ザ・キング・トーンズ
ザ・キング・トーンズ[注 1](ザ・キングトーンズ、THE KING TONES、THE KINGTONES)は、1960年2月から活動する4人編成の日本の音楽グループ。 『グッド・ナイト・ベイビー』『暗い港のブルース』などの代表曲をもつ一方、1950年代後半から1960年代前半の曲を歌い、ドゥーワップのコーラス・スタイルを結成以来堅持し続けている。 ライチャス・ブラザーズ、オーティス・レディング、プラターズ「煙が目にしみる」「オンリー・ユー」[1]など洋楽のカバーも多い。 経歴1958年6月[2]、内田正人が中心となり、アマチュア・コンテストなどを通じ知り合った成田邦彦、石井迪、加生スミオとともに、プラターズスタイルのコーラス・グループを結成。プラターズに倣い、女性ボーカリスト(アルト)として佐藤サエコ[注 2](愛称・さーちゃん)を加えた5人でザ・ファイブ・トーンズとして音楽活動をスタート。 1960年2月1日、佐藤がハードスケジュールで体調を崩し脱退したため、内田・成田・石井・加生の4人で現行グループ名に改め再スタート。後にドゥーワップと呼ばれるR&Bテイストを主体としたコーラスワークと、ハイトーンのリードテナーが評判となり、NHKオーディション合格を機に放送メディアに進出[3][4]する一方、活動拠点の米軍キャンプではプラターズ(1961年12月)、アル・アルバーツ(1962年6月)、トニー・ウィリアムズ(同)、ルー・ロウルズ[注 3]らと共演。年間最優秀賞ゴールデントリイ[注 4]を受賞。藤木孝『小さい悪魔』(テイチク NS-446)、田代みどり『彼氏の気持ちはワークワク』(同 NS-537)、三村和子『ブンガチャ人生』(同 NS-584)ほか多くの楽曲のレコーディングにバックコーラスで参加する。 1968年、日本人ロカビリー歌手の一部が、歌謡曲への転向を余儀なくされていた状況からレコード・デビューには消極的だった。しかし、周囲の勧めに応じ日本グラモフォン(後のポリドール・レコード)と専属契約を結び、「30歳の新人グループ」のキャッチコピーでメジャー・デビュー[5]。同年5月に発売された『グッド・ナイト・ベイビー』が年末から翌年春にかけて大ヒットを記録。1969年11月1日、ファースト・リサイタル「愛のノクターン」を東京厚生年金会館大ホールにて開催。12月7日、第2回日本有線大賞特別賞を受賞。12月31日、[1]第20回NHK紅白歌合戦に出場[注 5]。 1969年から1972年にかけて「NHKあなたのメロディー」[6][4]でアマチュア音楽家の作品を、また1970年11月5日には合歓の郷屋内ホールで開催された第2回ポピュラーソングコンテスト[注 6][7]にゲスト出演し、出場作品を歌唱する。 1971年、ルー・ロウルズ(3月)[8]やプラターズ(4月)とサンケイホールなどでステージ共演。5月に発売された『暗い港のブルース』が有線放送などを中心に話題となり、オリコンで19位まで上昇、彼らのセカンドヒットとなる。 1975年4月、エメロンクリームリンスのCMソング『もううしろ姿』をシングルで発売。5月、大瀧詠一からのオファーに応えてレコーディングに参加したアルバム『NIAGARA MOON』(エレック NAL-0002)が発売される。9月、結成15周年記念リサイタルを久保記念講堂にて開催[注 7]。 1976年6月、EXPRESSより移籍第一弾の『一度だけのディスコ』を発売。同時期にNHKみんなのうたで『シンフォニック・バリエイション』[注 8][4][9]を発表[注 9]。 1978年4月、リサイタル「グッド・ナイト・ベイビーから10年…」を労音会館にて開催。10月16日、アルバム『レゼレクト 銀河からの帰還』発売を記念してライブハウス・新宿ルイードで「POPS 102曲マラソンコンサート」を開催[注 10]。 1979年4月28日、リサイタル「FRESH 40s SING OLD DAYS HITS」を東京厚生年金会館にて開催。 1980年6月、結成20周年を機にSMSレコードに移籍。大瀧詠一プロデュースによるシングル盤『DOO-WOP! TONIGHT』を発売。7月4日、横須賀米軍基地内ベニーデッカー・シアターで開催された結成20周年記念公演をライブ録音[注 11]。7月13日、京都市・円山野外音楽堂で開催された第8回宵々山コンサートに出場。10月18日、ニューヨーク・ブロードウェイのビーコン・シアターで開催された「ROYAL NEW YORK DOO-WOP SHOW」に日本人グループとして初めて出場[10]。帰国直後、よみうりホールを皮切りとした凱旋コンサートツァー[注 12]を開催。 1981年6月10日、日比谷公会堂で開催された「R&B Night」にスペシャルゲストとして出演。上田正樹らと共演。7月、株式会社R&Bステーションを設立し小澤音楽事務所から独立。それと並行して5都市8公演[注 13]が開催された第1回 JAPAN DOO-WOP CARNIVALに出演し、ドリフターズ、シュレルズらと共演。 1982年1月、新宿ルイードで開催された「第一回 R&B GRAFFITI NIGHT」に出演し、上田正樹やウシャコダらと、7月には同じく新宿ルイードでクリスタルズ、コースターズと共演[注 14]する。12月、加生の脱退に伴って大川由加利が加入。 1983年、石井の脱退に伴って冨賀慎一郎が加入。3月27日、前年末より全ての音楽活動を休止して3ヶ月間に亘り連続8時間のレッスンを経た[11]『新生キングトーンズ』の初ステージが新宿ルイードで開催される。 1987年8月、BMGビクターに移籍。10月発売のアルバム『GOOD NIGHT BABY 1987』より先行シングルとして『グッド・ナイト・ベイビー』を発売。シングル『今夜まで待てそうもない』もテレビで放送された。 1988年10月1日、芝・郵便貯金ホールで開催されたコンサートをライブ録音[12]。12月20日より、東京ガスのCMに出演、年末までテレビ・ラジオで集中オンエアされ、1989年5月に再び放送される[13]。 1989年11月より1年にわたって全国ホールコンサートツアー[注 15]を開催。 1990年7月22日、結成30周年記念リサイタルを東京簡易保険会館(ゆうぽうと)で開催。12月、東京バナナボーイズのプロデュースによる「サントリー マテウスロゼ」CMソング『100万の想い出』を8センチCDで発売。カップリングには同年10月よりフジテレビ系で放送された情報番組「奥さまお手をどうぞ!」の主題歌を収録。 1991年8月、メンバー全員によるア・カペラ映像を南紀白浜および那智勝浦で撮影した「和歌山県」イメージCMソングの8センチCD『WAKAYAMA』は当初地域限定で発売されたが、翌1992年5月に改めて全国リリース。9月、ザ・ヴィーナスのメインボーカルだったコニーをゲストに迎え全国コンサートツアー[注 16]を開催。 1995年4月、かつて結成15周年記念企画として山下達郎[注 17]と伊藤銀次が書き下ろした『DOWN TOWN』をはじめ、大沢誉志幸・佐野元春などの作品を取り上げたアルバム『SOUL MATES』を発売。同月放送開始のNHK教育「むしむしQ」では声優兼コーラスグループキャラクター「ザ・クリケッツ」役で出演。 1997年1月、つのだ☆ひろのプロデュースによる8センチCD『I'M ON MY WAY』を発売、カップリング曲には『グッド・ナイト・ベイビー』のラップ・ヴァージョンが収録される。5月、大川に代わって石塚勇が加入。 1998年4月、前年10月1日より南果歩ときたろうの出演でシリーズ化して放送されていたウイスキー[14]のCM曲『夕焼けレッドで帰りましょう』をシングルでリリース。この後に冨賀に代わって川島豊が加入。7月25日より、第三期メンバー体制となって初のホールコンサートを開催[注 18]。11月28日封切となった松竹制作の劇場映画「ショムニ」ではストリートミュージシャン役で出演、同作のサウンドトラック盤もリリース。 2000年10月7日、結成40周年記念コンサート「DOO-WOP SUPER LIVE」をル・テアトル銀座で開催。 2005年より3年連続でフジロックフェスティバルに出場[注 19]。 2012年4月29日、ARABAKI ROCK FEST.12に「ザ・キングトーンズ featuring ジミー入枝」[注 20]として出演。 2014年、2年半ぶりとなるコンサートを上田正樹とのジョイントで企画され、「ザ・キングトーンズ featuring ジミー入枝」[注 21]として、10月5日に世田谷区民会館で開催された「第8回世田谷にみどりいっぱいチャリティ講演&コンサート」に出演、12月20日には深谷市民文化会館[15]で「上田正樹&ザ・キングトーンズ スペシャル・ライブ」[注 22]を開催。 2017年10月25日、フリーボードからシングル『おかえり』を発売。参加メンバーは成田と元メンバーの石井、大川、内田の弟子のジミー入枝。内田は不参加[16]。 2019年2月15日、内田が死去[17]。 2020年1月31日、成田が死去[18]。 第1期メンバー(1960年 - 1982年)立ち位置はステージ下手より、内田・石井・加生・成田の順。ただしマイク2本の場合は内田・石井・成田・加生の順。
第2期メンバー(1983年 - 1996年)立ち位置はステージ下手より、内田・冨賀・成田・大川の順。
第3期メンバー(1997年 - 2019年)立ち位置はステージ下手より、内田・石塚・川島・成田の順。
代表曲
ディスコグラフィー
シングルカラオケ・トラックおよび別ミックス・ヴァージョンは除いて表記している。 オリジナル・シングル
編集盤
再発売盤
シートレコード
コンパクト盤
アルバムオリジナル・アルバム
他アーティスト作品混載盤
編集アルバム
再発売企画
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia