八丁目
八丁目(はっちょうめ)は、埼玉県春日部市の町丁。現行行政地名は八丁目のみ。丁番の設定のない単独町名である。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は344-0006[2]。 地理埼玉県の東部地域で、春日部市北部の利根川(大落古利根川)が造り出した沖積平野[5](中川低地)に位置する、埼玉県道320号西宝珠花春日部線に沿って北東から南西にかけて細長い区域を持つ地区である。南部の大落古利根川流域を中心に自然堤防の微高地に位置するが、多くは後背湿地や氾濫平野に位置する[6]。 東側で樋籠や樋堀、南側で粕壁東や粕壁、西側で梅田や小渕、北側で不動院野や立野や上柳と隣接する。また、北側では北葛飾郡杉戸町大塚とも隣接する。 旧倉松落を境に南側は市街化区域、北側は市街化調整区域に指定されている[7]。市街化区域内の南側は粕壁宿に近く、日光街道(旧日光街道)も通っており、古くから栄えていた地域で「新町」とも呼ばれていた[8]旧幸松村の中心市街地である[9]。主に第一種住居地域に指定され、国道4号(日光街道)などの通り沿いは第二種住居地域や準住居地域に指定された戸建ての住宅地である。県道惣新田春日部線(旧日光街道)沿線は近隣商業地域である。 市街化調整区域内は主に田園地帯で、北部で散居集落的な景観(散居村)が見られる。 河川地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)の公示地価によれば、八丁目529番地7の地点で10万0,000円/m2となっている[10]。 歴史もとは江戸期より存在した下総国葛飾郡幸手領に属する八丁目村であった[5]。寛永年間(1624年〜1645年)頃に武蔵国葛飾郡に属されたと思われる[5]。古くは田宮荘の内にあったと云う。村民の筑前という人物が開拓し、元和年間の頃には若狭という人物も開拓したと云われている。 村高は正保年間の『武蔵田園簿』では443石余(田160石余、畑282石余)、『元禄郷帳』によると467石余、『天保郷帳』によると474石余であった[5]。助郷は日光街道粕壁宿に出役していた[5]。化政期の戸数は120軒で、村の規模は東西4町余、南北29町余であった[5]。地名の由来は新補地頭の給田である「八町免」から転じたと云われている[5]。
存在していた小字
世帯数と人口2024年(令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]
小・中学校の学区
交通地内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は東武鉄道春日部駅で、八丁目529番地7の地点より1,100 m[10]離れている。 道路バス地内に路線バスの路線は設定されていない。
地域寺社・史跡
公園・緑地
施設
過去の施設
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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