乾 正行(いぬい まさゆき)は、江戸時代初期の土佐藩士。土佐乾氏(板垣流)の2代目。前名山内平九郎、のち乾金右衛門と称す。家禄は300石。妻は毛利治郎右衛門の娘。家紋は「榧之内十文字」。
来歴
永原刑部一照[1] の次男として生まれる。父一照は、宇多源氏佐々木氏の分流永原氏で、山内一豊に仕えて功多く、山内姓と偏諱「一」の字を賜い山内刑部一照という。一照の長男を永原但馬一長と言い、のち山内金右衛門一長と称したが、ゆえあって改易された。正行はその弟で、はじめ永原(山内)平九郎と言い、乾加兵衛正信の養子となり、乾平九郎正行と名乗る。
実兄改易の時は既に乾家に入っていたため連座を免れた。のち兄の名「金右衛門」を襲名し乾金右衛門正行と改めた。養父正信死去ののち、慶長年中養父跡目高1000石の内、300石を下し置かれ相続する。1614年(慶長19年)、江戸御城の御普請の時、普請御用を仰せ付けられた。1650年1月20日(慶安2年12月18日)病死。
系図
土佐板垣(乾)氏系図
- 実線は実子、点線は養子
- 江戸時代部分は(御侍中先祖書系圖牒)より
家族
補註
参考文献
- 『南路志』巻50。
- 『御侍中先祖書系圖牒』高知県立図書館寄託文書、1826年
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宗家 |
- ∴板垣兼信?-1190
- 板垣頼重1190-?
- 板垣頼兼
- 板垣行頼
- 板垣長頼
- 板垣頼房
- 板垣信房
- 板垣兼光
- 板垣信将
- 板垣信国
- 板垣信鑑
- 板垣信能?-1490
- 板垣信為1490-1515
- 板垣信泰1515-1530
- 板垣信方1530-1548
- 板垣信憲1548-1557
- 板垣信安1558-1579
- 板垣修理亮1579-1600
- 板垣半右衛門1605-?
- 板垣平右衛門
- 板垣知貞1651-1704
- 板垣信精1704
- 板垣久五左衛門1704-?
- 板垣知素
- 板垣信房
- 板垣致知
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信憲流 | |
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守正流 | |
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正直流 |
- (正祐弟)板垣正直1644-1688
- 乾正房1689-1721
- 乾吉勝1722-1747
- 乾正英1747-1786
- 乾正壽1786-1829
- 乾正春1829-1830
- 乾正厚1831-1869
- 乾正士1869-1941
- 乾一郎1941-2000
- 高岡真理子2000-
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友正流 |
- (正祐弟)乾友正1648-1689
- (208年間断絶した家を絶家再興)
- 乾六一1898-1903
- (乾姓を絶家して板垣に復姓)無嗣断絶
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土佐流 |
- 板垣喜右衛門1602-1631
- 板垣喜右衛門1631-1674
- 板垣喜右衛門1674-1738
- 板垣只平1738-1741
- 板垣宇助1741-1773
- 板垣喜助1773-1815
- 板垣惇平1815-1857
- 板垣堅助1857-1859
- (弟)板垣高幸1859-1885
- 板垣四十六郎1885-1945
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伴内流 |
- 板垣伴内
- 板垣伴内
- 板垣甚内
- 板垣政次
- 佐々木政清
- (弟)佐々木権右衛門
- 佐々木権右衛門
- (養子)佐々木権右衛門
- (養子)佐々木登政
- 板垣政純
- 板垣政徳
- 板垣政一
- 板垣賛造
- 板垣進吾
- 女子
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征四郎流 | |
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