強化、貯水池を掘削するなどして有効貯水容量を増加させ、増加分を洪水調節容量や利水(上水道・工業用水・かんがい)容量に充当する。 後者では、主に洪水調節機能の強化が第一義の目的となる。ダム建設後も、たびたび計画された洪水調節流量を超える洪水が発生するなどして、そのままでは有効な治水対策が図れなくなる場合に検討される。堤防の建設や強化、河床掘削等の治水対策が何らかの理由で選択できず、かつ新規のダム建設が困難な場合に採用されやすい。この場合、たいていは既存のダムの直下流部またはダム本体を取り込む形で既存よりも大規模なダムを建設し、結果的にダム湖の容量を増大させて過去最大の豪雨に対処できるだけの洪水調節容量を確保することになる。利水目的も付随するかたちで計画されるが、あくまで主目的は洪水調節である。なお、このような再開発の場合は、既存のダムは新しいダムの堤体に取り込まれるか、あるいは水没してその役割を終える。前述の沖浦ダムが代表的であり、現在国土交通省直轄ダムを中心に全国各地で建設・計画されている。 国土交通省は2017年6月に「ダム再生ビジョン」を策定している[13][14]。 治水以外の利用観光ダムはあくまで治水・利水を主目的としているため積極的な広報は行われず、ダム事業の理解を妨げる一つの要因とも言われていた。しかし1973年(昭和48年)の水源地域対策特別措置法成立以降、ダム建設による不利益を被る水源地域への利益還元を目的として「ダム水源地周辺整備事業」が行われるようになった。一方電力会社管理ダムでは黒部ダム(黒部川)や有峰ダム(和田川)、佐久間ダム(天竜川)などのように当初から観光地としてダムを一般開放する傾向が見られた。またレジャーが多様化するなかでアウトドアレジャーの一環として河川を利用する国民が多くなり、ダムを訪れる観光客も見られるようになった。 胆沢ダム、阿木川ダムのようなロックフィルダムでは、ダムを山に見立てた堤体登山イベントも行われるようになっている[15][16]。 1994年(平成6年)建設省は今まで閉鎖的であったダム管理を180度転換し、地域密着型のダム事業を目指して「地域に開かれたダム」事業を開始した。これは既設・未設を問わず全国の国直轄ダムと水資源開発公団管理ダムを対象に、地域に密着したダム事業を行うべく各管理所に一般開放や周辺整備に対する計画を提出するように指示した。これ以降各ダム管理事務所はダム湖の一般開放や地元自治体と一緒になっての周辺整備、漁業協同組合と共同しての漁業資源整備、花火大会やマラソン大会などレクリェーション事業の推進、ダム訪問者にダムをピーアールするためのダムカード配布など多角的なダム開放事業を展開した。この結果次第にダムに観光客が集まるようになった。特に神奈川県の宮ヶ瀬ダム(中津川)では隔週日曜日の観光放流実施やダム内部の開放、公園整備を行い年間100万人以上の観光地に成長。この他北海道の金山ダム(空知川)や岩手県の御所ダム(雫石川)、京都府の日吉ダム(桂川)でも年間50万人以上がダム及びダム周辺を観光に訪れ、広島県の灰塚ダム(上下川)では完成前の試験放流を行った一週間だけで約2万人が県内外から訪れた。 国土交通省調査によれば2003年(平成15年)におけるダム・ダム湖利用者延べ総数は約1385万人に達し、その数は調査開始後から増加している。こうした動きは都道府県営ダムも追随している。
(注)年間の観光客数である。 またダム湖の開放という点ではダム湖の名称決定に地元の一般公募による募集で選定する傾向も近年では多く、2005年(平成17年)に全国68のダムが指定されたダム湖百選は地元自治体の推薦で選ばれている。スポーツではカヌー競技の漕艇場としてダム湖を開放している例が多い。この中には1964年東京オリンピックの公式コースに利用された神奈川県の相模ダム(相模川)や第12回アジア競技大会広島大会での公式コースとなった広島県の土師ダム(江の川)、国民体育大会やインターハイの会場として利用された静岡県の長島ダム(大井川)・船明ダム(天竜川)や岩手県の田瀬ダム(猿ヶ石川)などがある。さらにはカヌー競技の水深確保を目的としたダムとして長沼ダム(宮城県)が建設されるなど、カヌー競技とダムは密接な関係にもなっている。変わったところでは奈良県の布目ダム(布目川)が、日本の自転車ロードレースでは規模の大きいツアー・オブ・ジャパンの公式コースとなっている。またダム建設において大きな係争要因になる漁業資源についても、全国にワカサギの魚卵を提供している鹿沢ダム(群馬県)やブラックバスを観光資源にしている池原ダム(奈良県)のほか、イワナ、ヘラブナ、ワカサギ釣りなど多種多様な釣りのスポットとしてもダム湖は利用されている。ただしダム湖に限った話ではないが立ち入り禁止の場所(特にダム施設付近)や禁漁期間等、または特定外来生物の再放流(リリース)禁止等については十分留意する必要があり、また所轄の漁業協同組合の鑑札がなければ釣りはできないので注意が必要である。 こうしてダムの一般開放は年を追うごとに広まり、新潟県の内の倉ダム(内の倉川)や岐阜県の横山ダム(揖斐川)では中空重力式コンクリートダムの構造を利用してダム内部の中空部分を開放、内の倉ダムでは毎年中空内でコンサートまで開かれるようになった。また灰塚ダムや三重県の比奈知ダム(名張川)、岐阜県の小里川ダム(小里川)などでは通常は関係者しか入れないダム内部を点検するための通路である監査廊を開放するダムも続々現れている。2002年(平成16年)のアメリカ同時多発テロでいったんは開放を縮小することもあったが、観光のためにダムを一般開放する方向性は今後も続くとみられている。だがダム本体やダム湖にゴミを廃棄したり、禁止事項[注釈 26] を侵すと河川法や漁業法違反として処罰される。 自然公園とダムダムやダム湖の中には国立公園や国定公園、都道府県立自然公園に指定されているダムも多い。こうしたダム・ダム湖は地域の貴重な観光資源として重要な位置を占めている。だが所管する環境省は国立公園や国定公園において環境保護のためにマイカーの乗り入れ規制を近年強めており、この理由から幾つかのダムではマイカーで行くことができないダムがある。支笏洞爺国立公園に指定されている北海道の豊平峡ダムや中部山岳国立公園に指定されている富山県の黒部ダムでは手前の駐車場で駐車したあと電気バスなどでダムまで行く形になっており、同じく中部山岳国立公園に指定されている長野県の高瀬ダム(高瀬川)は下流の七倉ダムより徒歩、指定タクシー、ダムを管理する東京電力のピーアール館より発車する専用バスのいずれでしか行けない。 国立公園指定
国定公園指定
その他ダム建設時に掘られた作業用トンネルは完成後には放置されるが、トンネル内は年間を通して10度前後、湿度が100%に保たれ、日光が届かないという条件がある。このためワインの熟成に最適[17] とされ、豊平峡ダムの作業用トンネルはワインセラーとして再利用されている[18]。 日本のダムに関連する人物
ダムが登場する作品世界各国における作品については、ダム#ダムが登場する作品を参照のこと 日本におけるダムが登場する作品としては、小説や映画のほかアニメや特撮といった子供向け番組が挙げられ、その各作品で題材やロケ地として用いられる。小説では、城山三郎や吉村昭が社会問題的側面で扱ったものや純文学の舞台として登場する。映画では、黒部ダムの建設を題材とした『黒部の太陽』が広く知られる。また、後に『ホワイトアウト』のロケも厳冬期の同ダムで行われた。 一方、特撮やアニメでは『仮面ライダー』の第1話のロケーション撮影が小河内ダム(奥多摩湖)で行われたほか、ゴジラシリーズやガメラシリーズでダムは怪獣に破壊される定番の標的になっている。それ以外にも、テレビドラマ『西部警察 PART-III』では農林水産省東北農政局の協力を受け、当時に同局が建設中だった日中ダムの工事現場(山腹)が同番組の見せ場である大爆破シーンのロケ地として用いられた。 ダム単体を扱った写真集も出版されており、ダムマニアなどに好まれている。
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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