日産自動車追浜工場日産自動車追浜工場(にっさんじどうしゃおっぱまこうじょう)は日産自動車の主力生産工場のひとつである。所在地は神奈川県横須賀市夏島町1。プラントコードは「T」。 概要もともとこの地域には昭和20年の太平洋戦争終戦まで横須賀海軍航空隊とその飛行場があり、終戦後には当時在日米軍最大のスクラップヤードとなっており、戦争での消耗でスクラップ状態になったジープやトラックなどが南方の戦場から運び込まれていた。1948年に富士自動車がここに工場を構え、1958年までにのべ22万9,100台にも及ぶ占領軍自動車の修理・解体・再生事業を行っていた。その間1952年にはクライスラーと技術提携を行い、乗用車製造事業に参入し、排気量3500ccのプリムスのノックダウン生産を開始したが通商産業省(現・経済産業省)がこれを妨害し中止に、1955年には米軍修理車両の激減による追浜工場の人員整理が発表され、これを不満とする労働争議が発生した後、追浜工場は閉鎖され、これを日産自動車が入手したものである。 その広大な土地を利用して日本ではじめての本格的自動車生産工場として1961年に操業を開始した。混流ライン(通称:NIMS=Nissan Integrated Manufacturing System)と呼ばれる同じラインで複数の車種を同時に生産する技術を業界で初めて採り入れた。最新技術の投入も積極的に行い、1970年には自動車業界初の溶接ロボットを導入。近年においても「モジュール生産」など時代に合わせて常に最新技術を投入し続けている世界屈指の自動車生産工場である。敷地内には月間8万台を出荷できる専用埠頭(栃木工場で生産された海外向け車両もここから輸出される)や総合研究所、テストコースも擁している。 敷地面積は1,707,000m2(東京ドーム約37個分に相当)、従業員約2,800名が働く(2016年4月現在)。尚、生産能力は年間約24万台である。 2004年にフェアレディZ(Z33型)の生産を栃木工場に移管して以降、生産車種はFFの小型車が中心となっている。 沿革
現在の生産車種ならびに検査車種生産車種 検査車種 過去の生産車種
※シルフィはBプラットフォーム採用車種であり、タイや中国から部品の6割以上を輸入して製造する逆ノックダウン生産となる[2]。 その他
脚注
関連項目
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