横尾 要 Kaname YOKOO |
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基本情報 |
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名前 |
横尾 要 |
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生年月日 |
(1972-07-24) 1972年7月24日(52歳) |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
東京都 |
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経歴 |
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成績 |
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優勝回数 |
日本男子:5回 |
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賞金ランク最高位 |
日本男子:9位 |
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2009年2月23日現在 |
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横尾 要(よこお かなめ、1972年7月24日 - )は、日本東京都出身のプロゴルファーである。東京学館浦安高校卒業。日本大学卒業。身長176cm、体重75kg。血液型A型[1]。日本ゴルフツアー通算5勝。マネジメント事務所はぐあんばーる。また、EH株式会社とも所属契約を結んでいる。
人物
10歳からゴルフを始める。アマチュア時代には1993年の「日本学生ゴルフ選手権」優勝や、1994年の広島アジア大会で個人・団体2冠獲得などがある。1995年のプロゴルファーテストで、日本大学ゴルフ部の同期選手である片山晋呉、宮本勝昌と一緒に合格した。直ちに「ブリヂストンオープンゴルフトーナメント」で5位入賞のデビューを飾る。1998年の「アコムインターナショナル」でツアー初優勝。1999年の「東海クラシック」ではビジェイ・シンを1打差で振り切ってツアー2勝目を挙げる。この年には全米オープンゴルフにも出場し、初日5位のスタートを切ったことから(最終順位は57位)世界挑戦への意欲を高めた。2000年の日本プロゴルフマッチプレー選手権で、決勝戦で谷口徹を破り初優勝。この優勝で横尾は日本ゴルフツアーの5年シード権を獲得する。同年末にアメリカPGAツアーの「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School, シード権獲得への出場資格試験)に合格し、アメリカツアーのフル参戦権を獲得した。
2001年12月15日にタレントのかとうれいこと結婚[2][注釈 1]。2002年1月27日、アメリカツアーの「フェニックス・オープン」で2位入賞。優勝したクリス・ディマルコ(アメリカ)に1打及ばなかったが(ディマルコの優勝スコア:17 アンダーパー/-17, 267ストローク、横尾のスコア:16 アンダーパー/-16, 268ストローク)この大会で横尾はアメリカツアーでの自己最高成績を出した。しかし、その後は予選落ちが続き、2002年度の賞金ランキングは「130位」で終わり、シード権を維持するための「125位」以内に入れなかった。年末に日本の試合へ戻り、「ダンロップ・フェニックス選手権」で初優勝。タイガー・ウッズの初出場で盛り上がった大会で、日本ツアー4勝目を挙げた。
2003年度のアメリカ・クオリファイイング・スクールでは第2次予選で敗退。そのため、2004年度からは日本へ帰国した。2005年のダンロップ・フェニックス選手権で大会前年優勝者タイガー・ウッズとプレーオフを戦ったが、4ホール目で敗れて3年ぶり2度目の優勝を逃した。2006年5月28日、「三菱ダイヤモンドカップゴルフ」で4年ぶりの日本ツアー優勝を果たし、通算5勝目を挙げた。
2013年のフジサンケイクラシックでは最終日、2位タイの最終組でスタートしたが6位タイに終わった。その日、最終組(横尾、松山英樹、S・J・パク)が9番ティに向かう際、タイムスケジュールから11分超過していたため競技委員からプレー時間の遅延を注意された。ホールアウト後、横尾は記者に対して「注意を受けてからイライラしてキレそうになった」と語り、大会競技委員と同組2人について疑問を投げかけ話題となった[3]。
2017年のザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントでは今平周吾をプレーオフで破り、優勝を飾った[4]。
脚注
注釈
- ^ 横尾とかとうが出会ったのは、コンビニをチェーン展開していた「エーエム・ピーエム・ジャパン」(2010年にファミリーマートに吸収された)が開いたパーティーの席上で、野田義治から一緒に連れてきたかとうを紹介されたのが交際のきっかけとなった。横尾の仕事の都合により、披露宴は2002年11月9日に都内のホテルで行われた。この時かとうは妊娠6ヵ月で、2003年2月20日に長女・紗千(さち)を出産した。
出典
外部リンク
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2003年が最終開催 |