フィル・ミケルソン
フィリップ・アルフレッド・ミケルソン(Philip Alfred Mickelson, 1970年6月16日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンディエゴ出身のプロゴルファー。左打ちで、“The Big Lefty”(ビッグ・レフティー)の愛称で呼ばれる。 2004年のマスターズ・トーナメントでメジャー大会初優勝を飾り[1]、以来メジャー大会通算6勝。PGAツアー通算45勝(歴代9位)。世界ランキング自己最高位は2位。生涯獲得賞金ランキング歴代2位。 『ギネス世界記録 2014』には「左利きによるメジャートーナメント最多勝利」のギネス世界記録保持者として掲載されていた[2]。 来歴デビュー日常生活では右利きだが、ミケルソン本人の言葉によれば「幼い頃に父親のスイングを正面から見て覚えた」ため、ゴルフに限っては左打ちとなった。 非常に早熟な才能を持ち、アリゾナ州立大学在学中から驚異的な成績を挙げていた。大学1年生だった1989年にNCAAゴルフ選手権で当時の史上最少スコアで優勝。1990年に全米アマチュアゴルフ選手権で優勝。1991年にはまだアマチュア選手のうちにPGAツアー大会のノーザン・テレコム・オープンで優勝している。大学卒業後の1992年にプロ転向。翌1993年のビュイック招待選手権でプロ初優勝を飾り、トッププロに躍進する。しかしメジャー大会の優勝争いではあと少しのところで涙を飲む事が多く、長らく“無冠の帝王”と呼ばれた。2003年はミケルソンのプロゴルファー生活でも最悪の年となり、大リーグ野球のデトロイト・タイガースの3Aで投手の入団テストを受けたことさえある。 メジャー初優勝しかし2004年のマスターズ・トーナメントで、彼の努力はついに報われる。最終日の18番ホールでバーディーパットを沈め、9アンダーパー(-9)で初優勝を飾った。大会前年優勝者のマイク・ウェア(カナダ)も左打ち選手であったため、マスターズのグリーン・ジャケット授与式では左打ち同士が顔を合わせた。続く全米オープンでも優勝争いに絡んだが、レティーフ・グーセンに惜敗。2005年のマスターズでは10位に終わったが、8月の全米プロゴルフ選手権で初日からトップをキープする完全優勝を果たし、メジャー大会2冠を獲得する。2006年のマスターズではフェード用、ドロー用の2本のドライバーを使い分け、最終日に抜け出し、メジャー大会2連勝を成し遂げた。 2007年度は、開催時期が5月第2週に変更されたプレーヤーズ選手権で初優勝を果たす。2008年度はツアー2勝、2009年度はツアー3勝を挙げた。2010年はマスターズで優勝を飾った。マスターズ通算3勝は2010年時点で歴代4位タイの記録となる。 ミケルソンのゴルフは華麗な技術で人気が高いが、大舞台の勝負所で短いパットを外す場面が目立っていた。 全英オープンを長らく不得意としていたが、2011年に自己最高の2位タイ入賞、2013年には20度目の全英挑戦で、左打ちのプレイヤーとしては50年ぶりに全英オープンを制覇して、三冠目のメジャータイトルを獲得した(メジャー5勝目、ツアー42勝目)。2013年の第142回大会は英国北東部のミュアフィールドで16回目の開催であり、ミケルソンはゴルフバッグからドライバーを抜き、ロフト64度のウェッジを入れて、“This 3-wood has changed my game.”と試合前に評価した別注品スプーン1本(ロフト13度、長さ43.25インチ、ディープフェイス)、ハイブリッド1本(ロフト17度)、アイアン6本(4-9番アイアン)、ウェッジ5本(PW、ロフト52、56、60、64度)、パター1本のクラブセッティングで臨み、最終日7月21日は首位と5打差の9位タイスタートであったが、アウト2バーディ1ボギーの34、イン4バーディの32、計66でラウンドしてスコアを5つ伸ばし、72ホールを唯一人アンダーパーで廻り、通算281打の3アンダーパーで2位に3打差をつけての勝利であった。最終ラウンドの17番ロングホールでは、第1、2打をロフト13度のスプーンで2回打って2オンして、2パットでバーディをとり、“I hit two of the best 3-woods I’ve ever hit.”とコメント。 全米オープンでは2位が6度あるが、未勝利。2014年第114回大会が開催されたパインハーストNo.2は、1999年の同コース初開催の全米オープンでペイン・スチュワートに激闘の末敗れた因縁のコースであり、43歳で24回目の全米オープン参戦してメジャー大会グランドスラムに挑んだが、7オーバーで28位タイに終わった。 2018年には世界ゴルフ選手権メキシコ選手権で久々の優勝。11月23日に行われたタイガー・ウッズとのPPVマッチ『キャピタル・ワンズ・ザ・マッチ』では22ホール目で勝利し、賞金900万ドルを獲得した。 2021年のPGA選手権(米サウスカロライナ州のキアワ・アイランド・ゴルフ・リゾート オーシャンクラブ)ではロフト5.25度、長さ47.75インチの別注品ドライバー、ロフト11.5度、長さ43.75インチ、ヘッド体積275ccの別注品ブラッシーを駆使し、通算6アンダーでメジャー史上最年長優勝を果たす。2005年以来の大会2勝目、メジャー通算6勝目、ツアー通算45勝目。メジャー最年長優勝は1968年のPGA選手権を制したジュリアス・ボロスの48歳だったが、50歳のミケルソンが更新。50代でメジャーを制した初めての選手となった。なお、2022年からドライバーのクラブレングスは46インチ以下とするルール開始。 LIVゴルフへ移籍2022年2月、米ツアーに批判的な発言をしたことでほぼすべてのスポンサーとの契約が解除となった[3]。その後、発言に関する謝罪声明を発表し、一時休養を宣言した[4]。 同年4月25日、マネジメント会社はミケルソンがLIVゴルフ・インビテーショナルシリーズに参加する意向を発表[5]。 同年6月、イギリスで行われた開幕戦に参戦したため、アメリカPGAツアーから他の16選手とともに無期限の資格停止処分を受けた。同月13日、ミケルソンは将来的に再びPGAツアーでプレーすることを望んでいると述べている[6]。 ワールドゴルフランキングからは除外されていないため、2023年のマスターズ2位タイの成績は反映されている。 人物2004年以降、ゴルフクラブはキャロウェイゴルフを使用している[7]が、1992年から2000年まではヨネックスを使用していた[8][9]。1992年から1999年のカシオワールドオープン、1992年・1996年・2003年のサントリーオープンゴルフで来日している。日本での自己最高位は、1993年カシオワールドオープンでの3位。1999年のカシオワールドオープンでは予選落ちとなったが、インタビューではメモを見ながらではあるものの、日本語で答えていた。 アマチュア優勝
ツアー優勝歴PGAツアー
欧州ツアー
その他
PGAツアー・チャンピオンズ (4)
成績メジャー選手権
LA = ローアマチュア PGAツアー戦績
* 2020–21シーズンまで. † アマチュア時代は賞金は受け取らなかった. 脚注注釈出典
外部リンク
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