ダンロップフェニックストーナメント

ダンロップフェニックストーナメント
トーナメント情報
創設 1974年
開催地 宮崎県
開催コース フェニックスカントリークラブ
(高千穂、住吉コース)
基準打数 Par71(2008年 - )[1]
ヤーデージ 7,042yards(2020年 - )[1]
主催 住友ゴム工業株式会社
フェニックス・シーガイア・リゾート
株式会社毎日放送
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 ストロークプレー
賞金総額 2億円(2022年)
開催月 11月
最高記録
最少打数 262 アメリカ合衆国の旗 マックス・マクグリーヴィー(2024年)
通算スコア -22 アメリカ合衆国の旗 マックス・マクグリーヴィー(2024年)
最新優勝者
アメリカ合衆国の旗 マックス・マクグリーヴィー(2024年)
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ダンロップフェニックストーナメントDUNLOP PHOENIX TOURNAMENT)は、日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認による男子プロゴルフトーナメントの一つである。

概要

住友ゴム工業フェニックス・シーガイア・リゾート(旧・フェニックス国際観光)・毎日放送(MBS)[2] 主催で、宮崎市のシーガイア内にある「フェニックスカントリークラブ」にて毎年11月第3週から第4週に開催されている。もともとは、1972年に始まった「フェニックストーナメント」(翌年は全日空が冠協賛となり「全日空フェニックストーナメント」として開催)が前身だが[3]、国内ゴルフの活性化には国際化が不可欠と判断、1974年から大会名称を「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント(International Tour DUNLOP PHOENIX TOURNAMENT)」に改めるとともに、その年に活躍した海外の強豪を多数招待する方式に変更された。以来、現在に至るまで50回の伝統を持つ、日本が唯一世界に誇れる国際的ゴルフトーナメントである。1983年から1997年までの優勝者には、翌年8月にアメリカ・オハイオ州アクロンのファイアストーン・カントリークラブで行われる、NECワールド・シリーズ・オブ・ゴルフの出場権が与えられていた。その後、一時この制度が無くなったが、2002年大会から復活し、翌年の世界選手権シリーズ、フェデックスセントジュード招待への出場権が与えられていた。また、2020大会の優勝者には、翌年1月に開催予定のアメリカPGAツアー、ソニー・オープン・イン・ハワイの出場権が与えられた。

2021年は、賞金総額1億5000万円、優勝賞金3000万円[4]。2020年に引き続き、新型コロナの影響による渡航制限で海外選手の参戦不能、及び大幅な減収や経費の増加が見込まれたことから、賞金総額を従来の2億円から5000万円減額した[4]。ただし2020年とは異なり、各日最大5000人を上限とした上で有観客試合として開催された[5][6][7]。2022年は賞金総額を2億円に戻した(優勝賞金も4000万円に戻す)。

優勝者には、ウィナーズ・ジャケット(2002年から)、クリスタル・チャンピオン・トロフィー(ウォーターフォード社製、1998年から)[8]、MBSトロフィー(毎日放送賞)、副賞としてドイツ製高級車メルセデス・ベンツ[9] が贈られる。

大会の歴史

記念すべき第1回大会は、1974年12月5日から8日までの4日間、同年の日本ツアー最終戦として開催された[10]。 帝王ジャック・ニクラスや、当時ルーキーだったベン・クレンショーなど、20人以上の海外招待選手が来日、世界レベルのプレーを披露した。その中で優勝したのは、前年の全米オープン選手権者で、この年のアメリカツアーで8勝を挙げ、自身初の賞金王に輝いたジョニー・ミラーだった。ミラーは出場選手の中で唯一人、4ラウンドとも60台で回り(69-69-69-67)、通算14アンダー、274ストロークでフィニッシュ。台湾の呂良煥に7ストロークの大差をつける圧勝で、栄えある初代王者の座に就いた。歴代優勝者には、ミラーをはじめ、ヒューバート・グリーン (1975年) 、グラハム・マーシュ (1976年) 、セベ・バレステロス (1977年、1981年) 、トム・ワトソン (1980年、1997年) 、スコット・シンプソン (1984年) 、クレイグ・スタドラー (1987年) 、ラリー・マイズ (1989年、1990年) 、ラリー・ネルソン (1991年) 、アーニー・エルス (1993年) 、リー・ウエストウッド (1998年) 、トーマス・ビヨン(1999年、2003年) 、デビッド・デュバル (2001年) 、タイガー・ウッズ (2004年、2005年) 、パドレイグ・ハリントン (2006年) 、ルーク・ドナルド (2012年、2013年) 、ブルックス・ケプカ (2016年、2017年) といった錚錚たる面々が名を連ねている。また、優勝こそ成らなかったものの、トム・カイトベルンハルト・ランガーフレッド・カプルスグレグ・ノーマンサンディ・ライルピーター・トムソンリー・トレビノウェイン・グラディボブ・トウェイイアン・ウーズナムマイク・リードデービス・ラブ3世ホセ・マリア・オラサバルジェフ・スルーマンロナン・ラファティーニック・ファルドスティーブ・ジョーンズマーク・ブルックスジョン・デーリーコーリー・ペイビントム・レーマンバリー・レーンビジェイ・シンフィル・ミケルソンマイケル・キャンベルジム・フューリクダーレン・クラークレティーフ・グーセンセルヒオ・ガルシアグレーム・マクドウェルジャスティン・ローズシャール・シュワーツェルトレヴァー・イメルマンスチュワート・シンクアーロン・バデリーバッバ・ワトソンゴンサロ・フェルナンデスカスタノヘンリク・ステンソンブラント・スネデカーロベルト・カールソンシェーン・ロウリールイ・ウェストヘーゼンマルティン・カイマーキーガン・ブラッドリーウェブ・シンプソンジョーダン・スピースジミー・ウォーカージャスティン・トーマスゲーリー・ウッドランドなど数々の世界のトッププレーヤーが参戦したトーナメントである(2012年まではアメリカPGAツアーは11月初旬にシーズンオフに入るため、他の日本国内大会に比べて有名選手を招待しやすい時期でもあった)。しかし2020年は前述の通り海外招聘ができなくなった[7]。2021年も同様に海外招聘ができなかったが、2022年、3年ぶりに海外から選手を招聘、チリミト・ペレイラら4人が参戦した。

日本人選手では、1985年に、中嶋常幸が大会史上4人目となる完全優勝を果たし、12回目にして初めての日本人優勝者となった。その後、尾崎将司が大会史上唯一の3連覇(1994年から1996年}を達成しており、他には片山晋呉2000年)、横尾要2002年)、池田勇太2010年)、武藤俊憲2011年)、松山英樹2014年)、宮里優作2015年)、市原弘大2018年[11]今平周吾2019年[1]金谷拓実(2020年)、比嘉一貴(2022年)[12]が優勝している。

歴代優勝者

優勝者名 国名 備考
1974年 ジョニー・ミラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1975年 ヒューバート・グリーン 完全優勝。
1976年 グラハム・マーシュ オーストラリアの旗 オーストラリア 完全優勝。
この年からメートル表示となる(1985年大会まで)。
1977年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 当時20歳232日で優勝。大会最年少記録。
1978年 アンディ・ビーン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 完全優勝。
1979年 ボビー・ワドキンス
1980年 トム・ワトソン 大会初の逆転優勝[13]
1981年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 4年ぶり2度目
日本の旗中嶋常幸との一騎打ちを制す。
1982年 カルヴィン・ピート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1983年 陳志明 中華民国の旗 台湾 10回記念大会。
賞金総額が1億円の大台に乗る。(優勝賞金1,800万円)
大会初のプレーオフ。アメリカ合衆国の旗 トム・ワトソンを下す[14]
1984年 スコット・シンプソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 最終日首位と7打差から追い上げプレーオフに進出[15]
ドイツの旗 ベルンハルト・ランガーを下す[16]
1985年 中嶋常幸 日本の旗 日本 完全優勝。日本人選手として初制覇。
スペインの旗セベ・バレステロスとの4年越しの再戦を制す。
1986年 ボビー・ワドキンス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 7年ぶり2度目。
日本の旗中嶋常幸、オーストラリアの旗 グラハム・マーシュとの「最終日最終組チャンピオン対決」を制した。[17]
1987年 クレイグ・スタドラー アメリカ合衆国の旗スコット・ホーク日本の旗牧野裕日本の旗尾崎将司との激闘を制す。
1988年 ケン・グリーン 15回記念大会。
初日から首位のアメリカ合衆国の旗フレッド・カプルス
最終日最終ホールで逆転[18]
1989年 ラリー・マイズ 大会連覇(史上初)
1990年から賞金総額2億円、優勝賞金3,600万円となる。
(1997年まで)
1990年
1991年 ラリー・ネルソン 日本の旗 青木功アメリカ合衆国の旗 ジェイ・ドン・ブレーク
スペインの旗 セベ・バレステロスとのプレーオフを制す[19]
1992年 デビッド・フロスト 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 日本の旗 室田淳とのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝[20]
1993年 アーニー・エルス 20回記念大会。
初来日で日本ツアー初優勝。
通算17アンダー・271ストロークは
パー72設定での大会記録。
1994年 尾崎将司 日本の旗 日本 大会3連覇(史上初)
1994年大会は2日目が雨で中止、54ホールに短縮。
1995年大会からパー71に変更(2003年まで)。
1995年
1996年
1997年 トム・ワトソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 17年ぶり2度目
1998年 リー・ウエストウッド イングランドの旗 イングランド 25回記念大会により賞金総額2億5,000万円、優勝賞金4,500万円で施行。
1999年 トーマス・ビヨン  デンマーク スペインの旗 セルヒオ・ガルシアとのプレーオフを制す。
この年から、賞金総額2億円、優勝賞金4,000万円となる[21]
2000年 片山晋呉 日本の旗 日本
2001年 デビッド・デュバル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 日本の旗 手嶋多一とのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝[22]
2002年 横尾要 日本の旗 日本
2003年 トーマス・ビヨン  デンマーク 30回記念大会。
初日から首位のスペインの旗セルヒオ・ガルシアを
最終日に逆転、4年ぶり2度目の優勝を飾る。
2004年 タイガー・ウッズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇(史上3人目)
2004年大会からパー70に変更(2007年まで)。
2004年大会は完全優勝。
通算16アンダー・264ストロークは
パー70設定での大会記録
2005年大会は日本の旗 横尾要とのプレーオフを制す[23]
2005年
2006年 パドレイグ・ハリントン アイルランドの旗 アイルランド アメリカ合衆国の旗 タイガー・ウッズとのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝[24]
2007年 イアン・ポールター イングランドの旗 イングランド 完全優勝。
2008年 プラヤド・マークセン タイ王国の旗 タイ 35回記念大会
距離延長に伴いパー71に変更。
2009年 エドアルド・モリナリ イタリアの旗 イタリア スウェーデンの旗 ロベルト・カールソンとのプレーオフを制し、初来日で日本ツアー初優勝[25]
2010年 池田勇太 日本の旗 日本
2011年 武藤俊憲 3日目が雨によるコースコンディション不良のため中止。54ホールに短縮。
最終日に8アンダー、63をマーク、
前日首位のスペインの旗ゴンサロ・フェルナンデスカスタノとの4打差を逆転
2012年 ルーク・ドナルド イングランドの旗 イングランド 大会連覇(史上4人目)。
2012年大会は完全優勝。
2013年
2014年 松山英樹 日本の旗 日本 日本の旗 岩田寛とのプレーオフを制す[26]
2015年 宮里優作[27]
2016年 ブルックス・ケプカ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇(史上5人目)。[28]
2016年は初来日で初優勝。[29]
2017年は完全優勝。2位との9打差は大会新記録。
2017年
2018年 市原弘大 日本の旗 日本[11] 45回記念大会。
最終日に8アンダー、63を記録、前日までの5打差を逆転して優勝[30]
2019年 今平周吾[1] 最終日が悪天候の為中止。54ホールに短縮[1]
2020年 金谷拓実 PO 日本の旗石坂友宏とのプレーオフを制し、松山英樹に次いでスピード記録となるプロ転向3戦目で初優勝[31][32]
2021年 チャン・キム[33] アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 最終日に8アンダー、63の猛チャージを見せ、
前日首位だった日本の旗 木下稜介との3打差を逆転。
2022年 比嘉一貴[12] 日本の旗 日本
2023年 杉浦悠太 50回記念大会。史上初のアマチュア優勝[34]
2024年 マックス・マクグリーヴィー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 初来日で日本ツアー初優勝。
通算22アンダー、262ストロークの大会新記録を樹立。

テレビ中継

1972年の前身大会の時代から毎日放送宮崎放送の共同制作によりテレビ中継を行っている[35][36]

1974年のダンロップフェニックスの第1回大会まではNET(現:テレビ朝日)系列で放送されていたが、翌1975年の第2回大会からはTBS系列での放送に移行した。現在では、地上波放送は青森テレビテレビ山梨テレビ高知テレビ山口を除くTBS系列24局ネット。2023年の50回記念大会までは、3日目は生中継(延長対応はなし)[37]、最終日は録画中継されていた[38][39]が、2024年大会は、3日目・最終日ともに生中継された。ただ、延長対応が無かったため、優勝インタビュー及び表彰式の模様が大会公式ウェブサイト内で動画配信された。

また、CS放送GAORAでは、初日、2日目のスタート前のドライビングレンジの様子と、12番ホールから18番ホールまで、それに3日目と最終日の前半戦(1番ホールから9番ホールまで)が生中継される[40][41]。2024年大会のコメンタリー陣を以下に記す。

  • 第1日
  • ドライビングレンジ中継

解説:田島創志
実況:馬野雅行

  • ホール中継

<前半>
解説:加瀬秀樹
実況:金山泉
コースサイドリポート:海渡未来
<後半>
解説:田島創志
実況:川地洋平

  • 第2日
  • ドライビングレンジ中継

解説:田島創志
実況:馬野雅行

  • ホール中継

<前半>
解説:田島創志
実況:川地洋平
<後半>
解説:中嶋常幸
ラウンド解説:加瀬秀樹
実況:井上雅雄
コースサイドリポート:海渡未来

  • 第3日
  • 前半戦(GAORA)

解説:田島創志
実況:川地洋平

  • 後半戦(地上波)

解説:中嶋常幸
ゲスト解説:青木功(本大会名誉トーナメントアドバイザー)[42]
ラウンド解説:加瀬秀樹
実況:井上雅雄
コースサイドリポート:海渡未来

  • 最終日
  • 前半戦(GAORA)

解説:田島創志
実況:川地洋平
リポーター:金山泉

  • 後半戦(地上波)

解説:中嶋常幸
ラウンド解説:加瀬秀樹
実況:井上雅雄
コースサイドリポート及び優勝インタビュー:海渡未来

フジテレビ系列秋田テレビでも翌年正月に録画放送(遅れネット)される。テレビ中継では、住友ゴムからスポーツ事業を分割継承したダンロップスポーツが筆頭スポンサーになっている(2012年から。ただし、番組中盤は住友ゴム(ダンロップ/タイヤ事業)が60秒筆頭の形でスポンサーを継続している)。なお、2001年大会から2007年大会までは、BSデジタル放送BS-i[43]でも放送されていた。更にCSゴルフ専門チャンネルのゴルフネットワークでも、3日目と最終日の模様をTBS系列での放映から1週間以内に後日放映される。かつては関西ローカル(毎日放送)にて最終日の模様を日曜10:00 - 11:24で放送したが、2007年以降は行っていない。

歴代実況アナウンサー

歴代解説者(放送席)

この他に、ラウンド解説(オンコース・コメンテーター)を沼沢聖一が務めていた。また、岩田禎夫(2016年没)が、大会初期から長年に渡ってリポーター、インタビューアーを務めた他、2000年代に入ってからは、GAORA中継の解説、プレスサイドリポーターを務めた。なお、1990年代までは、結城哲郎城野昭(以上毎日放送)の他、多田護(TBS)、田口豊太郎(中部日本放送)、田中正訓川上政行(宮崎放送)といったアナウンサーがホールリポーターを務めた。

関連大会

MRTダンロップフェニックスアマチュアトーナメント
宮崎放送の主催(MBSは共催)で行われるアマチュアゴルフトーナメントで、このトーナメントの前週にフェニックスカントリークラブで行われる前座大会。テレビ放送はGAORAで中継され、その素材を後日MRTで放送されるため、放送中は生放送であることを示すマークが無い。
フェニックスチャレンジ
フェニックスカントリークラブに隣接するトム・ワトソン・ゴルフコースを舞台にして行われるゴルフゲーム
元々は2001年まで行われた「ゴルフバトルロイヤル」で、日本の名ゴルフプレーヤーの青木功をホストに、世界のトッププレーヤーがサドンデス方式のゲームで先にホールアウトした選手が勝ち抜けし、最下位になった選手は敗者となり次々と脱落するルールで、最後まで残った選手が勝者となるゲームだった。
2002年からフェニックスチャレンジの名称でスタート。第1回はタイガー・ウッズをはじめ、デビッド・デュバル、セルヒオ・ガルシア、崔京周、片山晋呉が参戦し、6ホールでのポイントターニー方式でポイントの多い選手が勝者ちなるゲームで、タイガー・ウッズが優勝をおさめた。2003年からはプロとアマの8選手が1対1のマッチプレーによるトーナメント方式で戦い、1回戦2ホールの成績で勝敗を決定し、準決勝、決勝はサドンデス形式で行われる。1打1打勝負を左右する一瞬も気を抜けない真剣勝負である。
その後何度かゲーム方式が変わり、2022年は男子プロ3人、女子プロ3人の3チーム対抗戦(蝉川泰果片岡尚之ミト・ペレイラ岩井千怜岩井明愛笠りつ子。組み合わせは抽選で決定)による3ホールの変則ステーブルフォード方式(ポイント加算方式)で争った。
放送では、解説を青木、実況を馬野が務めるほか、現場の司会進行を金山泉(MBSアカウンサー)が務め、ゲストに鳥谷敬鷲見玲奈を迎えて行われた。なおこの試合の模様をキー局の毎日放送をはじめ、TBS、CBCテレビ北海道放送テレビユー福島RKB毎日放送、宮崎放送及び系列外の秋田テレビにて毎年12月中旬 - 下旬(または正月)ごろにテレビ放送される。
2006年から京セラミタが協賛し「京セラミタフェニックスチャレンジ」の名称となる。2012年からは京セラミタの社名変更に伴い「京セラドキュメントソリューションズフェニックスチャレンジ」の名称へ変更される。2014年からは協賛が親会社の京セラへ変更され「京セラフェニックスチャレンジ」の名称となる。

脚注

  1. ^ a b c d e “今平が今季2勝目、ダンロップフェニックスは54ホールに短縮/国内男子”. サンケイスポーツ. 産経デジタル. (2019年11月24日). https://www.sanspo.com/article/20191124-7HZ2IMREWRJRTGXQYRXRZGXLVE/ 2019年11月25日閲覧。 
  2. ^ 2016年までは旧法人(現・MBSメディアホールディングス)、2017年以降は現法人(2021年4月よりテレビ単営化)。
  3. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、258頁。 
  4. ^ a b “11月の3大会賞金総額変更のお知らせ”. 一般社団法人日本ゴルフツアー機構. (2021年10月25日). https://www.jgto.org/pc/OtherTopicsDetail.do?year=2021&tournaKbnCd=0&conferenceCd=000&languageKbn=0&administerNo=737 2021年10月25日閲覧。 
  5. ^ “11月「ダンロップフェニックス」1日5000人上限の有観客 外国人選手招聘は見送り”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2021年10月19日). https://news.golfdigest.co.jp/news/jgto/article/141684/1/ 2021年10月25日閲覧。 
  6. ^ "ダンロップ・フェニックスは予定通り開催へ/国内男子". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 25 September 2020. 2020年9月26日閲覧
  7. ^ a b 第47回ダンロップフェニックストーナメント開催のお知らせ
  8. ^ 1997年までは、優勝杯のみが贈呈されていた。
  9. ^ 過去、優勝副賞の車は日産1991年まで)やホンダ1992年)から贈呈されていた。メルセデス・ベンツが副賞になったのは1993年からである。なお、副賞の車が置かれているのは17番ホールのティーグラウンドである(但し2011年以降は優勝副賞とは別の車が置かれることもある)。
  10. ^ 12月開催はこの年のみで、翌1975年の第2回大会からは現在の11月開催となっている。
  11. ^ a b “市原弘大が今季2勝目 ケプカ12位、松山は44位”. 日刊スポーツ. (2018年11月18日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/201811180000417.html 2018年11月18日閲覧。 
  12. ^ a b “賞金ランク1位の比嘉一貴が今季4勝目 星野陸也は8位”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2022年11月20日). https://news.golfdigest.co.jp/jgto/7557/article/152002/5/ 2022年11月20日閲覧。 
  13. ^ 初日から首位を走ったアメリカマイク・リードとの3打差を、最終日のバックナインで5バーディーを奪いひっくり返す。
  14. ^ 1ホール目の15番ホール(当時418メートル(457ヤード)、パー4)で、ワトソンがダブルボギーだったのに対し、陳がパーをセーブし決着。
  15. ^ 3日目を終わって、安田春雄と、初代王者・アメリカジョニー・ミラーの2人が通算9アンダーで首位に並び、2打差の3位に、大会3度目の優勝を狙うスペインセベ・バレステロスが続いた。シンプソンは2アンダーだった。ところが最終日、4日間で初めてコース名物の強い海風が出た事で状況は一変する。シンプソンがスコアを伸ばす一方で、上位陣のスコアが崩れ、首位タイの安田とミラーが早々に優勝争いから脱落(安田は7オーバーの79、ミラーも6オーバーの78を叩いた)。終盤はバレステロス、シンプソン、それに首位と4打差の5アンダーから出た西ドイツ(当時)のベルンハルト・ランガーとの三つ巴の優勝争いとなった。バレステロスはスタート時の7アンダーを保ち首位を守っていたが、終盤ボギーを連発し優勝争いから脱落。最終的には、この日のベストスコアとなる4アンダー、68で上がったシンプソンと、手堅く1アンダー、71にまとめたランガーの2人が通算6アンダーで首位に並び、プレーオフとなった。
  16. ^ この年も15番ホールからスタート。3ホール目の17番ホール(当時171メートル(187ヤード)、パー3)で、シンプソンがパーセーブ、ランガーがボギーで決着。
  17. ^ 首位から出た中嶋との3打差を逆転。マーシュとタイスコアで迎えた最終18番ホールでバーディーを奪い優勝を決めた。マーシュはパーに終わり1打差の2位、中嶋は後半3ボギーと崩れ、ワドキンスと3打差の3位に終わった。
  18. ^ 3日目を終わって、カプルスが通算15アンダーで首位、1打差の2位に、この日のベストスコア8アンダー、64で回ったグリーン、そのグリーンに次ぐ7アンダー、65で回ったジェフ・スルーマンが2打差の13アンダーで続き、優勝争いは、このアメリカ勢3人に絞られた。そして迎えた最終日、グリーンが3番ホール(当時183ヤード、パー3) でバーディーを獲り15アンダーとする一方、続く4番ホール (当時571ヤード、パー5) でカプルスがボギーを叩き、最初の逆転となる。前半終了時でグリーンが15アンダーで首位、カプルスとスルーマンが2打差の13アンダーで続いた。迎えた後半、出だしの10番ホール(当時495ヤード、パー5)でカプルスがイーグルを奪い、スタート時の15アンダーに戻す。グリーンも負けじとバーディーを奪い16アンダーで首位を守るも、難関の12番ホール(当時455ヤード、パー4)でボギーを叩き、カプルスに15アンダーで並ばれる。続く13番ホール(当時352ヤード、パー4)でカプルスがバーディーを奪い16アンダーとして再び逆転。その後、やはり難関の14番ホール(当時437ヤード、パー4)、更に15番ホール(当時457ヤード、パー4)で共にパーを拾い、スコアを守ったが、16番ホール(402ヤード、パー4)でスコアが動いた。グリーンが長いパットを沈め1パットのパーをセーブした一方、先にバーディーチャンスにつけていたカプルスが3パットのボギーを叩き、再び両者が15アンダーで並んだ。そして迎えた最終72ホール目の18番ホール(当時534ヤード、パー5)でグリーンがバーディー逃しのパーだった一方、カプルスが4パットのダブルボギーを叩き、逆転での優勝となった。
  19. ^ この年は18番ホール(当時534ヤード、パー5)からスタート。1ホール目でブレークがボギーで脱落。2ホール目の15番ホールをパーで分けた後、3ホール目の16番ホール(402ヤード、パー4)で、バレステロスが3打目を至近距離に寄せOKパーとするも、ネルソン、青木がバーティーを奪い、バレステロスが脱落。そして4ホール目の17番ホールでネルソンがパーセーブしたのに対し、青木がパーパットを外して決着。
  20. ^ 15番ホールからスタート、2ホール目の16番ホールで室田がボギーだったのに対し、フロストがパーセーブし決着。
  21. ^ 15番ホール(当時441ヤード、パー4)からスタート。両者パーセーブを続けて迎えた4ホール目の18番ホール(当時525ヤード、パー5)で、ガルシアがパーだったのに対し、ビヨンがバーティーを奪い決着。
  22. ^ この年から18番ホールを繰り返す方式となった。その1ホール目で 手嶋がグリーン右バンカーからの4打目を至近距離につけたのに対し、デュバルが同じバンカーからの3打目を至近距離につけ、手嶋がギブアップし決着。
  23. ^ 18番ホール(560ヤード、パー5)の繰り返し。1ホール目、2ホール目(ピン位置:手前14ヤード、右5ヤード)は両者パー。カップ位置を変えた後(手前27ヤード、左6ヤード)の3ホール目、両者バーティーの後、4ホール目で、ウッズがバーティーを奪ったのに対し、横尾がバーティーパットを外して決着。
  24. ^ 1ホール目両者バーティーの後、2ホール目で、ウッズがパーに終わったのに対し、ハリントンがバーティーを奪い決着。
  25. ^ 1ホール目両者パーの後、2ホール目で、カールソンがパーだったのに対し、モリナリがバーティーを奪い決着。
  26. ^ 1ホール目、岩田が6オン、松山が3オン2パットのパーで決着。
  27. ^ “宮里優作が逃げ切り今季初V 松山英樹は連日のイーグル締めで2位”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2015年11月22日). http://news.golfdigest.co.jp/jgto/5089/article/60557/5/ 2015年11月22日閲覧。 
  28. ^ “松山英樹が初ホールインワンも5位 ケプカ圧勝劇”. 日刊スポーツ. (2017年11月19日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/201711190000466.html 2017年11月19日閲覧。 
  29. ^ “ケプカが最多21アンダーでV 池田は1打及ばず”. 日刊スポーツ. (2016年11月20日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/1740743.html 2016年11月20日閲覧。 
  30. ^ “市原が逆転Vで2勝目 松山44位、ケプカ3連覇ならず/国内男子”. サンケイスポーツ. (2018年11月18日). https://web.archive.org/web/20181118164452/https://www.sanspo.com/golf/news/20181118/jgt18111815520006-n1.html 2018年11月18日閲覧。 
  31. ^ 金谷拓実ツアー2勝目 プロ転向後初勝利 日刊スポーツ 2020年11月22日
  32. ^ “先輩・松山に次ぐ速さ!金谷拓実、プロツアー3戦目でV「自信が確信に」/国内男子”. サンケイスポーツ. 産経デジタル: p. 1. (2020年11月23日). https://www.sanspo.com/article/20201123-O3LR3VW575JXLNY6Z7W54U54EU/ 2020年11月23日閲覧。 
  33. ^ “C・キム 逆転Vで賞金トップ「いい勢いがつく勝利」 1打差接戦制す”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2021年11月22日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/11/22/kiji/20211122s00043000006000c.html 2021年11月25日閲覧。 
  34. ^ 規定により賞金授与はないが、優勝後プロ宣言をしたため、副賞に用意されていたBMWの高級車や、宮崎牛などはそのまま贈呈された(アマチュアVの杉浦悠太、賞金は逃すも賞品は手に スポンサー意向、ベンツや宮崎牛をゲット【男子ゴルフ】(中日スポーツ))。また本来はプロが優勝した際に受け取る賞金については、プロ最上位の蝉川泰果と中島啓太が各3000万円を受領した(アマチュア杉浦が優勝 日大4年、即プロ転向を宣言―フェニックス男子ゴルフ(時事通信))
  35. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、254頁。 
  36. ^ 宮崎放送開局三十周年記念事業委員会 編『宮崎放送三十年史』宮崎放送、1984年12月20日、142 - 143頁。NDLJP:12275337/95 
  37. ^ 2016年は雷雲接近の為、2017年は前日夜の雨によるコース整備の遅れの為、競技終了まで中継できず、残りの分を公式ウェブサイト内で動画配信した。
  38. ^ 1996年から1999年までは最終日も生中継されていたが、延長対応が無かったため、表彰式まで中継されたのは1996年のみだった。1997年はトム・ワトソンの優勝決定の瞬間を中継できず、1998年はインタビューと表彰式が中継できなかった。更に、1999年は、プレーオフとなり、プレーオフ2ホール目のトーマス・ビヨーンのティーショット終了時点で時間切れとなり、その後臨時のスポーツニュースでビヨーンの優勝を放送することになった。これにより、翌2000年からは最終日を中継録画するスタイルに戻された。
  39. ^ 2019年は最終日が悪天候の為中止となり、今平周吾の優勝が決定。冒頭で解説の青木功、実況の馬野雅行が、表彰式を終えた今平にインタビューした後、前日の第3ラウンドの模様が、地上波で放送できなかった上がり2ホールの模様と合わせて放送された。
  40. ^ GAORAの中継の模様は、公式ウェブサイト内で同時に動画配信される
  41. ^ 2019年大会は、最終日が雷雲接近のため、第1組のスタートが2時間繰り下げられ、午前9時40分にスタートしたが、46分後に雷雨のため一時中断。天候の回復を待ったが、逆に悪化した上、日没時間迄に最終ラウンドを終了できないと判断、結局10時46分に中止を決定した。このため、前日までの成績で順位が確定し、全選手の最終成績を表示して、予定より1時間30分早く放送を終了した。
  42. ^ 冒頭の15分、最終組の12番ホールのプレーを解説した。
  43. ^ 現:BS-TBS
  44. ^ MBS馬野雅行アナウンサー ダンロップ・フェニックスの実況で集大成を… - スポニチアネックス、2023年11月14日配信
  45. ^ 2024年は大会初日と2日目に、朝のドライビングレンジ中継の実況を担当したほか、表彰式の司会進行を担当した。
  46. ^ 2022年も担当予定だったが、新型コロナウイルスに感染していることがわかったため出演を見合わせることになった。
  47. ^ 2024年大会は、前述の通り大会3日目にゲスト解説として出演。冒頭の15分、最終組の12番ホールのプレーの解説を担当した後、中嶋常幸にバトンを渡した。
  48. ^ 通常はラウンド解説を担当しており、放送席解説を青木功が担当する予定だったが、青木が新型コロナウイルスに感染している事がわかり、急遽放送席に座る事になった。このため、この年は、ラウンド解説を田島創志が担当した。

外部リンク