乾 正春(いぬい まさはる、生年不詳 - 1830年10月8日(文政13年8月22日))は、江戸時代後期の土佐藩士。掛川衆侍。幼名は丑之助。通称は市郎兵衛(世襲名)、佐内と変わり、最後は乾 左八と名乗った[1]。
来歴
家族
- 父:乾正壽(宅平)
- 母:本山茂苞(安之進)の娘
- 本人:乾正春(左八)
- 実弟:本山茂良(乾右馬之助)
- 嫡子:乾正勝(弥太郎)
- 養子(実甥):乾正厚(市郎平)
- 正厚の妻:明神善秀(源八)の姉
補注
- ^ 「左八」という名は「佐」の字画から人偏を略し、「内」の字画から外枠を略して「左八」と洒落て書いたものが起源である。
- ^ 乾正壽(宅平)が高齢でありながら中々隠居しなかった為、通常の「惣領御目見え」では無く「嫡孫御目見え」となっている。
- ^ 現 高知県高知市薊野東町
参考文献
関連項目
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宗家 |
- ∴板垣兼信?-1190
- 板垣頼重1190-?
- 板垣頼兼
- 板垣行頼
- 板垣長頼
- 板垣頼房
- 板垣信房
- 板垣兼光
- 板垣信将
- 板垣信国
- 板垣信鑑
- 板垣信能?-1490
- 板垣信為1490-1515
- 板垣信泰1515-1530
- 板垣信方1530-1548
- 板垣信憲1548-1557
- 板垣信安1558-1579
- 板垣修理亮1579-1600
- 板垣半右衛門1605-?
- 板垣平右衛門
- 板垣知貞1651-1704
- 板垣信精1704
- 板垣久五左衛門1704-?
- 板垣知素
- 板垣信房
- 板垣致知
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信憲流 | |
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守正流 | |
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正直流 |
- (正祐弟)板垣正直1644-1688
- 乾正房1689-1721
- 乾吉勝1722-1747
- 乾正英1747-1786
- 乾正壽1786-1829
- 乾正春1829-1830
- 乾正厚1831-1869
- 乾正士1869-1941
- 乾一郎1941-2000
- 高岡真理子2000-
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友正流 |
- (正祐弟)乾友正1648-1689
- (208年間断絶した家を絶家再興)
- 乾六一1898-1903
- (乾姓を絶家して板垣に復姓)無嗣断絶
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土佐流 |
- 板垣喜右衛門1602-1631
- 板垣喜右衛門1631-1674
- 板垣喜右衛門1674-1738
- 板垣只平1738-1741
- 板垣宇助1741-1773
- 板垣喜助1773-1815
- 板垣惇平1815-1857
- 板垣堅助1857-1859
- (弟)板垣高幸1859-1885
- 板垣四十六郎1885-1945
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伴内流 |
- 板垣伴内
- 板垣伴内
- 板垣甚内
- 板垣政次
- 佐々木政清
- (弟)佐々木権右衛門
- 佐々木権右衛門
- (養子)佐々木権右衛門
- (養子)佐々木登政
- 板垣政純
- 板垣政徳
- 板垣政一
- 板垣賛造
- 板垣進吾
- 女子
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征四郎流 | |
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