杉田 (横浜市)
杉田(すぎた)は、神奈川県横浜市磯子区南部の町名。現行行政地名は杉田一丁目から杉田九丁目。住居表示実施済み区域。 本稿では、1927年(昭和2年)4月1日より1988年(昭和63年)まで存在した杉田町(すぎたちょう)及び、そこから分離新設した杉田坪呑(すぎたつぼのみ)についても述べる。 概要杉田一丁目磯子産業道路と京急本線に挟まれた地域で、国道16号聖天橋交差点から京急杉田駅にかけて東西に商店街「ぷらむろーど杉田」が通る。町の北側には杉田小学校がある。杉田駅に隣接して東急ストアを核テナントとする再開発ビル「プララ杉田」、磯子産業道路と国道16号に挟まれた一角に再開発ビル「らびすた新杉田」がある。らびすた新杉田の4・5階に入居する磯子区民文化センター「杉田劇場」は客席数310席で、1945年(昭和20年)から1950年(昭和25年)まで存在し、美空ひばりが初舞台を踏んだ(旧)杉田劇場から名前を採った。併設のヨコハマ・シーナリータワーは高さ99.9メートルで[6]、磯子区有数の超高層マンションである。 杉田二・三丁目京急本線と笹下釜利谷道路に挟まれた地域で、北側は中原、南側は杉田坪呑に接する。二・三丁目の境に神奈川県道22号横浜伊勢原線(杉田新道)が通り、北側が二丁目、南側が三丁目となる。根岸湾と笹下川に挟まれた丘陵地で、急傾斜地も多い。杉田新道は1913年(大正2年)に着工され、開通当初はトンネルだったが関東大震災により崩壊し、以降は切通しとなった。三丁目の西側に浜中学校がある。 杉田四・五丁目京急本線の東側の住宅街。五丁目の産業道路より東側には杉田ゴルフ場や南横浜自動車学校など西武グループの施設があったが、首都高速湾岸線用地確保のため金沢区福浦に移転し、跡地には首都高速道路のほか新杉田公園やスポーツセンターが建設された。海岸沿いにヨコハママリーナと磯子マリーナの2軒のヨットハーバーがある。五丁目南側には梅林小学校があり、付近を環状3号線杉田梅林トンネルが通る。かつては妙法寺を中心として梅の名所「杉田梅林」として賑わった[7]。宅地化でその多くが失われた現在でも梅林小学校や杉田梅林ふれあい公園に名残が見られる。 杉田六-九丁目1965年(昭和40年)頃から開発された新興住宅地。南東側は金沢区富岡西に接する。 杉田坪呑環状3号線沿いにあり、1985年(昭和60年)頃に杉田台団地が建設された。目の前をJR根岸線が通るが新杉田駅・洋光台駅とも1.5キロメートルほど離れているため、徒歩15分ほどの京急杉田駅か、新杉田駅発着の路線バスの利用が主となる。 地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、杉田4-8-50の地点で22万4000円/m2となっている[8]。 面積面積は以下の通りである[2]。
歴史沿革
町名の変遷
世帯数と人口杉田2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
杉田坪呑2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[22]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[23]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。なお、杉田と杉田坪呑との合算数となる。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。なお、杉田と杉田坪呑との合算数となる。
交通杉田一丁目に京急本線杉田駅、新杉田町にJR根岸線新杉田駅があり、両路線の利用が中心となるほか、国道16号を経由し横浜駅 - 杉田、磯子駅 - 追浜方面を結ぶ京浜急行バスが利用できる。杉田二・三丁目は磯子駅から杉田駅を経由し峰の郷・氷取沢を結ぶ市営バス、六・七丁目と杉田坪呑は新杉田駅発着大谷団地循環の市営バス、八・九丁目は京急富岡駅発着富岡9期ニュータウン循環・能見台センター・金沢文庫駅西口行きの京浜急行バスの便がある。 杉田(横浜市)と縁のある人物
その他日本郵便
警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[26]。
脚注
参考資料外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia