2003年のインディカー・シリーズ
2003年のインディカー・シリーズは、インディカー・シリーズの8年目のシーズンである。 シーズン概要トヨタとホンダがCARTからIRLにエンジン供給を変更し、それに伴い、多くのチーム・ドライバーがIRLへ転向し、陣容が大きく様変わりした。また、下部シリーズとして「インフィニティ・プロ・シリーズ(現インディ・ライツ)」が開始されたのもこの年で、それに伴いこのトップカテゴリーがインディカー・シリーズと呼ばれるようになったのもこの年である。 この年はシーズンを通してトヨタエンジンが優勢で、ホンダとシボレーは共にエース格のトニー・カナーンとサム・ホーニッシュJr.がチャンピオン争いに食い込んだ以外は、ほとんどがトヨタエンジンのドライバーで上位を占めた。 上記の通り、ホンダがIRLにエンジンを供給するようになったのに伴い、ツインリンクもてぎでの一戦もこの年からIRLのシリーズ戦として行われるようになり、IRL史上初のアメリカ以外でのシリーズ戦として開催されるようになった。また、鈴木亜久里がメキシコ人ドライバーエイドリアン・フェルナンデス(自身はこの年はCARTでの参戦を継続)と手を組み、ロジャー安川を擁してスーパーアグリ・フェルナンデス・レーシングとして参戦を開始したのもこの年である。 一方、マイケル・アンドレッティは所属していたチーム・グリーンの経営に参画しアンドレッティ・グリーン・レーシングとなったこの年のインディ500(途中リタイヤ)をもってレギュラードライバーとしては引退、ヘルメットを脱いだ(その後2度インディ500にスポット参戦)。また、CART時代からチーム・ペンスキーの復活をエリオ・カストロネベスと共に支えたジル・ド・フェランもこの年のインディ500や最終戦テキサスの優勝を手土産にIRLを引退した。そのド・フェランにかわりペンスキーは翌年からホーニッシュJr.を起用することになる。 その他のトピックとしては、
2003年の開催スケジュールと結果もてぎがシーズン序盤戦に入り、(これ以降2008年までインディ500直前のレースとして多く開催)ナザレス・フォンタナが終盤戦に移動した。 2003年の参戦チーム・ドライバーポイントランキング優勝から10位までは順に50-40-35-32-30-28-26-24-22-20のポイントが与えられ、それ以下は1ポイントずつ減少し(29位以下はすべて1ポイント)、最多リードラップに2ポイントのボーナスポイントを総合しタイトルが争われた。 ディクソンが3勝・2位5回の安定した速さでチャンピオンを獲得。ド・フェランはもてぎのけがによる欠場が、カストロネベス・ホーニッシュJr.は前半の出遅れが、カナーンは1勝止まりに終わったことが響いた。
注1 高木虎之介は第5戦テキサスでの危険走行により23ポイントが剥奪された。 関連項目外部リンク |
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