ノディ・ホルダー
ネヴィル・ジョン・「ノディ」・ホルダー(Neville John "Noddy" Holder MBE、1946年6月15日 - )、通称ノディ・ホルダーは、イギリスのミュージシャン、俳優である。1970年代よりロックバンド、スレイドではリード・ボーカリストとリズムギタリストとして活動を行ない、ベーシストのジム・リーと共にバンドの楽曲を手がけた。 来歴幼年期 - 青年期1946年6月15日にウェスト・ミッドランズのウォルソールで生まれる。イレブンプラス試験に合格し、グラマースクールに閉校までの1年間通学した[1]。その後、T.P.ライリー・コンプレヘンシヴ・スクールに転校[1]し、6種のOレベル試験に合格した[2][3]。 13歳のときに学校の友人たちとロッキン・ファントムズ(英語: The Rockin' Phantoms)というバンドを結成し、アルバイトで得た給料でギターとアンプを購入した[2]。学校を卒業後、ホルダーは自身のバンド、メンフィス・カットアウツ(英語: The Memphis Cutouts)を結成[4]。1965年には、コロムビア・レコードのアーティスト、スティーヴ・ブレットが率いるバンド[5]やマーベリックスのボーカルとギターを担当[6]。翌年ににスティーヴ・ブレットのバンドを脱退し、リッスンというバンドのロードマネージャーを務める[5]。 スレイド→詳細は「スレイド (バンド)」を参照
1965年にイン・ビトゥインーズ(The 'N Betweens)とマーベリックスがフェリーで出会い、デイヴ・ヒルとドン・パウエルはホルダーにイン・ビトゥインーズへの参加の話を持ちかけるが、ホルダーは断った。その後、ウルヴァーハンプトンで再会し、ホルダーはイン・ビトゥインーズへの参加に同意[2]。同年にアンブローズ・スレイド(Ambrose Slade)名義でファースト・アルバム『ビギニングス』を発売したが、同作がチャートインすることはなかった[2]。後にチャス・チャンドラーのプロデュースのもと、イメージ改革に乗り出すこととなり、バンド名を「スレイド」に改名。1971年にシングルとして発売されたボビー・マーシャンのカバー曲「Get Down Get With It」が全英シングルチャートでは最高位16位を獲得し[7]、続いて発売されたシングル『だから君が好き』で初の第1位を獲得した[8][9]。 ホルダーは、リーとともにバンドのほぼすべての曲の作詞作曲を手がけていて、中でも1973年に発表された「メリー・クリスマス・エヴリバディ」は、全英シングルチャートで首位を獲得した6作目のシングルで、2018年12月までにイギリスだけで100万枚以上の売上を記録している[10]。 1992年にスレイドを脱退[11]。 その他の活動1982年に学生時代の友人であるフィル・バーネル及びスリーフェーズと共同で、シングル『All I Wants To Do Is (Fall in Love With You)』を発売。 1983年後半、リーと共にガールスクールのプロデューサーを務め、T・レックスのカバー曲「20thセンチュリー・ボーイ」、リーとともに書いた「ハイ・アンド・ドライ」や「バーニング・イン・ザ・ヒート」などが収録されたアルバム『プレイ・ダーティー』を発売。 1988年にカナダのペプシコーラのCMのために「Tear into the Weekend」をレコーディング。1989年にヒルと共に新たに結成したバンド、ブレシングス・イン・ディスガイズ(Blessings in Disguise)でボーカルを担当。同バンドには、元ウィザードのビル・ハントや、クレイグ・フェニー、ボブ・ラムも参加していた[12]。同年12月にエヴァリー・ブラザーズのカバー曲「クライング・イン・ザ・レイン」でデビュー。 スレイド脱退後スレイド脱退後、ホルダーは複数のテレビ番組に出演し、ITVで1999年から2001年にかけて放送されたコメディドラマ『The Grimleys』にクラシック音楽の教師役として出演した。同ドラマでは、「だから君が好き」、「カモン!!」、「クレイジー・ママ」、「エヴリデイ」のアコースティック・バージョンが披露された[13]。ピカデリー1152やキー103では自身のラジオ番組を持ち、1990年代を通して全国でシンジケート放送され、2004年から2004年にかけてセンチュリーやキャピタル・ラジオでシンジケート放送された[14][15]。 1999年にリサ・ウェリコとの共著で自伝『Who's Crazee Now?』を出版。2001年にはペーパーバック版が発売された。 2006年にミスティーズ・ビッグ・アドベンチャーが発表したシングル曲「Fashion Parade」のミュージック・ビデオに出演[16]。 人物1976年に衣装デザイナーのレアンドラ・ラッセルと結婚[17]。1984年にジェシカとチャリシーという2人の娘が誕生。1984年にラッセルと離婚し、2004年にテレビプロデューサーのスーザン・プライスと再婚[18][19]。 2000年にMBE勲章を授与され、2001年に英国作曲者賞とソングライター賞の金のバッジを授与された[20]。2014年6月24日に故郷のウォールソールの名誉市民権を授与された[21]。 作品→スレイド名義の作品については「スレイド (バンド) § ディスコグラフィ」を参照
書籍
出演テレビドラマ
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
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