STS-80
STS-80は、スペースシャトル・コロンビアにより行われたスペースシャトルのミッションである。1996年10月31日の打上げが予定されていたが、いくつかの理由により、11月19日に延期された[1]。着陸も12月5日に予定されていたが悪天候のため2日間延期され、12月7日になった[2]。 スペースシャトルとしてはこれまでで最長の17日と15時間53分のミッションとなった[2]。 ジョーンズとジャニーガンによる2度の船外活動が予定されていたが、エアロックハッチの不具合により、どちらも中止された[3]。 乗組員
配席
着陸の際、マスグレーブは頭上の窓から大気圏再突入の様子を撮影するため、フライトデッキに留まった。 ミッションハイライト
ペイロードコロンビアは、2つの自由浮遊人工衛星を運んだが。どちらも何度も宇宙を訪れていたものだった。また、2度の宇宙遊泳で様々な装置の試験が予定されていた。これらは、国際宇宙ステーション建設の準備に用いられた。ペイロードには、以下のようなものがあった[11]。
科学プロジェクトコロンビアは、2つの人工衛星を軌道に乗せ、しばらくしてから回収した。1つ目はORFEUS-SPAS IIで、遠紫外線と極端紫外線の2つの分光計を備えた望遠鏡がメインである。 もう1つの分光計であるInterstellar Medium Absorption Profile Spectrographも搭載された。天文学とは関係のないいくつかのペイロードが周りを取り巻いた。飛行中は問題なく稼働し、月から銀河外恒星、クエーサーまで、およそ150個の天体について422の観測を行った。ORFEUS-SPAS IIにとっては2度目の飛行であり、より感度の高い機器が用いられたため、一度目の時の約2倍のデータが得られた[1]。 また、コロンビアからはウェークシールドファシリティ(WSF)が展開された。これは、高度な電子機器で用いるための半導体薄膜の生産を可能とするため、その背後に高度な真空を作り出すものである。WSFは、3日後にコロンビアのロボットアームによって回収されるまでに、7枚の薄膜を作った[1]。ウェークシールドは、ヒューストン大学のSpace Vacuum Epitaxy CenterとSpace Industries, Inc.により設計・製造された[12]。 他にはSpace Experient Module (SEM)があった[12]。SEMは、選ばれた学生たちの実験を行うプロジェクトである[13]。このプログラムの初飛行であった[14]。実験の中には、宇宙空間での食物上での細菌の成長や宇宙での結晶成長、振り子に対する微小重力の影響の分析等があった[15]。 NIH.R4は、アメリカ国立衛生研究所とオレゴン研究科学大学による実験で[12]、循環器と血管狭窄に対する宇宙飛行の影響を試験するために設計された[16]。Biological Research in Canister (BRIC)は、タバコとトマトの種子に対する無重力の影響を調査した。Visualization in an Expermental Water Capillary Pumped Loop (VIEW-CPL)は、宇宙船の熱管理に関する新しいアイデアを試験した[17]。商業的なMDA ITA実験は、Information Technology Associatesがスポンサーし、高校や中学の生徒から提案された様々な実験を行うものである[18]。 ミッションの背景1996年1月17日にこのミッションに参加する宇宙飛行士が選出された[19]。固体ロケットブースター(SRBs)への燃料注入は、9月9日に始まった[20]。9月18日に、打上げ日は10月18日以降から11月8日に延期された[21]。ペイロードのドアは、9月25日に閉じられた[22]。翌日、スペースシャトル組立棟内で外部燃料タンクとSRBsが接続された[23] 。 NASAが7回から8回の飛行後に破損することを懸念したNASAがオービタの2枚の窓を交換したため、その後の進捗は遅れた[24]。10月9日には、最後の準備を始めるため、コロンビアはスペースシャトル組立棟に戻された[25]。 10月11日、コロンビアと外部燃料タンクが接続され、ペイロードが運ばれた[26]。10月16日に39B発射台に移され、その後、メイン推進システムの飛行準備のチェックが行われた.[27]。 10月28日に飛行準備審査が行われた後、STS-79で生じたノズルの腐食のため再設計した固体ロケットモーターを分析するため、追加の飛行準備審査が要請された。29日、燃料ポンプが故障し、燃料注入が遅延した[28]。11月4日に、ノズルの腐食の問題により、打上げが1週間遅れることが決まった[29]。打上げ日は、2日前のアトラスの打上げが成功したらという条件付きで、11月15日に再設定された[30]。悪天候のため、打上げはさらに11月19日まで延期された[31]。 起床コールNASAはジェミニ計画の際に、宇宙飛行士のために音楽をかける伝統を始め、アポロ15号ではこれが初めて起床の際に用いられた[32]。各々の曲は、多くは宇宙飛行士の家族が特別に選んだもので、各々の乗組員にとって特別な意味のあるものか日々の活動に適したものである[32][33]。
関連項目
出典
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia