北平野 (姫路市)
北平野(きたひらの)は兵庫県姫路市の町名。北平野1丁目から6丁目までに分かれる。郵便番号670-0893[11]。 本記事では北平野から分かれた以下の町についても解説する。
地理北平野は姫路市中心部北部、広峰山南麓に位置する。北に広嶺山(町名)、以下時計回りに白国、峰南町、城北新町、梅ヶ谷町、上大野と接する。北平野南の町は北平野の南端、北平野奥垣内は北端、北平野台町は西端に位置する。 歴史上古は枚野里(ひらののさと)に属していた。『播磨国風土記』には「少野」であるので「枚野」と呼んだとあり、大野里(現・野里)の傍らの小さい野ということから傍(へら)の野ということで「枚野」と呼ばれたものか[17]。また「飾磨」の地名は姫路駐屯地の敷地内に掛かる平野の「飾万」という字名[18][19]を起源とし[17]、飾磨郡・飾磨町⇒飾磨市⇒飾磨区(町名の冠称としての区)を経て飾磨駅周辺の区域を指すようになっている。『和名抄』には播磨国飾磨郡14郷の一つとして平野郷の名が見える[20][21]。中世には平野北条・平野南条に分かれて、共に一部が称名寺領・広峰社領とされていた模様である[21]。 江戸時代の平野村は飾東郡のうち姫路藩領(一部社寺領)で村高は「旧高旧領取締帳」では1056石余(うち惣社伊和明神社(現・射楯兵主神社)領150石・長谷寺(現・不動院(姫路市山野井町))領20石・正明寺領20石)[22]。 大区小区制においては飾磨県では第8大区第8小区に、兵庫県では第8大区第1小区に属した[23]。1874年(明治7年)村の山すそに平野学校を開設して当村と大野村との児童を教育した[21]。1889年(明治22年)に城北村に属し、1897年(明治30年)に南東部が野砲兵第10連隊ほかの兵営地(現・姫路駐屯地)となる[24][25]。1925年(大正14年)に同村が姫路市に合併しその一部・平野となる[21](参考:[26])。1933年(昭和8年)に姫路市中心部の平野町との区別のために北平野町と改称される[27]。 1976年(昭和51年)に北平野のうち元・城北練兵場の区域が城北新町1丁目の一部・同2丁目になる。1983年(昭和58年)には中心部が北平野1~6丁目、南端が北平野南の町(町名は北平野の南部であることから)、北部が北平野奥垣内(町名は旧字名[18]による)、西端が北平野台町(町名は梅ヶ谷峠付近で高くなっていることから)、南西部が梅ヶ谷町の一部、姫路駐屯地および姫路市立広峰小学校・広嶺中学校に掛かる部分が峰南町の一部となる[27]。 世帯数と人口2024年(令和6年)3月31日現在の人口は以下の通り[28]。
それ以前の世帯数と人口は以下の通りである。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[38]。
交通
施設・旧跡
元・北平野に含まれる峰南町の区域 脚注
参考文献
外部リンク |