飯田(いいだ)は、埼玉県さいたま市西区の大字。郵便番号は331-0058[2]。
地理
さいたま市西区南部の古入間川[4]が乱流して作り出した沖積平野(荒川低地)上に位置する。地区の中央部の県道56号沿いには自然堤防による微高地が見られ、古くからの民家も少なくない[5][6]。地区北部を新川が東西に流れ、流域に水田も見られる。東側から南側にかけて中野林に、西側で二ツ宮に、北側で佐知川や水判土に隣接する。地内の南部に大字中野林のごく小さな飛地がある。また、地区の北方、さいたま市立栄小学校周辺に大字飯田の飛び地が存在する。土地利用としては住宅地などと農地が混在する。なお、かつての飯田村の農民が開発した飯田新田は飯田からは離れており、明治の大合併でも馬宮村に編入されている。かつてはびん沼川が荒川本流であり、地続きであったが、現在は荒川の新流路が開削され、治水橋でのみ往来が可能である。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する飯田村であった[6]。
飯田村の区域が現在の大字飯田となっている。地区中央を川越道が東西に通り、岩槻と川越を結んでいた[6][注釈 1]。
村高は『武蔵田園簿』では250石余(田25町余、畑12町余)で他に野銭永10貫余、「元禄郷帳」では247石余で以降は増減なし。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも当分助郷を負担していた。化政期の戸数は28軒で、村の規模は東西7町、南北4町余であった[6]。地名は諸説あり、説のひとつとして労働交換の功労者であるイイダ氏の田の意によるものがある[6]。
飯田村に存在していた小字
- 屋敷[14]
- 裏
- 観音前
- 前田
- 新田
- 久保田
- 宮山
- 宮下
- 佐知川前
- 井苅
- 鍛冶町
- 塚田
- 井戸尻
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[15]。
交通
鉄道
- 地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅としては西大宮駅などがあるが[16]徒歩圏ではない。
道路
バス
大宮駅西口方面からの路線バスが運行されている。
- 西武バス大宮営業所
- 地区内は「足立神社」、「飯田宿」、「中郷」停留所が設置されている[17]。
- さいたま市コミュニティバス
- 地区内はさいたま市民医療センターから川越線指扇駅を経由して同線西大宮駅に至る「西区コミュニティバス」のが通り、「飯田自治会館」、「飯田宿」停留所が設置されている[18]。
施設
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク