織本順吉
織本 順吉(おりもと じゅんきち、1927年〈昭和2年〉2月9日[1][2][3] - 2019年〈平成31年〉3月18日)は、日本の俳優・ナレーター。本名:中村 正昭(なかむら まさあき)[2][4]。 神奈川県[5]横浜市出身[4][注 1]。神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)卒業[2][6]。劇団青俳[2][5]、BMGメイクII[2] を経て、アルファエージェンシーに所属していた[1]。 身長174cm、体重72kg、血液型B型[7]。晩年は栃木県に在住していた[8]。放送作家・脚本家の中村結美は娘にあたる[9]。 人物・来歴2歳の頃に実母を亡くし、15歳で父を亡くし、以降は義母と生活をともにする。 電機会社に勤務後、1949年に新協劇団へ入団し、舞台『破戒』で初舞台を踏む。NHKがテレビ放映を開始した直後、『ビルマの竪琴』に水島上等兵役で出演[7]。 1954年に退団し、岡田英次・西村晃・木村功・高原駿雄らと劇団青俳を結成[1][10]。1980年に解散するまで同劇団の幹部俳優として活動[1]。 今井正らに鍛えられ、セリフ覚えの良さからオファーが続き、薄幸な父から教師役、小悪党、ヤクザの親分まで幅広い役柄を演じた。『沖縄やくざ戦争』では、成田三樹夫扮する子分の暴走に狼狽するヤクザの親分役を好演した。自身は「極端な話、刑事役もヤクザ役もそう変わりはない。人間である以上、内面にはどこか共通する部分があるから。人物像を総合的にとらえれば、どんな役も違和感はないですね」と語っている[8]。 深作欣二監督作品に最も多く出演した俳優であり、深作が助監督時代から知っていた[10]。 『澪つくし』にキャスティングされたことで全国に顔が知られることになり、自身もこれを喜んでいたという。 2019年3月18日午後0時2分、老衰のため、入院先の栃木県那須塩原市の病院で死去[11]。92歳だった[12]。役者としての最大の信条は「台本は現場に持ち込まないこと」であった。亡くなる直前まで非常に精力的な活動をみせ、90歳を超えてからの活躍も目立つなど、生涯現役を貫いた。趣味は絵画[7]。 エピソード
出演テレビドラマNHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
WOWOWドキュメンタリー
映画
オリジナルビデオ
舞台吹き替え
ラジオ
バラエティ
ナレーションCM
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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