北小金駅
北小金駅(きたこがねえき)は、千葉県松戸市小金にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である[1]。 概要当駅は江戸時代頃から水戸街道の宿場町として栄えた「小金宿」に位置し、旧水戸街道(旧・八坂神社前)より本土寺に至る参道の途中に建設された歴史的経緯を持つ[4]。 東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線を走行する常磐緩行線、武蔵野線(北小金支線)の1社2路線が乗り入れている。 当駅周辺は歴史が古く、多くの神社や寺院の数がある。その中でも「名刹」とされる本土寺と東漸寺は、それぞれアジサイ[5]、しだれ桜の名所であり[6]、見頃の時期には観光客で賑わう。また、駅南方の旧水戸街道沿いは、宿場町として栄えた名残が残る旧市街地である[5]。地方自治の面でも、松戸市と合併するまでは東葛飾郡小金町の中心であった[注 1]。 南口側に各主要施設を結ぶ歩行者デッキ(ペデストリアンデッキ)が整備されており、北口側もエレベーター付きの跨線橋が設けられている。 当駅にはJR東日本都市開発運営のミニ駅ビルであるスキップ北小金(skip)、近傍にはUR都市機構の再開発ビルであるピコティ北小金東館(イオン北小金店など)、ピコティ北小金西館(名店街、松戸市役所小金支所など)のほか、雑居ビル・集合住宅・寺院など多種多様な用途の建造物が混在している。 マツモトキヨシは駅南側で創業した「松本薬舗」がルーツであり[7]、かつては本社が置かれていた。 乗り入れ路線当駅に乗り入れている路線は線路名称上の常磐線であり、運行系統としては緩行線を走る常磐緩行線が停車する。この他に貨物列車専用の武蔵野線(北小金支線)が分岐している。この支線は常磐線の快速線から分岐しており、分岐箇所は馬橋駅構内扱いである。武蔵野線支線を走行するのはその大部分が貨物列車である。臨時で旅客列車が走行する場合もあるが、その場合の運賃計算は新松戸駅経由扱いになる。なお、当駅の所属線は常磐線である。当駅の事務管理コードは▲441110である。 旅客輸送
貨物線歴史
駅構造島式ホーム1面2線を有する[1]地上駅で、橋上駅舎を有している。南側2線の緩行線上にホームがある。 業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)で新松戸駅が当駅を管理している。お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝はインターホンによる案内となる[3]。自動券売機、多機能券売機[3]、指定席券売機[3]、Suica対応自動改札機設置駅。 バリアフリー設備として、ホームと改札階を連絡するエスカレーターが上り・下りで各1台ずつ及びエレベーターが1基、駅南側地上と改札階を連絡するエレベーターが1基設置されている。また、ホーム中央に待合室が設置されている。 のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
駅舎内の施設(駅ナカ・駅ビル)駅ナカ商業施設としてJR東日本都市開発運営のミニ駅ビル「スキップ北小金(skip)」がある。
利用状況2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は21,322人である。 JR東日本および千葉県統計年鑑によると、1990年度(平成2年度)以降の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
駅周辺→詳細は「小金」を参照
再開発ビル・雑居ビル・寺院・集合住宅など様々な用途の建造物が混在しており、駅より徒歩10分圏内には古くからの住宅地と新興住宅地が混同している。坂川周辺には一部畑や林などがある。北・南方面は台地、東・西方面は低地である。東方面は流山・柏両市境にも近い。低地には谷津田、台地には畑や山林を宅地化したところがいくつか存在する。 南口(東漸寺方面)駅舎は元々小金市街の方に向いた南側にあり、橋上駅となってからも駅前広場は南側にしかない。故に「南口」の名称は、地元住民の日常生活においてほとんど聞かれることはない。「駅前」と言えば、南側を指す場合が多い。
北口(本土寺方面)駅前にのみ雑居ビルと小さな商店街がある。目立たないが、駅前に寺院もある。 バス路線駅前再開発後は、駅舎前にある「北小金駅」停留所から小金原団地線が発着している。それ以前の小金原団地線は、北小金駅入口(現在のみずほ銀行北小金支店付近、その後現在のピコティ東館 南付近に臨時移設)バス停が起・終点であった。また、2006年3月16日の小金原団地線馬橋駅入口系統廃止に伴い新設された「貝の花小循環」が乗り入れ、常磐線の駅と小金原地区を結ぶバス路線は当駅に集約・一本化された。同時に西新田経由(旧・五香北線)でも小金原に乗り入れている。その他、この地域有数のコンサートホール「森のホール21」へ直通する路線もかつて存在していた(2015年3月に新松戸駅に行先が変更された)。また新京成バスでは、バス案内所行の深夜バスが運行されている。 かつて、新京成電鉄(当時)の路線においては西新田・光ヶ丘経由で五香駅、東武は南柏駅入口経由で柏車庫(その後柏駅東口・駅入口)までの路線系統があったが、のちに短縮されている。また、1980年代前半までは馬橋駅へ行く新京成電鉄(当時)の系統があった。
隣の駅脚注記事本文注釈
出典
広報資料など一次資料
利用状況
関連項目外部リンク
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