京浜急行バス杉田営業所
![]() 京浜急行バス杉田営業所(けいひんきゅうこうバスすぎたえいぎょうしょ)は神奈川県横浜市磯子区杉田5-30-1に所在する京浜急行バスの営業所。主に磯子駅・上大岡駅・横浜駅を発着する路線を担当している[1]。最寄りバス停留所は「杉田平和町」[1]、営業所記号はY。 2018年(平成30年)3月31日までは、京浜急行バスの分離子会社であった横浜京急バス株式会社の配下に置かれていたが、同年4月1日付で京浜急行バス本体に吸収合併されて消滅会社となり、自社路線は京浜急行バスに復帰、受託路線は管理委託を解除された[2]。 沿革
起源杉田営業所の路線の起源は、横浜乗合自動車が1928年(昭和3年)11月8日に営業を開始した横浜駅 - 桜木町 - 馬車道 - 長者町 - 磯子 - 杉田である。 横浜乗合自動車は、当時富士箱根自動車(現・箱根登山バス)の社長であった山口正造が資金を提供し、同年9月23日に創立された。路線免許は常任監査役の仲山徳太郎が会社創立以前に個人名義で許可を得ていた。一時は富岡まで路線を延長して、京浜急行バスの前身で横須賀市内を中心に路線を展開していた横須賀自動車と連絡を取り、横浜市電および横浜市営バスと競争していた。横浜市から何度か買収の交渉があったが成立せず、1934年(昭和9年)12月に横須賀自動車に買収され、翌1935年(昭和10年)10月に横須賀自動車へ合併された。 →詳細は「京浜急行バス § 湘南電気鉄道のバス事業」、および「横浜市営バス § 民営バスとの競合」を参照 →「箱根登山バス § 競合の末の合併から戦時統合まで」も参照 横浜乗合自動車時代から杉田営業所が設置されており、横須賀自動車への合併後もそのまま存続した。その後、横須賀自動車は何度か合併を繰り返した末、湘南電気鉄道へ吸収合併されたが、その間に所管路線の変更はなかった。ただし営業所名が杉田営業所から、湘南電気自動車横浜営業所へ改称されている。 →「湘南電気鉄道 § 湘南電気鉄道のバス事業」、および「京浜急行バス § バス営業所の変遷」も参照
1941年(昭和16年)11月に湘南電気鉄道は京浜電気鉄道に吸収合併された。翌1942年(昭和17年)8月の東京急行電鉄(大東急)成立後、1943年(昭和18年)4月1日には再び杉田営業所へと改称している。 →「大東急 § バス営業所」も参照
戦後復興と堀内営業所への統合戦時中休止していた横浜駅 - 杉田線は、1945年(昭和20年)10月11日に沿線住民からの要望によって運行を再開した。しかし他営業所の車両不足を補うため、1947年(昭和22年)5月より短期間ではあったが横浜市へ路線の委託を行い、自動車9両を逗子・三崎・衣笠・川崎の各営業所に転属させている。また、1946年(昭和21年)5月5日には杉田 - 船越線(戦前は平坂営業所が杉田 - 横須賀線として所管)が杉田営業所の所管で運行を再開した。 →詳細は「京浜急行バス堀内営業所 § 八景線、安浦2丁目線」を参照
1948年(昭和23年)6月1日の大東急からの分離独立と同時に、杉田営業所は堀内営業所に統合されたため、杉田営業所はいったん消滅する。 路線拡充による営業所の再設横須賀市から横浜市にかけての東京湾岸地域は、杉田営業所の廃止後は堀内営業所の営業エリアとなっていた。しかし堀内営業所は車庫が狭く、また営業エリアが広範囲であったため、復興に伴い所管路線が増えてくると運営が困難になってきた。そこで運行の効率化を図ることとなり、1952年(昭和27年)12月1日付で旧杉田車庫が杉田操車場として復活した。その後1959年(昭和34年)には白山道循環線が横浜市交通局より移管されることになったのを受けて、同年3月16日に営業所へと昇格し、再び杉田営業所が設置された。 →詳細は「京浜急行バス能見台営業所 § 白山道循環線」、および「横浜市営バス § 市民急増に対応し運行拡充」を参照
この時の所管路線は、横浜駅 - 堀内の横浜線を中心に、追浜営業所管轄で現存する柴町線および車庫 - 野島 - 文庫線、能見台営業所管下で現存する白山道循環線、そして鎌倉営業所の八景線の一部便を追浜駅まで運転した追浜 - 鎌倉線の計5路線であった。 翌1960年(昭和35年)、上大岡駅 - 上大岡住宅線が運行を開始し、上大岡地区に初めて進出した。1963年(昭和38年)には、同線の循環化と杉田への直通運転を開始し、1965年(昭和40年)には南高校線も開通した。なお、同年10月1日に横浜営業所(初代)へと改称している。その後も1966年(昭和41年)に横浜駅 - 追浜日産線、1967年(昭和42年)に関内駅 - 杉田平和町が開設されるが、この頃より道路状況が悪化し始めたため、長距離路線の分断などが行われた。 →詳細は「京浜急行バス追浜営業所 § 磯子線」、および「横浜市営バス磯子営業所 § 4系統」を参照
1978年(昭和53年)6月16日に追浜営業所が開設されると、横浜営業所は廃止され、追浜営業所杉田車庫となった。 →詳細は「京浜急行バス追浜営業所 § 沿革」、および「京浜急行バス § 営業所の変遷」を参照
2度目の再興から横浜京急バスへ新設された追浜営業所は拡大を続け、1987年(昭和62年)には能見台車庫も開設された。これにより規模が追い付かなくなることが予想されたため、京急電鉄本社は杉田車庫・能見台車庫を分離することにし、1990年(平成2年)、再び横浜営業所(2代目)が創設された。この当時は、能見台車庫は横浜営業所配下に置かれていた。 →「京浜急行バス能見台営業所 § 沿革」も参照
1994年(平成6年)11月1日、横浜営業所を現在の杉田平和町バス停付近へ移転した。移転前は国道16号を挟んで海側に営業所、山側に車庫が設けられていた。山側の跡地には現在、かつての車庫の敷地内を裏手の住宅地に通じる道路が通り、海側の跡地にはジョナサン横浜杉田店(現:ガスト横浜杉田店[3])の店舗が建設され、いずれも一部が国道拡幅用地として確保されている。 2001年(平成13年)6月、分離子会社として横浜京急バス株式会社が設立された。これに伴い能見台車庫を営業所に昇格させ、横浜京急バスには杉田営業所(記号:NY)、能見台営業所(記号:NN)、追浜営業所(記号:NA)を設置し、3営業所の路線を順次移管や管理委託の形で切り離していった。この際に「杉田営業所」の名称が復活したが、「横浜京急バス横浜営業所」という名称を避けたものと思われる。 2003年(平成15年)には京浜急行バス株式会社が事業を開始した。京急電鉄本社はこの際に、京浜急行バスの立ち位置について将来的に、東武鉄道が東武バス分社化の際に採ったような中間持株会社形式に移行することを視野に入れていた。すなわち京浜急行バスには路線を置かず、京浜急行バスの傘下に分離子会社各社を置いて、全路線を移管しようと考えていたのである。[要出典] →「東武バス § 路線撤退・移管そしてバス事業本部の分社化」、および「京浜急行バス § 京急バスグループ時代」も参照
分離子会社体制終焉、3度目の再興横浜京急バス配下の3営業所に所属する路線の移管や管理委託は完了したものの、堀内営業所の一部路線と逗子・衣笠・久里浜・三崎の4営業所は全路線が京浜急行バスに残ったままだった。加えて横浜京急バス・湘南京急バスに採用された乗務員が推薦を受けて京浜急行バス本体に転籍する乗務員登用制度も設けられるなどしたため、完全移管にはかなりの時間を要すると見られていた[誰によって?]。 2010年代後半に入ると、東京オリンピック・パラリンピックや訪日外国人の急増によるバス需要の増加に伴う運転手不足や、複数の部門子会社が存在することによる管理部門の重複などの非効率が指摘されるようになる[誰によって?]。こうして京急本社は京浜急行バス本体に残った一般路線の完全分離をもはや不可能と判断せざるを得なくなった。[要出典]そして分離子会社に移管していた路線も京浜急行バス本体に戻して一体運営によるスケールメリットを追求するのが得策と判断し、[要出典]横浜京急バスは吸収合併されることになった。 2018年(平成30年)4月1日付で横浜京急バスをはじめとする分離子会社3社は京浜急行バス本体に合併され解散、横浜京急バス杉田営業所の後継組織として杉田営業所(2代)が15年ぶりに創設された[2]。同時に、17年間続いた管理委託はすべて解除された[2]。 →詳細は「京浜急行バス鎌倉営業所 § 分離子会社体制の終焉」、および「京浜急行バス羽田営業所 § 再興」を参照
年表
現行路線一般路線バス横浜線
横浜乗合自動車時代から続く歴史ある路線。横浜駅東口から国道16号をひたすら走る(ただし、長者町5丁目 - 中村橋間は国道16号を外れる)。2006年(平成18年)3月までは横浜市営バスと共同運行していたが、横浜市交通局のバス再編に伴い市営バスが撤退したため、それ以降は京浜急行バスが単独で運行している。 かつては平日・土曜ダイヤと日曜・祝日ダイヤの2本体制になっていたが、2014年(平成26年)10月11日より土曜ダイヤを設定した。2020年(令和2年)2月16日のダイヤ改正では、減便の実施とともに横浜駅東口 - 磯子駅間運行便と横浜駅東口 → 杉田間運行便が廃止された[8]。後者は末期は平日朝1本のみの運行であった。 桜木町駅 - 磯子車庫前間で国道16号線を走行する区間では、横浜市営バス113系統も並走する(そちらは長者町5丁目 - 中村橋間も国道16号を走行し、吉野町駅前経由で運行)。 →「横浜市営バス磯子営業所 § 113・327系統」も参照
上大岡線
上大岡線は、上大岡駅と森が丘・汐見台団地方面を結ぶ通勤通学・生活路線である。上2系統は森が丘循環と案内されており、上大岡駅から森が丘の住宅街を一回りして上大岡駅に戻ってくる。上3系統は汐見台循環と案内されており、森ヶ丘を出ると坂道の多い汐見台団地の中を走り、浜小学校前へ抜ける。浜小学校前からは上大岡駅までは、横浜市営バス64系統と同じルートを通る。浜小学校前行きは、最終2本のみ運転される。浜小学校前では便によって停車する停留所が異なり、浜小学校前行きは横浜交通開発バス70系統の「浜小学校前(レインボー入口)」と同じ場所に停車する。上5・磯6系統は、上大岡台からは汐見台団地の中に入っていき、テニスコート前・ストアー前(横浜市営バスの「汐見台ストアー前」とは別の場所)を通り、磯子駅・杉田へ向かう生活路線であり、1 - 2時間に1 - 2本運行される(ただし、磯6系統は土日祝日に、昼間約2 - 3時間運行がない時間帯がある)。杉田発着便については上5・磯6ともにほぼ同一のルートで運行されるが、上5は磯子駅を経由しない。 →「横浜市営バス磯子営業所 § 64系統」も参照
2007年10月15日より、上7系統の運行が開始された。1時間に1 - 3本の運行で、上大岡駅発最終便のみ山王台小学校止まりとなる。横浜市営バス64系統と同じルート(鎌倉街道とその後の狭路)を走行後笹堀へ向かうが、最戸橋・越戸橋・向田橋の各停留所は通過する。笹堀から岡村・泉谷地区の住宅街の曲がりくねった道を通り、山王台小学校前を出ると上3系統のルートに合流し、上大岡駅へ行く。 過去に急カーブ、急な坂などが続くため、大型短尺車(大型9m車)が使用されていた。上7系統は、小型バスが使用される。 南高校線
南高校線(上1系統)は、上大岡駅と南高校前との間を大久保町経由で結ぶ路線である。横浜市立南高校に通う学生などが多く利用するため平日朝夕は特に混雑するが、狭隘路線であるため中型車が運用に入る。上大岡駅 - 大久保町間は道路事情により、往路と復路でルートが若干異なり、慰霊堂入口には往路のみ停車する[1]。 空港リムジン
近年空港リムジンバスが増えて来ている中で、1995年(平成7年)に開設されたパイオニア的路線である。2005年(平成17年)3月まで東京都内の京浜島営業所担当であったが、鎌倉営業所に移管された。 この路線の特徴は、大船駅近辺にある横須賀線田園踏切のガードに3.1mの車高制限がある事で、ハイデッカーの車両が投入できず、標準床車で運行されている。 2013年10月1日より羽田空港 - 大船駅・鎌倉駅線の運行を開始。 2021年4月16日より鎌倉営業所から移管。 中距離高速バス
廃止・移管路線移管路線磯子線
1959年(昭和34年)3月16日付で堀内営業所から移管。1971年(昭和46年)に杉田以南が分割される。1978年(昭和53年)の追浜営業所開設時に追浜本所へ移管。 →詳細は「京浜急行バス追浜営業所 § 磯子線」、および「横浜市営バス磯子営業所 § 4系統」を参照
鳥見塚線
1985年(昭和60年)9月10日付で新設。追浜営業所の磯子線(4:磯子駅 - 東京ファイン(当時))が国道16号の交通渋滞により慢性的に遅延していたため、路線北側の杉田、富岡周辺までの遅延対策として立ち上げられたもので、ルートは磯子線と全く同じ。朝のみ数往復の運行だった。 横浜京急バス設立後は運行受託となったが、横浜市営が磯子線から撤退する際に事実上の統合となり、横浜市営では路線移管という形で廃止されている。 →詳細は「京浜急行バス追浜営業所 § 磯子線」、および「横浜市営バス磯子営業所 § 4系統」を参照
中距離高速バス2007年9月1日運行開始。当初は京急側を羽田営業所が担当していたが、2010年(平成22年)5月16日付で当営業所へ移管。2016年(平成28年)1月16日付で新子安営業所へ再移管された。 →詳細は「京浜急行バス新子安営業所 § 中距離高速バス」、および「日東交通館山運輸営業所 § 高速バス」を参照
廃止路線追浜 - 鎌倉線鎌倉営業所の八景線(鎌24系統)をベースに、金沢八景駅と追浜駅の間を延長した路線。出入庫は磯子線の営業で行っていた。1978年(昭和53年)の追浜営業所新設に伴い廃止され、金沢八景駅までに短縮の上、鎌倉営業所の単独運行となる。 →詳細は「京浜急行バス鎌倉営業所 § 八景線」を参照
ポートサイド線
ポートサイドとパシフィコ横浜を横浜駅東口・ぴあアリーナMM経由で運行していた路線。京浜急行バスの一般路線としては唯一のみなとみらい地区乗り入れ路線だった。主に小型車で運行されていた。 運賃は横浜市内均一運賃(大人220円・小人110円)で、土日祝日・年末年始は運賃が100円(小人50円)となっていた[12]。京急バスが実施しているエリア限定のワンコイン運賃(大人100円)は、本来は現金での支払いに限り適用されていたが[15]、この路線では交通系ICカードでもワンコイン運賃が適用された(適用期間のみ)[15]。 みなとみらい線の開業に加え、横浜市営が超大型連節バスによる200系統『ベイサイドブルー』の運行を始めたため京急は存在意義を失ったと判断、2020年(令和2年)8月31日をもって廃止[14]。これにより、みなとみらい地区を走る京急バス路線、および横浜駅東口を経由地とする京急バス路線は姿を消した。 →詳細は「横浜市営バス滝頭営業所 § 200系統(ベイサイドブルー)」、および「横浜市営バス § 特殊な路線」を参照
総合庁舎線![]() ![]() ![]()
平日・土曜日のみ運行されていた富岡地区からの金沢区役所へのアクセス路線。横浜市営バス磯子営業所との共同運行であった。富岡バスターミナルを出たバスは、富岡地区を走行した後京急本線に沿う国道16号線を進み金沢区総合庁舎へと向かう。金沢区総合庁舎発便は寺前を経由して運行されていた。金沢区内への乗り入れと対キロ制運賃の適用は、杉田営業所では本路線のみとなっていた。起点から終点まで同営業所が運行するほかの路線と交わることがなかった[18]。 利用者の減少や長年にわたる赤字であったこと、また路線の大半の区間で追浜管轄の4系統と並走することから、市営・京急共に2021年3月31日限りで撤退、廃止となった[17][19]。しかし、同年7月11日より当系統と市営単独だった294系統を統合する形で市営が321系統の運行を開始[20][21]。この系統は富岡バスターミナルではなく三井アウトレットパーク 横浜ベイサイドを軸に金沢区内で完結する経路に変更された。 →詳細は「横浜市営バス磯子営業所 § 321系統」を参照
深夜急行バス平日の深夜のみ運行。新型コロナウイルス感染症の影響により沿線住民の生活スタイルが激変したため、2020年(令和2年)4月7日より運休となり、そのまま同年6月30日限りで廃止された[22]。 →「京浜急行バス堀内営業所 § 深夜急行バス」も参照
空港リムジン
中距離高速バス
車両
メーカー選択は、2000年代以前は追浜営業所とほぼ同様で、日産ディーゼル工業といすゞ自動車を中心に配置されてきた。日産ディーゼル車は、沿線に日産自動車追浜工場が立地するという事情により、追浜営業所や能見台営業所と共に、比較的後年まで配置が続けられてきた。 沿道に狭隘路線や坂道が多いことから、京浜急行バスグループの中で最も9m大型車(大型ショート)や中型車の比率が高い営業所である。大型車の日産ディーゼル・スペースランナーRA(ワンロマ車、ワンステップバス含む)、9m大型車の日産ディーゼル・RPが活躍してきたが、経年廃車や転出により配置がなくなった。 南高校線では中型車が、上大岡線では9m大型車が使用される。片側2車線の国道16号を走る横浜線(110系統)においても、本数が多いにもかかわらず大型車(いすゞ・エルガ、日野・ブルーリボン)以外に中型長尺車、稀に中型車が投入される。 当営業所に納車される車は、地元横浜市の補助金交付を受けられることから、2000年代以降は原則としてノンステップバスが投入されるようになり、比率が高まった。 2000年代に全社的に車種選択が見直された結果、横浜京急バス向けの一般路線車で日野自動車からの納車が一時的に増えた。中型長尺ノンステップバスのレインボーHRが多く投入され、さらに2007年には上7系統新設に伴い、小型ノンステップバスのポンチョが納車された。このポンチョは側面にLED式の大型行先表示器が装備されているが、これは横浜市交通局に投入された車両と並び全国初のものである。[要出典]2010年(平成22年)には横浜市の補助金を受けてブルーリボンシティハイブリッドを導入。横浜・東扇島・浮島線用にセレガも納車された。 三菱ふそうトラック・バスからの納車は、ポートサイド線専用車として7m級のエアロミディMEが在籍していたが、2017年に廃車となった。他にも横浜・東扇島・浮島線専用のエアロスター4台がおり、これが特定輸送用として都内に転出した後、エアロエースが代替投入された。2011年と2023年と2024年にはエアロスターノンステップが納車された。 2013年にはいすゞ・エルガハイブリッドが1台導入され、110系統を中心に運用されている。2016年からは2代目いすゞエルガの投入が始まった。 2023年、上大岡線上7系統で使っていたポンチョの後継として、中華人民共和国のBYDから小型電気バス『J6』の納車を受けた。これにより、京浜急行バス全社を通じて史上初となる中国製車両が所属することになる。 →「BYD・J6 § 運行事業者」、および「電動バス § 日本での採用例」も参照
なお、時期は、わからないが、Y2753が乗るエコラッピングに、Y2754が、公式マスコットキャラクター『けいまるくん』のラッピングになっている。 一般車とリムジンバスが約半々の在籍である。 ギャラリー
関連項目
脚注
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