憎悪の依頼
『憎悪の依頼』(ぞうおのいらい)は、松本清張の短編小説。『週刊新潮』1957年4月1日号に掲載され、1982年9月に短編集『憎悪の依頼』収録の表題作として、新潮文庫より刊行された。 あらすじ私の殺人犯罪の原因は、川倉甚太郎との金銭貸借ということになっている。その原因で判決を受け、一審で直ちに服罪したが、私はここに、口で云えなかった本当の動機を書こうと思う。 佐山都貴子と知り合った私は、だんだん彼女に好意を感じてきていた。彼女も私の呼び出しに応じて、つき合ってくれていたので、私に好意をもっていてくれていたのは確かであった。 そのような状態が半年ばかりつづいたのち、佐山都貴子は私に一通のラブレターを見せた。彼女は笑いながら「恩義を受けた方ですが、奥さんもある人ですの。浮気をしたいのでしょうね。しょうのない人ですわ」と云った。内心衝撃をうけた私は「ショックでした。このまま家に帰りたくない」と云い、それから、ほぼ一年の間、彼女にさまざまな求愛を試みた。 しかし、佐山都貴子は容易に私の行動を受け入れなかった。「もうしばらくお友だちで交際しましょう」。そうした交際は相変らず続いた。愉しい現状維持に変りはないが、私の希望する進展は少しもなかった。ようやくのことで、佐山都貴子を箱根に誘い出すことに成功した。彼女がそれを承諾した晩、胸が昂ぶって睡れぬ位であった。だが、私の期待は失敗した。宿で私は何をしたか分らなかった。彼女は身体を遠くに避けた。「変よ、そんなこと。じっとしてて。静かにお話をしましょうよ」。私は泥を舐めさせられたような気持で東京に帰った。 私は、自分を翻弄し、思い上っている佐山都貴子に憎悪を覚えた。私は仕返しを用意しなければならなかった。私はその道具を思いついた。それが友人の川倉甚太郎である。決った女房はなく、その代り絶えず女出入りがあった。私は川倉甚太郎を呼び出し、佐山都貴子のことを頼み、彼女を呼び出した時に、偶然、川倉甚太郎が来合せて紹介する風に仕掛けた。それはうまく運んだ。一週間ばかりすると、彼は「電話をかけたら彼女やって来たよ。その晩は先ず手を握り合っただけだ」と云った。私は彼の速さに驚嘆した。こうも易々とゆくものであろうか。私は思いの外平静で居られた。佐山都貴子が、この女蕩しの男の罠に早くかかるがいいと思った。 それから最後の晩が来た。川倉甚太郎は、はじめて眼尻に皺を寄せ、口を歪めて、にやりと笑った。 エピソード
脚注注釈出典 |
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