コモディイイダ
株式会社コモディイイダ(英: Comodi-iida Co.,LTD.)は、東京都北区滝野川七丁目に本部を置き、関東地方で食品スーパーマーケットを展開している日本の企業。旧社名は、株式会社飯田百貨店。CGCグループ加盟[広報 1]。 生鮮食品を中心に取り扱うスーパーマーケットを東京都、埼玉県、千葉県、茨城県に展開している。売上構成比は衣料・日用雑貨が1割弱で、ほとんどが食料品である[3]。 歴史・概要福井県大野町出身の飯田信助が飯田吉蔵の養子となって上京し[4]、北豊島郡滝野川町田端91で[5][6]、1924年(大正13年)に「八百信」として青果店を開いた[7]のが始まりである。 この田端銀座通りにあった店舗は薄利多売の商法が評価されて昭和初期には門前市をなすと評価されるほど繁盛し[4]、小石川区柳町24にも支店を出すようになっていた[7]。 1935年(昭和10年)1月3日に東京市王子区上十条町38番地を本店として資本金4000円で「合資会社飯田百貨店」を設立して法人化し[8]、食品全般と日用雑貨の販売を開始した[1]。 その後、1937年(昭和12年)1月15日には東京市滝野川区田端町90番地を本店として資本金5万円で「(初代)株式会社飯田百貨店」を設立し[9]、1938年(昭和13年)6月15日に「合資会社飯田百貨店」を解散し、東京市王子区上十条町38番地を本店として資本金5万円で「株式会社飯田雜貨店」を設立した[10]。 しかし、1943年(昭和18年)に企業整備令により解散し[11]、休業することとなった[12]。 1946年(昭和21年)に北区滝野川にて[1]「飯田信助商店」として営業を再開し[13]。1948年(昭和23年)1月27日に[1]資本金17万8000円で「(2代目)株式会社飯田百貨店」に改組して法人化した[14]。 1953年(昭和28年)8月に飯田商事株式会社を設立して[15]、1962年(昭和37年)にセルフサービスを導入し[13]、1970年(昭和45年)9月にグループの飯田商事株式会社を合併した[12][14]。 青果や鮮魚などの生鮮食品を各店舗の担当者が卸売市場で直接買い付けて自社の自動車で店舗へ納入するなど、仲卸に頼らない直接仕入れを行い、仕入れを抑えることで競争力を維持する戦略を採用し、生鮮部門を全て直営で展開[16]。 また、無借金経営で店舗の多くを自社物件としており、店舗の上層階に社員寮を整備して、自宅通勤者と既婚者以外を入居させるなど、通勤負担や賃料負担を抑制する頃日経営で店舗を増やした[16]。 1997年(平成9年)に「株式会社コモディイイダ」に社名を変更した[広報 2]。 沿革
営業中の店舗→現在営業中の店舗についての詳細は、公式ページの店舗・チラシ情報を参照
2024年4月時点で、以下の1都3県に計86店舗出店している[18]。
閉店した店舗東京都
埼玉県
千葉県
茨城県駅伝部・アスリートクラブ1973年(昭和48年)に当時の陸上競技経験者の有志が集まり飯田百貨店陸上部として結成。平成期に入り活動を縮小したが、2009年(平成21年)にコモディイイダ陸上競技部に改名し実業団登録、本格的に活動を再開させた。2011年(平成23年)度から長距離以外の選手の加入も増えたことから、全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)出場を競技の最大目的として活動する「駅伝部」と、それ以外の競技及びメンバーによる「アスリートクラブ」に分割した[広報 7]。 駅伝部は2019年(令和元年)11月3日に開催された第60回東日本実業団対抗駅伝競走大会において12位に入り[24]、2020年(令和2年)1月1日のニューイヤー駅伝に初出場を果たした。2020年、2021年の東日本大会でも12位、2022年の東日本大会は11位、2023年の東日本大会は8位で、5年連続のニューイヤー駅伝出場を達成している。2024年1月のニューイヤー駅伝では30位に入り、過去最高順位を記録した。[要出典] 女子部員は全日本実業団対抗女子駅伝競走大会(クイーンズ駅伝)への出場を目指し2021年から全日本実業団対抗女子駅伝競走大会予選会(プリンセス駅伝)に出場している。プリンセス駅伝において2021年は21位[25]、2022年は26位[26]、2023年は30位[27]で、クイーンズ駅伝への出場は未だ果たせずにいる。[要出典] 関連会社関連項目脚注出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料外部リンク |