京本政樹
京本 政樹(きょうもと まさき、1959年〈昭和34年〉1月21日[1][5] - )は、日本の俳優、タレント、歌手、ギタリスト。 Ryus-up(リューズ・アップ)所属。血液型B型[6][7]。身長178cm、体重61kg[1]。 来歴・人物出生地は大阪府吹田市[5]。小学生から中学2年生までは茨木市に転居し[8][9]、中学2年生より高校卒業まで高槻市で過ごす[10]。高槻市立柳川中学校[10]を経て大阪府立高槻南高等学校卒業[11]、多摩美術大学中退[12]。 時代劇から現代劇まで幅広いジャンルのドラマで活躍[13]。善の主役から悪の脇役までこなす俳優。シンガーソングライター、着物デザイナーとしても活動。また、端整な顔立ちとは裏腹にコミカルなキャラクターでバラエティ番組にも多数出演している[14]。 俳優・タレント中学2年生の時の社会科見学の写真を知り合いが送ったことがきっかけでジャニー喜多川から直接の電話があり、ジャニーズ事務所にスカウトされる[15]。フォーリーブスらのコンサートに招待されて母親と共に上京したり、春休みや夏休みの度にジャニーズの合宿所にも足を運んでいた[15]。1975年にJOHNNYS' ジュニア・スペシャルがデビューした際にも強く入所を勧められたが、すでに高校に入り、友人とのバンド活動に夢中になっていたため、最終的には断っている[15]。その後ヤマハポピュラーソングコンテストにバンドで出場するなど、ミュージシャン志望で芸能界にスカウトされたが、その直後に俳優として再びスカウトされ、1979年にNHK『男たちの旅路』第4部「車輪の一歩」でテレビデビュー[10]。 1981年、往年のスター・大川橋蔵の『銭形平次』に魚屋役でレギュラー出演したのをきっかけに時代劇俳優としての活躍を目指そうと決意した[16]。その際、橋蔵に時代劇のメイク・所作などを手取り足取り教わっていたことで、共演者から「大川先生が直接人に教えることなんて今までなかったことだ」と言われるほどだった。橋蔵に師事したことで、時代劇への思いが強まる[17]。2001年には自伝『META-JiDAIGEKI』を、2004年には1億円かけて撮られたという写真集『必殺 The bi-kenshi』を出版。橋蔵から指南された化粧、所作、立ち回りを後世に継承するべく、自らが出演した作品や広告などあらゆる場面において、何らかの形で時代劇の要素を取り入れようと努力しており、勢いの衰えた娯楽時代劇の復興に情熱をかけ続けている。父親は橋蔵の大ファンで、若いころに東京まで出向き、鬘と刀を購入した帰路の飛行機で橋蔵と同じ飛行機に居合わせたことを自慢していた[16]。 1983年、深作欣二監督の角川映画『里見八犬伝』に犬塚信乃役で出演[13]。アイドル雑誌などを経て、大ファンであった「必殺シリーズ」への出演を約束され、テレビ朝日系『京都マル秘指令 ザ新選組』に出演。1985年のテレビ朝日系娯楽時代劇『必殺仕事人V』の組紐屋の竜役で大ブレイクし[注 1]、以降、時代劇俳優としての名が世間に浸透した[13]。実は『京都マル秘指令 ザ新選組』での役が、カンフーなどアクション色の強い役であったため、本人は「飾り職人の秀」(三田村邦彦)のような役をやるのだと思い、簪の回し方まで一生懸命練習していたため、三味線屋の勇次(中条きよし)のような役と知らされ驚いたという[19][20](今でもバラエティ番組でよく秀の殺しの仕草をするのはその時の名残)。またバラエティ番組の出演も多く劇場作品『必殺! ブラウン館の怪物たち』で負傷した直後も松葉杖姿で出演したこともある。また、同シリーズの主題歌・劇中音楽も手がけた(#音楽で後述)。 1985年に『必殺仕事人V』で演じたニヒルな殺し屋役で人気を博し、イメージが定着するが[1]、テレビとは異なり、自宅では関西弁を話す[4]。1999年から2年間主役を演じた関西ローカルの刑事ドラマ『新・部長刑事アーバンポリス24』では、妻を亡くし娘と2人で暮らす人情厚く熱血漢、高所恐怖症、大阪人の刑事という役柄で軽快な関西弁を話し、それまでのイメージとは大きく違う役を演じた。その他、2007年の連続テレビ小説『ちりとてちん』における、主人公の叔父で定職につかず儲け話に飛びついては失敗するちゃらんぽらんな役なども演じている[21]。 音楽1984年、アルバム『ラブレーの15分』をリリースしたことでシンガーソングライターとしての才能を認められ、『京都マル秘指令 ザ新選組』の主題歌「I can't say...」でシングルデビュー。 番組のプロデューサーから「曲を書いてみないか」と声をかけられ、1986年『必殺仕事人V・激闘編』では音楽を担当し、主題歌「女は海」の作詞・作曲・編曲を手掛け、鮎川いずみに提供[22]。エンディングのテロップには、キャスト名に加え、作詞・作曲・編曲の担当者として、合計4回「京本政樹」という名前のテロップが登場している。「女は海」のメロディをアレンジしたテーマ曲「闘う仕事人」をはじめ、アレンジャーの大谷和夫とともに劇中音楽やブリッジなど数十曲を手がける。放送時の音楽クレジットは平尾昌晃の名前のみであったが、『必殺仕事人V・激闘編サウンドトラック』発売により、初めて「京本政樹・大谷和夫」の名前がクレジットされている。 レコードデビュー以来、精力的にライブ活動を行い続け、日比谷野外音楽堂や中野サンプラザのステージにも立つ。当初は事務所の方針でテレビの歌番組で歌う機会がほぼ無かったが[23]、1988年には「風のセーラ」で『夜のヒットスタジオ』に歌手としても出演した(1988年1月6日放送)。しかし、やがて俳優・歌手の両立、本来のロック歌手としての活動と時代劇音楽とのギャップに悩み、1988年のアルバムを最後に本格的な音楽活動を休止する。 1997年のシングル「まるで悲しみが雨のように口づける」では、冴木 涼介(さえき りょうすけ)というペンネームで楽曲を発表[2]。 芸能生活25周年となる2004年、熱心なファンの声もあり、本格的に音楽活動を再始動[24]。アルバム『苦悩〜Peine〜』を発売し、各地で自らインストアライブを行い、Zepp Tokyoで昼夜2回ライブを開催した。 2005年10月から2006年3月にテレビ東京で放送された特撮ドラマ『牙狼〈GARO〉』に龍崎駈音役で特別友情出演し、エンディングテーマ「牙狼(GARO)〜僕が愛を伝えてゆく〜」「僕はまだ恋をしてはいけない」の2曲を作詞作曲から手がけ、自ら歌った。本格的音楽活動での主題歌担当は21年ぶりとしてメディアに取り上げられた。 『牙狼〈GARO〉』の出演者5人(小西大樹、藤田玲、肘井美佳、渡辺裕之、京本政樹)により結成された音楽ユニット「GARO Project」をプロデュース、2006年7月26日に京本作の2曲のカバーでマキシシングルデビュー。 2014年、歌手活動の集大成となるCDボックス、『MASAKI KYOMOTO MUSIC WORKS 1984-2014[シンガーソングライター30th Anniversary Special Edition]』が発売された。 プロデュース多方面でプロデュースを行う。映像・音楽作品だけでなく、着物ブランド「雪華」を立ち上げ、自らデザインした作品を発表している。 特撮にも造詣が深く[25]、1990年代には自ら原型担当となってウルトラマンや仮面ライダーのソフトビニール人形をプロデュースしていたことがある(「京本コレクション」の項を参照)[26]。元々特撮番組に強い思い出があったわけではなく、時代劇で共演することが多かった黒部進(ウルトラマン・ハヤタ 役)や森次晃嗣(ウルトラセブン・モロボシダン 役)に当時の話を聞き、そのうちにドラマの撮影技術的な面に興味を持った[16]。藤岡弘、や村上弘明など仮面ライダーシリーズの出演俳優と共演した際に、当時の話を聞く機会も多かったことも影響しており[27]、ライブの途中で特撮やテレビ番組の話を語るようになった。そもそもその経緯は、『必殺』に出演直後にトーク番組出演の依頼が増え始め、時代劇でのクールなイメージと自身の陽気なキャラクターのギャップに悩んだこともあってそれらの話をしているうちに、円谷プロダクションから「バンダイから商品を出してみないか」と声をかけられたのが始まりである。幼少のころより製作が好きで『超人バロム1』のマスクを紙粘土で制作し弟に着けさせた写真も残っている[28]。また、『仮面ライダーBLACK』でゲスト出演した時に「仮面ライダーのスーツ」を見せてもらい、その後の造形制作の参考にしたという。よく「ヒーローグッズコレクター」として紹介されることがあるが、実際は撮影技術や造形などの製作方面に興味があり、特定作品のファンやグッズ収集家ではなく「考証家」である(ホビー誌での連載タイトルは「HERO考証学」であった)。『髑髏戦士 ザ・スカルソルジャー 復讐の美学』では主演とともに監督を務めている。 四日市市からの依頼で、時代劇風のプロモーションビデオ『必見四日市』[29]『続・必見四日市』[30]の2作の主演・監督・音楽を担当した。 時代劇鬘京本が『必殺仕事人V』で着けている、前髪が垂れ下がった独特な町人髷鬘は、結髪・八木かつらの八木光彦とともに考え出したもので、2人の名前を1字ずつとって「政光結い」と名付けられたが、その後、大衆演劇の世界で「京本かつら」として広まった。元々は、深作欣二監督が映画『里見八犬伝』の衣装合わせ時に希望したリーゼントカツラの名残で出来上がった、映画本編使用の鬘に由来する[31]。 その他車・バイク好き。外車の他に、ホンダのNSXやMDXなど国産車も所有[32]。他にレクサス・SCやジャガーEタイプ(シリーズ1 JAGUR XKE)クーペタイプとオープンタイプの2台、トヨタ・2000GT、マツダ・コスモ(コスモスポーツ)など複数台所有し、クラシックカーもコレクションしている[32]。 柔道と剣道の有段者(ともに初段)であるが、開始動機は共にテレビ番組で『柔道一直線』と『おれは男だ!』と言われている[33]。少年時代に『柔道一直線』の一条直也に憧れて、特訓を真似をして布団を被ってお寺の階段から転げ落ちて怪我をした逸話がある[34]。 食事は1日1食で、夕食のみ[32](時間は不定時)。ただし、一度に食べる量は多めで、品目も特に制限していないが、その影響か体型は1990年代以降変化していない[35]。また、野菜よりも肉を好み[35]、ステーキは脂身が特に好きで行きつけの店では牛脂も一緒に出してもらう[36]。 必殺シリーズで人気を得ていたころに出演していた舞台で、カーテンコールの際に共演者のファンを名乗る女が花束を持ってステージに上がって来るが、花束の中にナイフを隠し持っていることに気づき、とっさにナイフを払い落として女を取り押さえたことがある[37]。 グリコ・森永事件で使用された和文タイプライターと同じ型のものを使っていたので、一時、捜査線上に浮かんでいたり[38]、『太陽にほえろ!』にレギュラー出演する予定であったが、同番組でボスを演じていた石原裕次郎の病状関係で番組続投ができなくなり、結局実現しなかったというエピソードがある[39]。 人物関係家族(親族)
人間関係
出演テレビドラマ
映画
オリジナルビデオ
ネットドラマ舞台
ラジオドラマ
テレビアニメ
劇場アニメ
吹き替えゲーム
ドラマCDバラエティ
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