ジャスティン・レナード
ジャスティン・レナード(Justin Leonard、1972年6月15日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ダラス出身のプロゴルファー。1997年の全英オープンゴルフ優勝者である。テキサス大学卒業。これまでにアメリカPGAツアーで12勝を挙げている。身長175cm、体重77kg。 経歴レナードはアマチュア選手時代、1992年の全米アマチュア選手権など多数のタイトルを獲得した。テキサス大学卒業後、1994年からプロゴルファーになり、プロ入り3戦目の「アンハイザー・ブッシュ・ゴルフ・クラシック」3位入賞により、1995年からPGAツアーのシード権を取得した。1996年8月の「ビュイック・オープン」でツアー初優勝。1997年の全英オープンゴルフは、1878年に創設された名門「ロイヤル・トルーン・ゴルフクラブ」の「オールド・コース」(パー71)で開かれた。レナードは4日間通算 12 アンダーパー(-12, 69+66+72+65=272ストローク)で回り、最終ラウンドで6打スコアを伸ばして、イェスパー・パーネビク(スウェーデン)、ダレン・クラーク(北アイルランド)、フレッド・カプルス(アメリカ)の3人を逆転した。これは彼にとって、PGAツアーの3勝目であった。全英オープン優勝の年、彼は米国と欧州の代表選手による団体戦「ライダーカップ」のアメリカ代表選手に選ばれた。 全英オープン初優勝から2年後の1999年、レナードはカーヌスティ・ゴルフリンクスの全英オープンで3人の選手によるプレーオフに敗れ、2度目の全英優勝を逃した。全英オープンの歴史に残る悪天候の大会で、3人が通算 6 オーバーパー(290ストローク)で並び、ジャン・バンデベルデ(フランス)、ポール・ローリー(スコットランド)とレナードの3人でプレーオフを争い、ローリーが初優勝を決めた。5年後の2004年、レナードは全米プロゴルフ選手権のプレーオフでビジェイ・シンに敗れた。これで彼は2度、ゴルフメジャー大会のプレーオフに敗れたことになる。その他は1997年のマスターズ7位(全英優勝前)がある。 その後もレナードはツアーで優勝を積み重ね、安定したゴルフ成績を維持している。彼はライダーカップのアメリカ代表選手としても、1997年・1999年・2008年の3度出場歴があり、2008年に4大会ぶり3度目の米国代表選手を務めた。夫人がマラソン愛好家であることから、レナード自身も2001年の「ホワイトロック・マラソン」(彼の故郷・ダラスで開催)に挑戦したことがある。 ツアー優勝歴PGAツアー優勝 (12)
その他の優勝
外部リンク |