小林悠 (サッカー選手)
小林 悠(こばやし ゆう、1987年9月23日 - )は、東京都町田市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 2017年のJリーグMVP・J1得点王(23得点)。 来歴プロ入り前保育園にいた頃に兄の影響でサッカーを始め、小学生時には関東選抜にも選出される。川崎フロンターレU-18のセレクションを受験するも落選し、麻布大学附属渕野辺高等学校(現麻布大学附属高等学校)に進学した。 高校では3-5-2システムのトップ下、サイドハーフとしてプレーし2004年、2005年と全国高校サッカー選手権に2年続けて出場を果たした。この時のチームメイトには、お笑い芸人・ぺこぱのシュウペイ、太田宏介、小野寺達也等がいた。 拓殖大学ではFWでプレー。大学在学中の2008年7月15日に特別指定選手として水戸ホーリーホックに所属が決まると、ケガ人の多いチーム事情もあり、7月20日のヴァンフォーレ甲府戦に出場。大学4年時の2009年4月8日、大学卒業後の2010年シーズンから川崎フロンターレに入団することが発表された。同期入団は楠神順平ら。 川崎フロンターレ入団前の怪我でシーズン当初をリハビリに費やすが、2010年9月5日に行われた第90回天皇杯2回戦の鹿屋体育大学戦で2得点を挙げ、公式戦初ゴールを記録。 2011年、シーズン開幕前に背番号を24から前年までヴィトール・ジュニオールが着用していた11に変更。5月3日のJ1リーグ第9節・ジュビロ磐田戦で途中出場しリーグ戦初ゴールを挙げ、リーグでは年間12得点をマークした。 2015年シーズンは怪我に苦しむが、2016年、大久保嘉人とともに2トップの一角として得点を量産、7月30日、2ndステージ第6節の湘南ベルマーレ戦ではクラブ新記録となる6試合連続得点を挙げ[1]、8月6日に行われた2ndステージ第7節の甲府戦でも得点を挙げてJリーグ記録にあと1得点と迫ったが[2]、続く第8節のサガン鳥栖では得点を挙げられず、連続得点は7でストップした。11月26日、Jリーグの複数クラブからオファーを受けたが、自身のブログで残留することが発表された[3]。 2017年、前年までキャプテンを務めていた中村憲剛に代わりキャプテンに就任。2月25日、大宮アルディージャとの開幕戦では4年連続となる開幕戦ゴールを決めて勝利に貢献した。5月30日、ACL決勝トーナメント1回戦の第2戦ではムアントン・ユナイテッドFCに1得点2アシストの活躍でベスト8進出に貢献した[4]。 12月2日、最終節の大宮戦でプロ入り後初のハットトリックでクラブ史上初のリーグ優勝に貢献し、自身初の得点王に輝いた[5]。5日に開催されたJリーグアウォーズでは得点王、ベストイレブン、MVPに選出された[6][7]。 2019年7月14日、第19節のFC東京戦では史上14人目となるJ1通算100点目となるゴールを決めた[8]。10月26日、ルヴァンカップ決勝の北海道コンサドーレ札幌戦では2得点し同大会初優勝[9]。 2020年8月14日、第10節のコンサドーレ札幌戦でJ1での通算111得点目を記録。ジュニーニョが持つJ1でのクラブ最多得点記録を更新した[10]。 2021年2月20日行われたゼロックススーパーカップではアディショナルタイムに決勝点を決めて優勝に貢献した[11]。 日本代表2014年10月、日本代表に初招集され[12]、10月10日のキリンチャレンジカップ・ジャマイカ戦で日本代表デビューを果たした。 2016年3月17日、2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選の代表発表で復帰。6月3日、キリンカップサッカー2016のブルガリア代表戦で代表初先発を果たした。 2017年12月12日、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017の中国戦で代表初得点を決めた[13]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
タイトルクラブ川崎フロンターレ
個人
代表歴出場大会
試合数
出場
ゴール
脚注
関連項目外部リンク
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