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この項目では、兵庫県姫路市の神社について説明しています。鹿児島県南九州市にある別名「釜蓋神社」については「射楯兵主神社 (南九州市)」をご覧ください。 |
射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は、兵庫県姫路市総社本町にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」、「そうしゃさん」と呼ばれる。社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する。60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。
祭神
由緒・歴史
飾磨郡伊和里(姫路市街地周辺)は伊和族(宍粟市一宮町須行名にある、播磨国一宮伊和神社の伊和大神を祀る氏族)の平野部においての拠点であったようで、兵主神は伊和大神であると言われている。出雲系である伊和大神は大己貴神(大国主命)と同一化され、兵主神も大国主命であるといわれるようになったと考えられる。
神仏習合時代には、神宮寺として般若院(般若寺)があった。また、播磨天台六山(書写山圓教寺・増位山随願寺・法華山一乗寺・八徳山八葉寺・妙徳山神積寺・蓬莱山普光寺)による大般若会が行われていた。
江戸時代には、姫路藩主の崇敬が篤かったと伝えられる。
境内
- 本殿 東殿-射楯大神 西殿-兵主大神 中央殿-空殿
中央殿が空殿であることや神饌を献ずる際に西殿から行うなどの特色がある。
摂社
末社
祭事
非常に多くの祭事が執り行われる。主なものは以下、この他に特殊大祭礼として一ツ山大祭と三ツ山大祭がある。
霜月例大祭
播磨国総社となった11月15日を祝って行われる。姫路祭とも。神幸祭で神輿が巡幸する。普段は中央殿は空殿となっているが、例大祭のときのみ、本殿大床中央に神籬を儲け、九所御霊神を祀る。
一ツ山大祭と三ツ山大祭
三ツ山の雛型が国の重要有形民俗文化財、一ツ山大祭と三ツ山大祭が国選択、県指定の無形民俗文化財に指定されている。一ツ山大祭と三ツ山大祭で、かつては神事の内容が異なっていたようだが、現在は同じである。5種の神事-流鏑馬・競馬(くらべうま)・神子(みこ)渡り・一つ物・弓鉾指(ゆみほこさし)が行われる。流鏑馬と競馬は吉凶を占う神事で、神子、一つ物、弓鉾指の者には依巫(よりまし)としての役割がある。このような神事は、近代以前には播磨地域の多くの神社で行われていたが、現在はあまり見られない。神事のほか、様々な奉祝行事が行われ大祭は多くの参詣者で賑う。
播磨国一宮(宍粟市一宮町)の伊和神社においても一つ山祭と三つ山祭が斎行されている。こちらは三つ山が61年に一度、一つ山が21年に一度、伊和神社を囲む白倉山・花咲山・高畑山(三ツ山)、宮山(一ツ山)という実際の山において行われる。総社の一ツ山と三ツ山はそれらを象ったものであるという伝承があり、この辺りからも両社の関係が窺える。
かつては大祭に併せて、内町の至る所で町屋の屋上に壮大な「造り物」が飾られていた。屋上造り物の古くは寛政5年に記述がある。「晴天七日」といって雨天の日を除いて7日間飾られた後、祭りの終了をもって全て潰される。屋上造り物の中には、1つの町の建物の屋根を海に見立て50メートルから60メートルほどもある鯨の造り物や、「羅生門」、「義経の八艘飛び」、「業平東下り」、「安宅の関」などの30メートルから50メートル級の物も多くあり、町ごとに規模などを競っていた[2]。嘉永年間の三ツ山大祭では、姫路藩の家老が展示を1日延長するよう求めたが、先述の習わし通りに祭りの終わりと共に潰された。1953年(昭和28年)の大祭では全体に作られたものの以後は社会構造の変化と共に衰退していたが、2013年(平成22年)の三ツ山大祭では「造り物」が60年振りに復活し神社周辺に10基設置された。この「造り物」を巡るスタンプラリーも開催された[3]。
平成25年1月から3月まで姫路市平和資料館で昭和28年の三ツ山大祭の時に発売された「三ツ山音頭」のレコードが展示・演奏されていた[4]。
- 一ツ山大祭
- 一ツ山大祭は、不定期に斎行されていた天神地祇祭(神前の松原で3732座の天神地祇を祀る)で、かつて行われていた影向祭(ようごうさい、神の影向(降臨)を再現する祭礼)を踏襲したことに始まる。6月11日丁卯日に行われており、丁卯祭と呼ばれた。不定期だったが、現在では丁卯に因み60年に一度(丁卯の年に)斎行される。古くから、神は山やその山頂の岩や樹木を依り代として降臨すると考えられていた。それに倣って、高さ18m直径10mで5色の布を巻いた五色山と呼ばれる置き山を造り、その最上部に山上殿を設け、それを依り代として神の降臨を仰ぐのが一ツ山大祭である。神門の上に設けた門上殿へ射楯神と兵主神を移し、神門前の置き山に天神地祇を招く。
- 三ツ山大祭
- 三ツ山大祭(臨時祭)は、一ツ山大祭の臨時祭で20年に1度斎行される。三ツ山大祭では、五色山に加え、その東側に二色山、西側に小袖を飾った小袖山が並ぶ。一ツ山と同じように、3つの造り山に神の降臨を仰ぐ。
- 2013年(平成25年)に行われた第22回弐式三ツ山大祭では、横綱の白鵬が土俵入りを奉納した[5][6]。
過去の祭事
- 刀剣おどり神事(修羅踊り)
- 近傍には過去に「血の池」があり、1976年(昭和51年)に埋め立てられて総社公園となっている。かつて旧暦7月には総社に人々が抜刀して踊り舞う「刀剣おどり神事」があり、江戸時代には「踊舞神事」「修羅念仏」、江戸時代後半には「修羅踊り」「豊年踊り」と呼ばれた。その行事で傷を被った者が池で洗うと止血したとされたことが池の名称の由来という[7]。あるいは戦いの後、この池で武具の血を洗い、修羅踊りで戦勝を祝ったなどとも伝わる[8]。
文化財
重要文化財(国指定)
- 太刀 銘 定(以下茎(なかご)磨上げ)(綾小路定利)附:韋巻柄(かわまきつか)及び茎断片
重要有形民俗文化財
その他
- 石造鳥居 県指定文化財
- 一ツ山大祭 県指定無形民俗文化財
- 三ツ山大祭 県指定無形民俗文化財
- 三ツ山祭礼図屏風 県指定文化財
- 銅鐘 市指定文化財
- 忠国剣 市指定文化財
伊勢神宮の神宝
伊勢神宮で行う神宮式年遷宮では神宝も新調されるが、古くなった神宝5点が1975年(昭和50年)に譲渡されている。また2016年(平成28年)2月にも、伊勢神宮の内宮と外宮に納められ先年の遷宮で古くなった神宝のうち、革御靭・銅黒造の御太刀・梓御弓・御楯の4点が譲渡された[9]。
交通
参考文献
- 『姫路市史 第15巻上 別編 民俗編』姫路市、1992年、130-182頁。
- “神のやま 第6号”. 播磨国総社 一ツ山大祭・三ツ山大祭保存会. 2024年7月7日閲覧。
関連項目
- 大塚徹 - 境内に歌碑がある。また、三ツ山音頭[4]の作詞者。
脚注
- ^ 論社として行矢射楯兵主神社(姫路市辻井)も挙がったが、一般的には総社のことであると考えられている。
- ^ “江戸期の姫路にあった「造り物」 但馬の一式飾りとの違いは?”. 神戸新聞. https://www.kobe-np.co.jp/news/tajima/201810/0011745322.shtml
- ^ “三ツ山大祭、31日開幕 旧姫路城下で「造り物」巡り”. 神戸新聞. (2013年3月30日). http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201303/0005857521.shtml
- ^ a b “まぼろしのSPレコード「三つ山音頭」を発見~平和資料館で展示・演奏中~”. 姫路市広報. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “三ツ山大祭 横綱白鵬が土俵入りを奉納”. 神戸新聞. (2013年4月1日). https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201304/0005863817.shtml
- ^ “横綱白鵬関が姫路で土俵入り奉納へ 20年に一度「三ッ山大祭」記念で”. 産経新聞. (2013年1月11日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130111/wlf13011114200012-n1.htm
- ^ 姫路のコトモノ (2023年3月2日). “【姫路市】「血の池跡」という場所が、播磨国総社近くにあることを、皆さんは知っていましたか。”. Yahoo!ニュース. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “血乃池跡碑”. 姫路市Webマップ. 姫路市. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “「国宝級」伊勢神宮の神宝 姫路・播磨国総社へ”. 神戸新聞. http://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201602/0008808314.shtml
外部リンク
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