宮前町 (さいたま市)
宮前町(みやまえちょう)は、埼玉県さいたま市西区の町名。郵便番号は331-0046[2]。本項では、宮前町の前身で現在も残存する[4]大字上内野(かみうちの)および大字西内野(にしうちの)と、その前身である内野村(うちのむら)やその後に成立した上内野村(かみうちのむら)や西内野村(にしうちのむら)についても述べる。 地理埼玉県さいたま市西区の北東部の大宮台地上に位置する。大宮台地より河川沿いの低地に向かって比較的緩やかに傾斜している。地区の東側で日進町に、南側で三橋および指扇に、西側で西大宮に、北側で清河寺や内野本郷およびその飛地に隣接する。地区内中央では国道17号(新大宮バイパス・上尾道路)と国道16号(新大宮バイパス・西大宮バイパス)が交差する宮前インターチェンジがあるなど交通量は多い。また、南部ではロードサイド店舗が出店している。北西部は住宅がまばらで、農地が広がるのどかな地域である。 河川地価住宅地の地価は、2013年(平成25年)7月1日に公表された埼玉県の地価調査によれば、宮前町665番40の地点で11万4000円/m2となっている[5]。 歴史もとは武蔵国足立郡に属する内野村、古くは戦国期頃より見出せる郷村である上足立郡(かみあだちぐん)に属する内野郷であった[6]。近世初期頃に内野村から上内野村・下内野村(現・三橋五丁目・六丁目に相当)・内野本郷村(現・内野本郷)・清河寺村(現・清河寺)に分村したとみられる[6]。 上内野村江戸期は足立郡植田谷領に属する上内野村で古くは内野郷に属していたと云われている[7]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では300石余(田22町余、畑20町余)、『元禄郷帳』では181石余、『天保郷帳』では182石余であった。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は10軒で、村の規模は東西8町、南北6町であった[7]。
内野村江戸期は足立郡植田谷領に属する内野村で、古くは内野郷水判土荘に属していたと云われている[6]。村高は『元禄郷帳』では123石余、『天保郷帳』では123石余であった。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は24軒で、村の規模は東西10町、南北6町であった[6][8]。
宮前町の成立以降
世帯数と人口2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[18]。
交通地区内を川越線が横断するが駅はない。最寄駅は同線西大宮駅または日進駅である。 道路
バス大宮駅西口方面からの路線バスが運行されている。さいたま市西区コミュニティバスやさいたま市西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」は宮前町方面へ運行されない[19][20]。
寺社施設
史跡など脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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