新琴似駅
新琴似駅(しんことにえき)は、北海道札幌市北区新琴似8条1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅である。駅番号はG05。電報略号はコニ。事務管理コードは▲130201[2]。 札沼線は桑園駅から当駅までが高架区間、次の太平駅から終点の北海道医療大学駅まで地上区間となる。 なお、本稿では当駅に隣接して設置されていた札幌市電鉄北線新琴似駅前停留場(しんことにえきまえていりゅうじょう)についても述べる。 歴史JR北海道当駅の設置は1923年(大正12年)5月に札沼線の工事実測に先立ち、当時新琴似の住民自治を行っていた「新琴似兵村部落会」が旭川建設事務所宛てに停車場設置請願を起こしたことに始まる[3]。 この時、部落会では新琴似の中心となっていた新琴似四番通り(現:北海道道865号樽川篠路線の一部)の東端を部落会で無償提供する代わりに駅ホームを線路北側に設置するよう要望したが[3]、1929年(昭和4年)3月に、駅の位置は部落会の意に反し、いったん現在地から1kmほど桑園方(桑園起点4.5km地点、新琴似二番通り)が選定されることとなった[3]。 これにより新琴似が所在する琴似村(当時)では村長名で四番通り側に駅を設置するよう意見書を提出したほか、住民内でも四番通り側と二番通り側とで駅設置位置を巡って対立が発生したが、最終的に四番通り側が用地を寄付することの申し出、琴似村長らによる運動が実り、新琴似四番通り側の現在地に設置されることとなった[3]。しかし、ホームは南側の茨戸街道側に設置され、この点については不満を残す形となった[3]。
札幌市電(新琴似駅前停留場)かつて駅東南約300mに設置されていた札幌市電鉄北線(てつほくせん)の終点であった[12]。 鉄北線は1952年(昭和27年)に北24条までの延伸が完成していたが、昭和30年代に入り新琴似地区をはじめとする札幌市北部の宅地化が進み、3回に分けて新琴似駅前まで延伸が行われた。特に北27条から先の延伸については、市が道幅を理由に渋った際には土地所有者が無償提供を申し出たほどであった[13]。しかし、地下鉄南北線が北24条まで開通し鉄北線が孤立路線となると、住民からは北24条駅での乗換ではなく、地下鉄の延長を求める声が高まり、麻生駅への延伸(1978年)が決定した翌年の1974年(昭和49年)に市電は廃止された[12]。
駅名の由来→「新琴似」も参照
駅構造相対式ホーム2面2線を有する高架駅。ホームへは階段・エレベータの他に、上下両方向のエスカレーターが設置されている。 2012年5月31日までは八軒駅・新川駅と並び、非電化・高架・複線という珍しい構造の駅だった[注釈 1]。高架化工事中、当駅周辺では一時的に線路を(複線のまま)元の路盤よりも更に北西側(現下り線の更に外側)に振った。現駅舎は旧駅のほぼ真上に構築された。 桑園駅管理の業務委託駅(北海道ジェイ・アール・サービスネットが受託)。みどりの窓口・自動券売機・話せる券売機[1]・自動改札機・ICカードチャージ機・セブン-イレブン(北海道キヨスク運営、サンクスから転換)設置。待合室にはパン専門店ベーカリーベル新琴似店(日曜定休)がある。 のりば
(出典:JR北海道:駅の情報検索)
利用状況旅客乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。 戦後は競合する市電の延伸・廃止、地下鉄の延伸で増減を繰り返し、昭和50年代半ば以降は、市街化や札沼線自体の利用増加により利用客を増やしていった。
貨物開業当初は到着貨物として付近の帝国製麻会社の工場へ納入される亜麻茎、発送貨物としては当地の農産品であるエンバク(軍馬の飼料として陸軍糧秣廠に納入)や新琴似大根などがあったが、これらは第二次大戦後、それぞれ化学繊維の進出による工場閉鎖、終戦によるエンバクの作付中止、周辺宅地化による大根の作付減少によって自然消滅した[6]。 一方で、1954年(昭和29年)に駅北側に不燃建材を生産する工場が開設され、岩戸景気下で空前の発送貨物を記録したが、その後生産が下火となり1973年(昭和48年)に工場が長沼町に移転したため、新琴似発送の貨物は激減した[6]。 札沼線他駅と同様、1979年(昭和54年)に貨物の取り扱いは終了した[6]。 駅周辺東口は南東に約500メートル離れた麻生駅を中心とした麻生地区の外れにあり、その位置関係の微妙さから、一部の乗り換え需要を除けば人の流れを引き付ける求心力は乏しかった。一方、西口はかつての新琴似兵村の中心であり、西5丁目樽川通沿いを中心に体育館や図書館等の公共施設が立ち並び、商業施設が集積する麻生地区とは別の拠点を形成している。複線電化完成後、駅周辺には大小のマンションが集積し、地下鉄とは競合しない利用者層が目立ち出している。
その他石像「新ちゃん」待合室内に石でできた熊の像「新ちゃん」が置かれている[18]。名前は「新琴似」の「新」に由来し、季節ごとに衣装の着せ替えも行われている[18]。 もともとは旧駅の駅本屋側ホーム(札幌方面ホーム)にあったもので、材質は札幌軟石ではないかとされている[18]。遅くとも1976年(昭和51年)には駅に設置されていたことが確認されているが、設置の経緯は不明である[18]。 高架新駅完成後は、撤去が計画されていたが、地元住民からの要望により、待合室内に移設されている[18]。 隣の駅かつて存在した路線
参考文献
脚注注釈出典
報道発表資料
新聞記事関連項目外部リンク
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