ON THE ROAD 2001 (コンサートツアー)
『ON THE ROAD 2001』(オン・ザ・ロード2001)は、1998年4月10日から2002年1月11日まで開催された浜田省吾のコンサートツアーである。 概要4年間に及ぶ世紀を跨いだ前人未到のロングツアー。ホール、ライブハウス、アリーナ、野外ライブなどの各会場を織り交ぜた計198公演で、延べ60万人を動員した。47都道府県すべてでコンサートを行い、奄美大島などキャリア20年以上の中で初めてとなる会場もあった。ツアー初日の4月10日はタイタニック号の処女航海の日でもあり、無事4年間ツアーできるか非常に不安だとツアー中に浜田本人が語っている。 それまでは新しいアルバムの発売に合わせてのプロモーションという形でツアーを行っていたが、そうしたツアーの在り方に浜田が疑問を持ち、「純粋に音楽を楽しむ旅」(2001年音楽の旅)というコンセプトで開始された。また、CDバブルと呼ばれるメガヒット連発の時代に対するアンチテーゼでもあった。 1998年から2000年までは「ON THE ROAD 2001 "THE MONOCHROME RAINBOW"」というタイトルで、ホールを中心に全国各地を廻った。1990年代に2001年とツアータイトルをつけた世界初のツアーである。シングル「モノクロームの虹」をツアーのメインテーマ曲にしている。2001年からはニュー・アルバム『SAVE OUR SHIP』を引っ提げてのアリーナツアー「ON THE ROAD 2001 "THE SHOGO MUST GO ON"」に突入した。 バンドメンバー
セットリストアンコール前にはその日に浜田本人が楽屋入りする様子がビデオ録画され、会場に流された。
日程
LET SUMMER ROCK '991999年夏には、浜田にとって8年ぶりとなる野外ライブが開催された。北海道、広島、東京の3ヶ所で開催され、6万人以上が来場した。 出来る限り快適な環境でコンサートを楽しんでほしいという浜田の意向で、コンクリートではなく全て芝生の会場が選定された。また、野外ライブとしては異例の「雨天順延」の予備日が設定されており、実際に東京公演が翌日に延期された。また、大規模な会場で観客動員数争いをするのではなく、収容可能人数から見ても余裕のある人数に抑えられている。 コピーは「友達や恋人や家族とピクニックに行くような気分で参加してよ。そこに、いい音楽があれば最高だろう!? (笑)」。 なお、北海道・キロロリゾート公演の際、現地に向かうためメンバーとスタッフが搭乗したANA61便がハイジャックに遭遇(全日空61便ハイジャック事件を参照)。浜田自身は前日に北海道入りしていて難を逃れた。公演中、亡くなった機長を悼んで黙祷が捧げられた。
100% FAN FUN FANON THE ROAD 2001ツアーの中で、浜田にとってキャリア初となるファンクラブ会員限定のコンサートが開催された。「100% FAN FUN FAN」と題されたイベントで、省略してFFFと呼ばれている。 浜田のコンサート・チケットは年々プラチナ化しており、特にホールツアーはファンクラブ会員でもなかなか入手することができない。そうしたファンからの声に応えるために、初のファンクラブ会員限定コンサートが企画された。 これ以降、不定期にFFFが開催されており、ツアーのない年(2003年・2009年・2013年)を埋める形でファンクラブ会員のためにツアーが組まれている。
日本武道館公演2001年12月29日に全スケジュールが終了したが、年明けの1月10日・11日に日本武道館で「浜田省吾 AT 武道館」と題して特別公演が開催された。1982年1月12日以来、20年ぶりの武道館公演として大きな話題となった。
映像作品2002年7月31日に4年間のツアーを記録したDVDボックスセット『ON THE ROAD 2001』が発売された。8月21日にはベストテイク集のDVD・VHS『WE ARE STILL ON THE ROAD』も発売された。 また、この発売に合わせて7月31日に当時としては先駆的なインターネット・ライブ「SHOGO HAMADA Internet Special Live "ON THE ROAD 2001.COM"」がMORRICH[注 1]より配信された。 脚注注釈
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